スジガミサン,(ゾクシン) 1961年 愛媛県 筋神さんの祭神は石川備中守の側室・幼名菊姫とその息子・虎武丸ほか3名。四国征伐の折、援軍を求めた姫が旅路で筋病を病んだ。援軍を得られないまま城が落ち、落ちのびさせた子が殺されたことを聞いた姫も自害した。後に筋病の神として祭られたが、姫が生前冷酒を好んだため、願掛けにはオリカケダルを作って神酒を入れ供えるという。
類似事例 |
|
ショウグンヅカ,キジョ 1987年 長野県 安和2(969)年,紅葉と名乗る鬼女が戸隠山に住み,妖術で住民を苦しめていた。平惟茂は常盤生まれ,近江与吾村に住んで余吾将軍といわれており,紅葉退治のため詔を奉じて信濃に派遣された。惟茂は北向観音に参篭祈願し,鬼女を滅ぼした。将軍塚は惟茂の墓だと伝えられている。直径15メートル,高さ2メートルほどの円墳で,上に石造の多重塔がある。
類似事例 |
|
ハナサキイシ,ヤマトタケルノミコト,アクゼイ,アクレイ 1935年 群馬県 日本武尊が奥上州にやって来たとき、山に悪勢という魔神が住み、朝廷に背き人民を困らせていたので成敗した。神通力で戦いながらも敗れた悪勢は、山に包囲されて焼け死んだ。その娘は清純な処女だったが、武尊の軍勢に阻まれ自殺した。彼女の従者は哭き死んで、その亡魂が石となり、花が咲いたという。それでこの石を花咲石といった。悪勢らの悪霊は祟りをなしたが、石神として祭ると止んだという。
類似事例 |
|
クビキレウマ 1967年 高知県 入野但馬守がせめてきたとき、敷地民部の女椿姫は、援軍を請いに首切れ馬に乗って引舟峠まできたが、敷地のほうをみやると火がたちのぼっていたので自害した。
類似事例 |
|
ヘビ,キクヒメ 1973年 新潟県 雷山城の城主の娘菊姫が落城の時、東光院という名の淵に身を投げ、蛇になったという伝説がある。この淵に石を投げると雨が降るという。
類似事例 |
|
タケダグサ,ツヤヒメグサ,オンナ 1931年 山梨県 天正年間、武田勝頼は城を織田信長に攻められた。その時、武田の家来だった男と、恋仲だった艶姫は離れ離れになり、姫は捕らえられた。その後、姫は脱走に失敗し、自害して堀に身を沈めた。その次の春から、その堀には見慣れぬ水草が生えるようになった。里の者は艶姫の精だとして、武田草、艶姫草と呼んだ。4月29日の祭りは毎年雨であるが、何年かに一度晴れることがあり、その日の早朝堀に行くと水面が二つに裂け、美しい女が玉手箱や鏡や宝剣を持って現れる。この女を笑わせれば、その宝が手に入るという。
類似事例 |
|
ジョチュウキク,レイ 1982年 山梨県 小畑孫市の家でも女中菊を井戸に投げ込んで殺し、その霊を弔うため、所領の甲州にお菊寺を建立した。
類似事例 |
|
オニヅカ,カイカ,タヌキ 1936年 香川県 雨霧城の武将の鬼塚八郎右衛門は戦に敗れて落ち延びる途中、敵の雑兵の手にかかって死んだ。村人は八郎右衛門を供養して鬼塚を祀った。後に耕地整理の為に祠が焼き払われたとき、塚を焼き払った線香屋は病床に臥し、「お前は何しに来た」「わしは鬼塚を焼いて悪かった許してくれ」「もう帰ってくれ、もう許してくれ」などとうわ言を言っていた。その夜、怪火が起こって線香屋の一族は焼死したという。村人は、長年鬼塚に棲んでいた狸の仕業だと噂した。
類似事例 |
|
(オキクノタタリ) 1982年 群馬県 小幡の殿様が妙義で見初めた菊という女を侍女にし、寵愛したので他の侍女や奥方から恨みを買い、お菊が殿様に差し上げる御飯に針を入れられた。殿様は怒ってお菊を責め、お菊は宝積寺の山門まで逃げてかくまってくれと言ったが、寺は門を開けなかった。お菊は追手につかまり、蛇とムカデの入った樽に入れられ、宝積寺の池に投げ込まれて死んだ。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池のほとりに炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで宝積寺の山門は何度建てても焼けてしまう。
類似事例 |
|
バンニンブチ 1956年 宮城県 右岸の崖上にある南朝方の山村館が落城した際、城将須藤刑部の奥方、姫、女中などが、崖下の渕に投身して死んだ。河底から現在も天然炭酸水が湧出しており、水面に泡を吹くのは投身した女たちの怨念のためだという。
類似事例 |
|
ユウレイノシュッサン 1956年 宮城県 藩政時代,金山邑主中島伊勢の家臣に四十九院(ツルシ)弥五左衛門という侍がいた。隣家の美女に懸想され,当惑していた。ある春の斗蔵山の観音様の祭礼の時,娘が弥五左衛門に恋情を訴えると彼はかっとなって娘を斬りすててしまった。ところがその後,夜毎に娘の亡霊が現れて切なさを訴えるので,余りのいじらしさにいつしか娘の亡霊と契る仲となってしまった。ある夜亡霊が「身重になった。赤子が生まれるから育てて頂きたい」と懇ろに頼んで消えてしまった。それから一周忌の頃に弥五左衛門が娘の墓参に行くと,地中から赤子の鳴き声が聞こえる。掘ってみると棺の中で生まれたばかりの赤ん坊が泣いていたので,連れて帰って大事に育てた。この事が藩侯の耳に達し,惨殺の罪を罰せられぬばかりか,奇特な事として禄をも与えられた。その子孫は今も四十九院を姓にしている。
類似事例 |
|
ボウコン 1981年 福岡県 黒木城主・大蔵大輔助能の家内が治まらなかったとき、妻の春日局が剣ヶ渕に投身自殺をした。その亡魂が彷徨って、往来の人々を悩ませて流行病が起こるなどの災いがあった。行空上人がこれを鎮めたという。
類似事例 |
|
シニン,タタリ,サクラ 1989年 長野県 昔、城があった場所には何人かの武士が生き埋めにされたので、供養のために塚を作り桜を植えていた。その後、その木に傷が付くと血が流れ出たという。塚が崩され田が作られると、田を作った家では病人が絶えなくなり、凶事が続いた。行者に拝んでもらうと死人の祟りだという。家は土地を売った。その土地を買った家でも不幸が続いたが、社を造って近親者で祭を行うと、商売が繁盛するようになったという。
類似事例 |
|
(オキクノタタリ) 1982年 群馬県 国峯城主の小幡公が侍女の菊ばかりを寵愛したので他の侍女が妬み、公の御飯に針を入れて、菊の仕業とした。菊は蛇責の刑となり、桶に入れられて宝積寺の池に沈められた。日野村の小柏源六が通りかかった時に桶を開けると、大量の蛇と瀕死の菊が出て来た。菊は「このご恩にお家に蛇の害は無いように致します」と言って亡くなった。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池の辺に炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで小幡家に戦死や切腹の沙汰が続いたので、宝積寺に碑を建てて供養した。
類似事例 |
|
ヤマンバ 1981年 静岡県 倉木山の山姥が福沢の子守りの子を食べてしまったので、焼石を食わせて退治した。山姥は苦しみ、天竜川に入って死んだ。祟ってはいけないと、浅間山に小さな社を建てて祀った。
類似事例 |
|
ヘンゲ,シシコマ 1935年 香川県 昔覚城院は細川越中の守の居城であったが、長曽我部氏の襲撃により3月3日落城し城主は自害した。そのため3月に雛節句を遠慮し、八朔に雛を飾る。その際に団子で馬を作って飾るのは、細川越中守没落後、その城址あたりの畑を猪でもなく、馬でもない怪しいもの現れて荒らすので、これは殿様の悲惨な最期の変化であるといい、3月の節句を遠慮し八朔にシシコマを団子で作り祀り上げるようになった
類似事例 |
|
(オキクノタタリ) 1982年 群馬県 小幡の殿様が侍女の菊を寵愛したので奥方や侍女の恨みを買い、殿様に差し上げる御飯に針を入れられた。殿様は怒って菊を責め、蛇の入った樽に入れ、宝積寺の池に投げ込んだ。小柏源介という侍が悲鳴を聞いて樽を開けると、瀕死の菊が出て来た。菊は「このご恩にお家に蛇の害は無いように致します」と言って事切れた。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池の辺に炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで小幡家に怪異があったので、宝積寺に碑を建てて供養した。小幡家では菊は植えない。
類似事例 |
|
メクラガミサン,ボウレイ 1963年 愛媛県 湊川の戦いで楠木正成を討った大森彦七は出世したが、美女に化けた正成の亡霊によって狂死した。美女は正成の娘・千早姫だともいわれている。姫は彦七の家来に殺されたが、この姫を後に祭ったのが「桜姫塚」である。「めくら神さん」ともいい、眼病の神として信仰されている。
類似事例 |
|
バンシュウサラヤシキ 1964年 高知県 お菊が飛び渡って自殺したという語り草を由緒とするお菊の滝がある。
類似事例 |
|
ヤマンバ,アオビ 1961年 神奈川県 福田の姥山に住む鬼のような山姥が村人を悩ませたので、満開の桜の下で毒酒を飲ませて殺した。すると亡霊になった姥が夜な夜な現れ鬼火となり燃え上がるので姥山を通る人がなくなった。徳川家康がここを通った時に和歌を詠んで姥を鎮めた。
類似事例 |
|