カナヘビスイジンジャ 1956年 宮城県 三条小鍛冶宗近は、一条天皇の勅命を蒙って小狐丸の宝剣を鍛えるため陸奥に下り、ここに住んで剣をきたえたが、蛙の声に妨げられて一心不乱になれなかったので、鉄で雌雄の蛇をつくったところ蛙が鳴かなくなった。もともと水神の社で、弁財天を祀り、賽銭を断りなしに借りていって資本にすると必ず成功するといわれる。神様から借りるため、踏み倒した者はいない。境内に鉄の鋳屑が出土し、宗近が用いた池もある。
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オオニュウドウ 1989年 静岡県 沢の枝の山中に、吉三郎の穴と呼ばれる岩穴がある。海名野の吉三郎がここに寝泊りして炭焼きをしていると、大入道が来て相撲を取ろうと言った。吉三郎は怖くなり、藁人形を身代わりに置いて山を降りた。翌朝行くと藁人形はズタズタにされていた。藁人形を川に流したら海名野に流れ着いたので丁重に祀り、供養のために人形を舞わせた。これが海名野の人形三番叟のおこり。
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ニンギョウ 1926年 礫柱にかかった佐倉宗吾郎の人形が、毎晩のように縄の結びが解けていたという話がある。また、朝顔が毎晩のように駒沢次郎左衛門のところへ忍んで行ったりというように、役柄に応じて人形が怪異を起すことがあった。
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キツネ 1990年 長野県 六助稲荷の周辺は昔人家がなく、夜に一人歩きをすると必ずきつねに化かされてとんでもない方へ行ってしまうので、稲荷を建てて祀ったのだという。
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モモダユウ,ニンギョウマワシ 1952年 兵庫県 百太夫が建てた戎社に仕えた道薫坊が没すると海が長い間荒れた。百太夫が道薫坊の人形を作って舞わせたら海は収まった。百太夫は人形舞わしとなって諸国を巡って神いさめを行ったという。
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タタリ,カヨウカミ 1978年 須佐高浜村出身の松本清十郎は江戸の吉原で揚屋尾張屋を営んでいた。彼は内庭に吉原の遊客が障りのないようにと通い神(道祖神)を祀り、吉原中の信仰を集めた。後に江戸京橋銀座の保根屋吉佐エ門が、日枝神社の山王祭りでなじみになった遊女らを呼び派手に振る舞って世間の問題になり檻に入れられた。彼は檻に入れられる前から刃物を振り回したり檻から出てきても多くの買い物をしたり妾を次々かえたりと奇行が目立っていた。これは吉佐エ門が吉原の清十郎方へ通う神を勧請した祟りではないかといわれる。
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カッパ 1949年 九州 左甚五郎などの大工が、大建築の際の人員不足を補うつもりで人形を作ると、それに魂が入って動き出し、たちまち仕事を終わらせた。その後この人形を川に流したものが河童になって、人の尻を食べるようになったと言われている。
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リュウグウ 1967年 福島県 川に鍬を落として、水底に探しに入ると、とうとう竜宮まできてしまった。そこでは美しいお姫様がひとりで機を織っていた。久しく待っていると、たいそうなもてなしを受けたが、家のことが心配になり、3日でいとまごいをして腰元に道まで送ってもらって村に帰ったら、5年もたっていた。それから記念のために機織り御前の社を建てたという。
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カミサマ,ダイコクサマ,イズモサン 1988年 岩手県 日露戦争が終わった翌年の明治39年に青森県上北郡の中村常太郎という人が出雲大社へ参りに行く途中で道に迷い、江刺家の森越仁太郎氏の父の春松氏の家へやってきた。貧しかった春松氏は借りてきた金を渡して中村氏を送り出した。後に出雲から帰ってきた中村氏はお礼にお札を置いていったので、家の中に祀ったが、ある晩、夢枕に神様(大黒様)が現れ、「ここは煙いので、小さなお宮でもよいから家の外に建ててそこに祀ってほしい」という。お宮を建てた後、一生懸命働くうちに貯えができてきた。このお宮は「出雲さん」と呼ばれている。
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テング 1921年 徳島県 藩士浅川八衛門は四人の仲間とともに力自慢をしていた。ある時訪れた見知らぬ小僧を八衛門が懇ろに迎え、障子襖を締め切って密談をしているので、母が覗くと小僧は天狗であった。以来天狗とともに八衛門の姿は消えたので、天狗になったといわれている。
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オキノサン 1935年 埼玉県 埼玉の熊谷地方一体にはおきのさんという紙の姉様人形を信仰する風俗がある。農家のお婆さんによれば、「おきのさんはよく働く。よく信心すれば蚕の手当てもしてくれる。嫁の働きが悪かったり子守が精を出さない時もおきのさんを信心すればよくなる。あるときおきのさんを勝手に借りて勝手に祭っておいたらその夜におきのさんがやって来た。弁天様のように蛇になってやってきた」という。
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ワラニンギョウ,ダイク 1932年 岡山県 ある大工が1人でお宮を建てていた。不思議なほど作業がはかどるので、ある夜覗いてみた所、その大工と寸分違わぬ大工が30~50人も働いていた。眼の所にほくろがあるのが本当の大工だという。お宮が出来上がると外の大勢の大工は谷間へ落ちて死に、そこには沢山の藁人形が重なっていたという。
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ヒダリジンゴロウ,ワラニンギョウ 1983年 静岡県 左甚五郎が観音堂を再建することになったが、祭りの日が迫っていたので甚五郎は村人に藁人形を沢山作らせそれに息を吹きかけ働かせ三日三晩で造営した。完成が明け方だったので赤野(あきの)観音と呼ぶようなった。
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キツネ 2003年 山梨県 十郎という人に化けたキツネがいたずらを繰り返していたが、村人は祠を建て、祀ったら、いたずらをするのを止めたといわれる。
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ムジナ,フタツイワダンサブロウ,キツネ 1984年 石川県 佐渡ムジナの長老二つ岩団三郎が上方見物にでかけ、その帰りに狐と一緒に歩く。加賀の国までくると狐が佐渡に行きたいといい、団三郎は明日自分は加賀様に化けて行列を作るから、奥女中の上臈に化けて籠に声をかけてくれと打ち合わせして別れる。狐がいわれたとおりにすると、お供の侍に首を切られる。それは本物の加賀様の行列で、団三郎が狐を佐渡へ入れまいとしていたのだ。
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ヤマオトコ 1989年 静岡県 仁科川の上流の炭山で炭焼きの男が御飯を食べていると、山男が「ヒトシャクシ」と手を出したので、熱い御飯を乗せると山男は逃げていった。その後、男は気が狂って川に身を投げたので、その供養のために人形三番叟を始めた。
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テング 1932年 群馬県 上総の千葉左衛門経政は、一子相満を船尾山水澤寺にあずけた。相満が14歳になったとき、行方不明になった。経政は息子を和尚が隠したと思い寺に火をつけた。炎の中に白髪の老人が現われ、背後に息子の姿が見えた。息子が天狗にさらわれた事を知った経政は谷間で自害した。村人は憐れんで経政神社を建てて、その魂を祀った。
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キツネ 1974年 神奈川県 相模国三浦に大多津が崎というところがあり、おみい女という狐がいて、よく源頼朝の時代の話をしたり、美女に化け人を惑わしたりした。ある農家に伝来する鏡を恐れたので人が化かされるとこの鏡で正気に戻した。祠を建てて祭ると現れなくなった。
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マリシテン,ヤマブシ 1983年 岡山県 天正の頃、村人が村にやって来た作法知らずの山伏を切り殺してしまったところ、悪疫が続いた。これは山伏の祟りであろうということになって祀ったのが、現在ある摩利支天なのだという。
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カイ,カイイ 1974年 東京都 午三月、土手四番町のある人の家で膳や煙草盆、石臼などが一人で空中に浮くことが続いた。修験者や陰陽師は仏神の祟りや狸の仕業と言い、彼の言うとおり祈祷をしたが効果はなかった。家が滅びる前兆かと心を痛めたが、とある人が「目黒出身の人をかかえると目黒の鎮守がそれを惜しんでこのような災いを起こす」と言った。この春のにかかえた者を調べたが、目黒出身者はいなかった。しかたなく3、4人に暇を出したところその怪異は止んだ。
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