コウボウダイシ,ミズナシガワ 1948年 兵庫県 昔、お婆さんが川で洗濯をしていたとき、汚い乞食僧が「水を飲ませてくれ」といったが、あまりに汚かったので、お婆さんは「水はない」といって断った。乞食僧は大変怒り、錫杖でぐるぐると水をかきませた。すると、みずはみるみるなくなり、川は川原になった。坊さんの姿は消え、空から「そんな、よくない者がいるなら「水なし川」にしてやる」という声が聞こえてきて、それ以来、安黒川は大雨のときでないと水が流れない川になった。
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イド 1940年 東京都 井戸には、地質の関係で接水部の周土崩落の恐れがあるため、下端に桶胴状の枠を入れてあるが、廃埋の際には、これを箍一條残さず取り出さないと目に祟るといわれている。使わないために閉鎖しておくときも同様であるという。また、この土地では、全戸が毎夏井戸替えを行い、ヰドガミ様にために、清浄な莚の上に神酒をお供えし、その一部を井戸に滴下し、その井戸内の水を人々が飲む。川崎市中丸子では、川へ放尿することが禁じられているが、後で木の葉を3枚流しておけば許される。
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リュウジン 1977年 神奈川県 雨乞いは、以下のようにして行われる。法印を先頭に鉦や太鼓鳴らしながら雨乞岳へ登り、山頂で祈願した後山を下りる。その途上、四十八瀬川の上流付近にある黒竜の滝へ六根清浄を唱えながら木の枝を投げ込むのだ。すると、竜神が怒って雨を降らせるのだという。
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アマゴイ,リュウ 1929年 岩手県 胆沢郡では、旱魃の時に駒ヶ岳に上り、沼の面を攪拌して、神社に行って神楽を舞う。神職に祈願をしてもらい、龍を藁で作って練り歩き、北上川に流した。雨乞いの時には、氏神にかがり火をたくという。
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アミダサマ 1971年 長野県 日照りが続いたので、竹に麦わらをつけて日をつけて川に流し、雨乞いをした。それでもだめなときには、神社の阿弥陀様を男たちが裸で川で洗うと雨が降るという。
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アマゴイ,ヘビ 1935年 熊本県 聖浄な河で、牛馬を洗うと、塩井神社の神が怒る。御使いの縞のある小蛇が、西から東に河を横切って渡ると、たちまち雨が降る。また、井川田という不毛の地で悪戯(ワザ)をすると、雨が降るとの伝承がある。
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カメ 1936年 香川県 吉井社では、祈祷して甕を洗うとたちまち雨が降るという。
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リュウオウ,ハクショクノヘビ 1973年 香川県 釜が淵の傍らには竜王を祀る祠がある。昔、ここで雨乞いを行う時は、馬の分を渕に投げ込み水をかき回した。すると白色の蛇が現れて黒雲を呼んで大雨を降らせたという。これを行った者は必ず腹痛を患うという。
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ヌシ 1969年 秋田県 雨が降らないときには、仁鮒集落では田代潟、藤里町のすばり、八森神社の滝に、切石集落ではそれに加えて能代のモウヤサンに、それぞれお参りした。馬の骨を水中になげて、主を怒らせて雨乞いした。大雨が降るので、田代では馬の骨を投げられることを警戒していたという。
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カッパ 1989年 静岡県 河津町谷津の栖足寺には河童の残した甕がある。6月の田植え頃、河津川で馬を洗っていると、河童が馬の足に食いついたので、みなで半殺しにした。そこに栖足寺の僧が通りかかり、金を出して河童を助けた。河童はお礼に甕を置いていった。甕に耳を当てると、清流のようなサラサラという音が聞こえるという。
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エンコ 1980年 広島県 十代ほど前の人が田植えの時期、馬鍬を清水の川で洗っていたら坊主が現れ泣き出した。理由を聞くと馬鍬があるから川を渡れないという。正体を見抜いた人が、今後村の者を連れて行かないと約束するなら馬鍬を除けてやるといったら承諾した。それから毎朝、家の牛屋のカンノキに大きな黒鯛がぶら下げてあったが、柱に鎌を打ち付けるとそのようなことは無くなった。またこれ以来、村の者はエンコに肛門を抜かれないという。
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ダイジャ 1970年 岡山県 鞍淵という淵で雨乞いをする。かつて、洪水のために出てきた隣村の池に住む大蛇が杉の枝に引っかかっていたので殺した。その骨を焼いて灰にして鞍淵に捨てたので、蛇気があるからだという。
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カニ 1962年 石川県 和気村では炎天が続くと鍋谷川の水源・蟹淵の主の蟹に雨乞いをする。ある夏、雨乞いの為に水戸口を切り開くと大蟹が出てきたので、驚いて鍬で蟹の足を傷つけてしまった。その後、ある百姓が湯治へ行くと、足を怪我した武士がいた。その夕、鍋谷の炭焼が山を登っていく武士に会い、何処の人かとたずねると、自分は千年前からこの上の淵に住む者だと言った。それ以来、この淵をがんぶちという。
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カレルイズミ 1932年 滋賀県 蒲生郡武佐(むさ)村には、涸れない泉がある。昔、ある秋の末頃、お百姓たちが野菜を洗っていると、醜い風体の乞食坊主が通りかかり、足を洗わせてほしいと頼み込んだ。にべもなく断ると、坊主はじっと泉の面を睨みつけて、悄然と立ち去った。以来、毎年秋の終わりになると、涸れないはずの泉の水が、すっかりと涸れ上がってしまうようになったという。
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ヒル,コウボウダイシ 1987年 愛知県 昔、坊さんが矢梨の里を歩いていた。田植えのころで、村人は蛭に悩まされていた。坊さんが井戸はないかと尋ねるので村人が清水のわくところに案内した。坊さんが水を飲み甲掛けを洗っていると、その手に蛭が群がった。坊さんは経を唱えて杖を泉に浸してしばらくそのままでいたが、やがて杖を収め立ち去った。その後、蛭はいなくなり、村人はここを「甲掛け清水」「蛭封じ井戸」と呼んだ。坊さんは弘法大師だったという。
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ヤマタノオロチ 1971年 茨城県 徳蔵集落の八瓶山には、八つの素焼きの瓶が埋まっていた。ヤマタノオロチに飲ませた瓶であるという。そのうちの三つは飛んで行って、笠間の飯田神社の裏にミツガメサンとしてある。雨の降らぬとき、その瓶の水をかき回すとたちまち雨が降るという。
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カッパ 1968年 群馬県 昔、矢陸の人が川に馬を入れて洗っていたところ、河童が馬を引き込もうとして尾につかまったので、馬が驚いて河童を引きずって村に帰って来た。村人は河童を殺そうとしたが、河童が「人寄せの時に膳椀を用意してやるから」と命乞いするので、逃がしてやった。その後、人寄せの前の晩には、膳棚岩の上に膳椀が用意してあったという。
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カッパ 1922年 福岡県 筑後河畔には至る所に河童の話が伝えられている。河童の体は小児くらいで、頭に皿があり中に水をたたえている。柳川付近では皿の数を3つといっている。顔は青、体は黒で、顔には十文字に毛が生えており、全身も毛に包まれている。目は2つで、若い頃は1つ。嘴を持っていて、背中に亀甲を負う。手が長く、指が3本。臭いがある。水の中に住み、濁り水を好み、馬の足跡の水溜りには千匹も住むことができる。水がなくなると死滅する。好んで相撲を挑み、負けてやると機嫌が良いが負かすと恨みを抱く。など。
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シロツブ 1961年 新潟県 磨於比(まおひ)池は神秘な池として村人がみだりに行くことを禁じているが、ここに白田螺がいて、これに雨を祈れば必ず験があり、村人は神として敬っていた。
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(ワンカシブチ) 1987年 山梨県 東山梨郡三富村の笛吹川一の釜では、人寄りがあって多数の膳椀が必要の時、淵か川に行って頼むと、翌朝それだけの数が岸の岩の上においてある。用済の器具はよく洗ってお礼を言って岩に置くといつのまにかしまわれる。しかし、心のよくない者が返すときにその数をごまかしたり、壊して返したのでそれからは頼んでも貸さなくなったという。
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