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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

カッパ
1935年 福岡県
玉泉寺というお寺に、門司城の主だった大積伊賀守隆鎮という人の墓がある。大友宗麟に討たれてこの墓に葬られたという。この墓に付いた苔を牛馬に食べさせると河童に捕られないという。

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(オキクノタタリ)
1982年 群馬県
国峯城主の小幡公が侍女の菊ばかりを寵愛したので他の侍女が妬み、公の御飯に針を入れて、菊の仕業とした。菊は蛇責の刑となり、桶に入れられて宝積寺の池に沈められた。日野村の小柏源六が通りかかった時に桶を開けると、大量の蛇と瀕死の菊が出て来た。菊は「このご恩にお家に蛇の害は無いように致します」と言って亡くなった。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池の辺に炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで小幡家に戦死や切腹の沙汰が続いたので、宝積寺に碑を建てて供養した。
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アマザケジゾウ
1956年 宮城県
元和2年(1616)吉岡三万八千石に封じられた伊達河内守宗清(政宗の三男)は、ある日吉田川でオウガイ漁をして帰城の途中、梵天をかついだ行者に会った。面白半分で生臭さのオウガイを渡すと、行者はかたく断った。河内守は起こって無礼打ちにしたが、たたりをうけて奇病にかかり、35で他界。後に行者の埋葬地に石地蔵を立てて供養した。耳の病気のとき、竹筒に甘酒を入れて奉納すると治る。
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キツネ
1974年 京都府
丹波亀山城主の松平伊賀守が、ある時仏殿を見ると、狐がすっぽんを食い散した跡が残っていた。激怒した伊賀守は、いかに畜生とはいえ、代々の位牌の前でのこのようなことは許し難く、早々に狐狩りをしろと命じた。するとその夜、伊賀守の居間に2匹の狐が犯人の狐を葛で縛りやって来た。伊賀守はそれを与えると言ったところ、2匹の狐はその狐を食い殺したという。
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クビナシウマ
1984年 愛媛県
天正13年7月6日、祖母井城城主之照が管田宇津城城主大野安芸守直光に攻められ、討死した。それ以来7月7日に和田から春賀の東門寺へ首なし馬が走るようになった。このため東門寺は、6日夜から7日にかけて本堂の扉をわずかに開けておくという。
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(オキクノタタリ)
1982年 群馬県
小幡の殿様が妙義で見初めた菊という女を侍女にし、寵愛したので他の侍女や奥方から恨みを買い、お菊が殿様に差し上げる御飯に針を入れられた。殿様は怒ってお菊を責め、お菊は宝積寺の山門まで逃げてかくまってくれと言ったが、寺は門を開けなかった。お菊は追手につかまり、蛇とムカデの入った樽に入れられ、宝積寺の池に投げ込まれて死んだ。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池のほとりに炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで宝積寺の山門は何度建てても焼けてしまう。
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(オキクノタタリ)
1982年 群馬県
小幡の殿様が侍女の菊を寵愛したので奥方や侍女の恨みを買い、殿様に差し上げる御飯に針を入れられた。殿様は怒って菊を責め、蛇の入った樽に入れ、宝積寺の池に投げ込んだ。小柏源介という侍が悲鳴を聞いて樽を開けると、瀕死の菊が出て来た。菊は「このご恩にお家に蛇の害は無いように致します」と言って事切れた。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池の辺に炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで小幡家に怪異があったので、宝積寺に碑を建てて供養した。小幡家では菊は植えない。
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ウマ,テンセイ
1931年 埼玉県
土御門院のころ、吾妻左衛門藤原是好という長者がいた。そこに諸国行脚の法師が泊ったとき、法師は悪心を起こし夜具を盗もうとした。逃げようとすると馬に噛みつかれ、其馬が人語で「私はここの主の叔父であった。盗みをすると馬になって苦労するからやめておけ」というようなことを言って次の日に死んだ。法師が左衛門にその話をすると左衛門は驚き、叔父の為に葬式を出し、墓の側に草庵を立てて法師を庵主にしたという。
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ボウレイ
1978年 広島県
名主の養子である宗信という男は仙養坊の善養院という修験山伏であり、法螺貝の名手であった。福山城主が宗信の腕をかって戦陣に立たせようとしたが、宗信は、法螺貝は仏具であり、戦のためのものではないといって拒絶した。そのため城主は宗信を処刑した。後日城主は宗信の亡霊に悩まされ、遂に城内に小祠を建てて祀った。
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リュウグウ
1982年 群馬県
斎藤氏の先祖の阿感坊が、竜宮様へ藤蔓切りに行き、川に落とした鉈を追いかけて竜宮に着いた。竜宮に3日いて、瑪瑙は宮子神社に、観音様は竜宮様へ、玉手箱は斎藤家に持って行けといわれて、3品を貰って帰って来たら、3年経っていた。口止めされていたが跡部の殿様から責められて喋り、3日後に死んだ。殿様は気の毒に思い、コウガン寺(現在廃寺)の殿様の墓の前に葬った。
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マツモリジョウ
1956年 宮城県
一名を鴻ノ館という。伊達政宗が国分盛重をこの城に攻めたとき、入沢乙から水を運んでいるのを村の一老人から聞き、水の手を絶ったが、城方で水を流して馬を洗うのが見え、不審に思っていると鳥が(水にみせかけた米に)群がり集まったため計略がばれた。その日は正月三日で、政宗方の門松が折れたので、家老が不吉の前兆であるから城攻めを見合わせて欲しいというと、政宗は松が折れたのは松森が落ちる吉兆だとして一気に攻めおとす。水の手を教えた老人は祟りをうけて死んだ。
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キツネ,タヌキ
1983年 東京都
下総国印旛郡佐倉の城主・堀田備中守正篤の渋谷の下屋敷に来ていた医師三輪玄春が、夜中に浮かれ出て行方がしれなくなり、数日後に下屋敷の中山深く草むらの中で死体が見つかった。これは狐狸に騙されて精気を吸われたものとされたので、城主が怒り、狐狩りを行ったという。
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カタヌマ,タナバタ,ハタノオト
1956年 宮城県
伊達政宗の姫が御小姓と駆落ちして鳴子で捕われ、潟沼の岸で処刑された。姫の首は潟沼に入り、御小姓の首は花渕山の沼に飛んで入る。その日は7月6日で、毎年七夕の夜に御小姓の亡霊が潟沼に通い、一晩の逢瀬を楽しんだという。その夜、沼の底から聞こえる機の音を聞くと、3年のうちに死ぬといって恐れられた。
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クビナシウマ,ウブメ
1976年 愛媛県
昔、東野の奥の城の若殿と、松末の城の姫は恋仲となった。両家は元々仲が悪かった。そのうち松末の姫は身ごもり、怒った松末城主は若殿を馬と共に殺した。奥の城主は怒り、姫を斬り殺した。姫は竹やぶに入り、赤ん坊を生んだという。竹やぶでは今でも赤ん坊と産女の声が聞こえ、雨の降る夜には首無し馬が若殿を乗せて走るという。
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サルトラヘビ
1987年 岐阜県
高賀山の化物に偉い人の子供が殺された、その血が流れた場所には、草が生えない。
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クビナシウマ
1985年 愛媛県
吉川城の殿様は、ある時大殿である河野通宣の機嫌を損ねてしまい、攻められた。結局、赤痢のような病気にかかったせいで攻め落とされた。それからしばらくして吉川城付近である男が首のない馬にまたがった血まみれの武将に出会い、その後三日三晩苦しんだ。同様のことが続くので、皆で墓とお堂を建ててまつった。
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ヒメコイワ
1956年 宮城県
大平館、城主千葉正右衛門の美しい一人娘の姫のもとへ若殿風の美男が通う。手土産が常に魚なので乳母があやしみ、ある夜、男の袴の裾に針を刺すと、忽ち天候が急変。海は荒れ、男は姿を消して来なくなる。姫は思慕のあまり館の下の海中にある岩の見える岸で男を待ったがむなしく、遂に入水して死す。その頃、気仙沼の南、松岩の海岸に打ち上げられた大鱈の死体に針が刺さっており、若殿はこの大鱈だったと判明。姫が男を待ちこがれた岩を姫子岩と称した。それ以来、毎年初鱈の大群が沖から姫子岩を目指してくるようになり、これを鱈の姫子岩参りという。
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イザクダドン,ヒノタマ,ハクバ
1966年 鹿児島県
イザクダドン(伊作田殿)という6基の大五輪塔があり、伊作田城主らの墓と伝えられる。伊作田殿が討ち死にした水田から火の玉が飛んだり害虫が大発生したため、霊を慰めるため太鼓踊りを行う。ある年踊りを行わなかった所、白馬が水田を走り回り、また虫害を受けた。
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タタリ
1974年 千葉県
安永年中に平賀源内は印旛沼の干拓を勘定奉行松本伊豆守にすすめ、沼を埋めようとした。土民は沼に大蛇がすんで沼の主であると言っていた。事業は成就せず、天明年中平賀源内は獄中で死に、松本は後に没落して病死した。沼の主の祟りと伝えている。
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〔ジョウゲンチュウ〕,オキクムシ
1974年 滋賀県
近江国志賀郡別保の里に常元やしきと俗称される家があり、ここに居る者は必ず禍があるという。その故を尋ねると、蒲生家の侍だった南蛇井源太左衛門なる無頼が諸国で悪行を重ね、生まれ故郷の別保に帰って剃髪して常元と称した。慶長5年に以前の罪で捕縛された常元は、その家の柿の木に縛られて最後には斬られた、しかしその骸を木の根本に埋めたところ、数日後、顔や目口鼻がある人を縛っている姿に似た妖しい虫が、毎年多く墳上に現れて、蝶に化けて消えたという。人々はこれを常元虫といった。
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〔ボウフリダ〕
1956年 宮城県
天正18年(1590)、葛西大崎一揆の時、伊達政宗が黒川月舟の鶴巣城を攻めたが落ちない。農家で水を飲んだとき、そこの老婆がこの城は鶴の形ゆえ頭のところを断てば落ちると教えた。城を落としたのち褒美に金をやるといって老婆の首を斬る。その首は飛んで田に落ちる。以来、田植えになると髪を振り乱した老婆の亡霊が現れ、棒を振り回して邪魔をしたので、今も耕作しない。
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