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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ザイホウ
1983年 茨城県
入檜沢の奥の尺条山のふもとの広々とした耕地には昔長者が住んでいたという言い伝えがある。50年くらい前のこと、ある人が代掻きをやっていて、昼休みに馬が逃げ出して田の中に入ってしまった。馬を田から追い出すと馬の足の1本が真赤になっている。驚いて足を点検してみたが傷ではなく、そこには朱がべっとり付いていた。その人は財宝があるのではないかと田を掘り返してみたがとうとう馬が朱を踏んだ所には出くわさなかった。

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ノノヤマニウメラレテイルタカラ
1982年 山形県
野々山には朱千杯と荒鍬千丁が埋められているといい、昔、草を求めた馬が駆けめぐるうちに足が真赤に染まったので、すぐに探したが見当たらなかった。
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ヤウエモンヤシキ
1987年 長野県
村の西北にあり,現在は畑となっているが,昔はここに弥右衛門の屋敷があった。ある年田植えが遅れて困っていると,後ろ山に祀ってある山の神様が一晩のうちに植えてくれた。馬の泥足の跡がついていたので跡を辿っていくと,山の神の祠の前で消えていたので,田植えをしてくれた山の神様の乗った馬の足跡だとわかったのだという。
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コマガタイワ
1987年 長野県
昔,滝の沢の山道を,まだ小さい兄妹が馬でやってきた。霧の深い日で一寸先も見えず,まず兄が,次いで妹が谷底に転落した。谷は高さ数十メートルもあり,落ちればまず助からない。しかし,しばらくして村の者が白い馬に抱かれるように気を失っている妹を見つけた。妹には怪我一つなかった。妹は駒形(馬の形)が岩に刻まれていたと聞き,信心深い兄が身代わりになって命を助けてくれたのだと言った。兄妹は名のある土豪だったが父が防人に召されている間に手代に家や土地を奪われ,父を探す旅をしていたのだという。丁度この時武人が通りがかり,騒ぎを知って女にあった。武人は父であった。父はその後村人と協力し村のために尽くした。村の発展は駒形岩のおかげだと,今も駒形神社で祭りが行われている。
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フルヤシキノウナリゴエ
1956年 宮城県
この地方に今でも古屋敷と呼んでいる屋敷跡がある。昔ここに住んでいた長者が沢山の宝物を地中に埋めたということで,その後夜になると地中から「ああ,重い重い」と言う呻り声が聞こえたと言う。
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ガワラ
1983年 愛媛県
入野村の庄屋の家で一匹の馬を飼っていた。入野の原で走らせていると、この原より少し南にある淵からがわらが出てきて馬の綱を身に巻き付けて淵に引き入れようとする。馬は引きずり込まれて頭も隠れるほどになった時、驚いて一目散にかけて庄屋の家に帰った。がわらは綱にからまったまま力なくうずくまっていた。5、6歳の子供のようで頭には皿のようなものがあった。農民はそれを打ち殺して埋めた。その塚をがわら塚という。
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ヤザエモンヤシキ
1987年 長野県
親沢から笠原へ越す峠の下にある。昔,ここに住んでいた弥左衛門というお大尽は「なんたらこま」という栗毛の馬を可愛がっていた。ある年,悪い病気が流行って一家の者が寝込んでしまい,弥左衛門は田植えが遅れることを嘆いてばかりいた。ある晩「なんたらこま」が急にいなくなったので,夜が明けてから蹄の跡を辿っていくと弥左衛門の田に続いており,田植えが全て終わっていた。更に辿っていくと「なんたらこま」は妙見様の祠の前で草を食っていた。妙見様の木像の腰から下が泥だらけになっていたので,馬に頼まれて妙見様が田植えをしてくれたのかと,村人は妙見様を伏し拝んだ。妙見様でなくて八幡様だという人もいる。
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シュイケ
1929年 新潟県
馬が大怪我をして血塗られているのを見つけたので、それを村人が洗った。それは馬が怪我をしたのではなく、城跡に埋められた朱池に足を踏み入れたのだということがわかった。
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キツネ
1989年 茨城県
馬を引いて山に入り沼の傍を通っていると、突然頭上を白いものが飛び越え、馬は手綱を振り切って逃げた。馬は家に帰ってきたが、男が戻らないので家族が心配して探していると、蕎麦の畑で歩き回っていた。こうなった理由はわからないが、おそらく狐の仕業だろう。
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チョウジャガハラ
1956年 宮城県
化女沼の西に長者がいて、美しい一人娘を土地の地頭から嫁に望まれたが、断ったので不法な圧迫を受け、長者は最上に移ることに決める。奉公人を街道に立たせ、財宝を手送りにして運び、娘は金の機を沼に沈めて去った。沼の魚もみな一緒に最上へ移り、その跡が点々と小池や水溜りとなった。漆万杯と朱万杯は運びかねて残していったので、沼の近くの原を馬が歩くと蹄に漆や朱がつくという。
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チョウジャハラ
1956年 宮城県
南と北の太郎川合流点の原に長者がいたが、天明飢饉で没落した。炭焼きが泊まり山をしているとやせ衰えた男の亡霊が現れ、わしは金の番人だが、寒いから焚火にあててくれといった。あるとき放し飼いの馬の片足に朱漆がくっついていたので、金もあるだろうと探しまわったことがあるという。
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オウゴンノニワトリ
1938年 京都府
昔、長者が住んでいたといわれる屋敷跡には黄金の鶏がいて、節分の晩に鳴くと伝えられている。
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バンバ
1964年 山形県
馬喰が秋田に馬を買いに行った帰りの白昼、大婆んばが立ちふさがり、持っていた鯖のみならず馬も全て呑み込んでしまった。自分も呑み込まれそうになった馬喰は逃げた。婆さまは沼に沈み、馬も戻ってきた。その馬で金をもうけ長者になったという。
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シラコマノイケ
1987年 長野県
昔,長者の娘と作男が恋をしたが,長者は作男を山へ追い払ってしまった。悲しんだ娘は,作男を捜して山へ入ったが,深い霧で道に迷ってしまった。そこへ1頭の白馬が現れたので,その後を追っていくと池の淵に出た。白馬が「あなたの捜している人はこの池の奥にいる。会いたければ私の背に乗りなさい」というので,娘がそのようにすると,そのまま池の中に沈んでしまい,二度と姿を現さなかった。白馬にちなんで今でも「白駒の池」と呼んでいる。
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イッポンツノノウマ
1978年 愛媛県
宝暦元年の頃、一本角の馬が宗楽寺の近くに現れ、田畑を荒らし家畜をおそった。皆は困り、宗楽寺の和尚に相談をした。白元和尚は秘仏本尊の前にひれふし、二夜三回の回伺をした。満願の日の午の刻に、宗楽寺の裏山に馬が現れ、天に向かって叫ぶと倒れた。
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バアトイシジゾウ
1956年 宮城県
昔、老夫婦がいた。婆が庭を掃いていると角から豆粒が1つ転がり、馬小屋の側の小穴に入った。婆がもったいないとその穴を掘っていくと、広い野原に出てそこに石地蔵が立っていた。婆が地蔵に豆が転がって来たかと聞くと、地蔵が「豆はそこの俵の中に入ったが、まあ遊んでいけ」というのでしばらく休んでいた。地蔵は「今から面白いことがある。何があっても声を出すな。俺が手を上げて合図したら鶏の鳴く真似をしろ」といったので、婆は俵の中で黙って待っていると、鬼が集ってメクリ(賭け事)をはじめた。鬼が金を出して盛んになってきたとき地蔵が合図し、婆が地蔵の言うとおりにすると鬼はみんな逃げ、婆は鬼の金を地蔵からもらって帰った。隣の慾深婆が火を貰いにきたときその話を聞き、真似をするが、地蔵の合図する前に鳴いたので、鬼にばれて両耳をもがれて帰ってきた。
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タヌキ
1990年 長野県
草刈りに行くと、井戸入の方で木を伐る音がした。そのうちに木が転がる音がして、馬に乗っているのに生暖かい風が来たという。あるとき湯舟沢から猟師が来て、井戸入にいたたぬきを撃って持って帰ってからはそんなことは起こらなくなった。白髪の生えた古いたぬきだったという。
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カザコシトウゲ
1956年 宮城県
北村の大沢の八郎右衛門という男が月夜に石巻からの帰還、峠で狼の狗吠(くぼえ)を聴き、声のする方へ近づくと、狼が馬の骨を咽喉に立てていた。これから馬を襲うような悪さをするなと言い聞かせて骨をとってやったら、喜んで藪の中に消えた。その後、八郎右衛門が夜になって帰るときは送ってくれたという。
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ウマ
1967年 福島県
昔、ある武士が娘と一緒に住んでいた。武士がある日狩りに出かけて何日たっても帰ってこなかった。娘は自分の家の馬に、父を探してきてくれたら嫁になってやると言ったところ、馬はどこかに走って行き、夕方になって武士を背に乗せて帰ってきた。それから馬は変ないななき声をたてるので、娘に聞くと娘は今までのことを話した。父親は怒って娘を島流しにした。それを知った馬は彼女のあとを追って行方不明になったが、やがてすごすご帰ってきた。それが駒帰り、今は駒ヶ嶺となった。
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ハクサンサマ
1977年 秋田県
ある家の人が、田の代掻きの馬の口取りをする人がいなくて困っていたら、どこからか美しい女が来て手伝ってくれた。昼になってその人がいないので方々探すと、氏神の白山様のご神体の足に泥が附いていた。氏神様に助けられたのだった。
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チョウタムジナ
1991年 石川県
夜、皆月から上尾沢へ行く細い道に長太ムジナが出た。道に岩が盛り上がって進めない。暫くすると戻る。その間に食料は盗まれている。大蛇や化け物になって出て盗んだりもした。ある人が気配がするので石を投げつけ、「勝負しろ」というと男が出てきた。「金玉を広げる勝負をしよう」と言って木綿風呂敷の大きいのを広げたら、ムジナは張り合おうとして金玉を広げすぎて、割ってしまって山へ逃げていった。それ以来ムジナは出なくなった。
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