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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

デエカベエ、カイカ
1932年 兵庫県
昔、平家の落ち武者3人が、但馬国美方郡戸田村に落ち延びた末、刺し違えて自ら死んだ。以来、毎月下15日の間は、「百姓に灯を見せる」といって、飯を炊くような音をたてて亡霊が燃える。村人たちはでえかべえと呼んでいる。暗い夜になると、1町ほど離れて田んぼを飛んでいたかと思うと、目の前に寄ってきて燃える。

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デエカベエ
1932年 兵庫県
150年ほど前のある夜、ある資産家が、村で恐れられるでえかべえの正体を確かめようと橋の下に潜んだ。すると、櫓を組んだような火が立ち、分かれたり1つになったりした。さらに、2本の火柱が立ち、光った目の大入道が現れ、次に、17、8の美しい女が現れて、薄気味悪い蒼い顔にニッと笑みを浮かべた。男は家まで逃げて気絶し、やがて熱病で死んだ。
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ヘビ
1974年 埼玉県
武州板橋から1里ほどいった処の西戸田村に、2人の娘を持つ寡婦がいた。その姉の方も不孝者で、母に食事を与えなかった。姉の夫が隠れて食物を与えたが姉に見つかり、食物を奪い取って蹴散らした。それもあって母が病気にかかり、泣く泣く寝屋から出て井戸に身を投げた。姉の夫は驚いてハシゴを降ろそうとたところに姉がやってきて、姉は誤って井戸に落ちた。すると母は半身が蛇となって姉に巻き付いたが、夫の志が忘れがたく、やさしさを気にかけて許すと言って姉を放し、母は死んだという。姉もしばらくして死んだ。
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ニコンボウノヒ
1933年 大阪府
二階堂村では3月頃から6,7月頃に小雨の夜に遠くに火が見えるという。これを近くで見ると、目耳鼻口の形があってさながら人の顔のようだが、害をなすこともないから人々はさして恐れなかったという。これは昔、日光坊という山伏が村長の妻の病気を加持によって平癒したが、後に妻と密通したとされて殺されたため、平癒の恩も知らず、その上殺害するという2つの恨みが妄執となってその村長を殺したことから二恨坊の火というのだという。
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オンリョウ,ヒ
1915年 高知県
長曾我部元親の叔父比江山掃部助は元親の怒りに触れて自殺し、妻子も追っ手によって殺された。その怨霊と言われる火が比江山という丘に時々現れる。草履で招くと近くに来て頭上を舞う。大きさは傘ぐらいある。
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クマイムシロ
1956年 宮城県
昔ここにある武士の屋敷があり,そこの姑が嫁を憎みいつも意地悪をしていた。ある夏,嫁に麦を搗かせて十枚の筵に乾させ,密かに一枚を隠して嫁に罪を着せ,筵一枚分の麦を盗んで他に売ったに違いないと日夜責め立てたので,嫁は口惜しさに井戸に身を投げた。その後毎夜のように幽霊となって現れ,一枚,二枚,三枚・・・九枚と凄惨な声で数えたので次第にその辺りを通る人はいなくなり,その武士の家も病死や発狂人を出して絶家してしまった。その後明治末頃まで,雨が降ってもその屋敷後の地面の筵九枚分の跡だけは濡れないと言って子供達が見物にいったものである。
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ヒトツメコゾウ
1962年 山梨県
昔、さかね沢というところの山小屋に太郎助という若い衆が大勢の村の人たちと木こりをして寝泊りしていた。その頃は12月13日には仕事を休んで家に帰ることになっていたが、太郎助だけが残る。夜中に山小屋の外の音で目が覚め、入口を見ると一つ目小僧がじっと太郎助を見ていた。一つ目小僧が「今夜の酒のさかなは何だあ」とどなるが、「お前のまなこ玉だあ」とどなり返すと一つ目小僧は逃げ出した。太郎助は夜が明けると家に帰ったが、それが元で死んでしまった。それから沓沢では鰯をもみやからたちの枝に刺して門口におくようになった。それは小僧がのぞいた時にその目を刺すからだという。
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ドウソジンサマ,ワルイカミサマ
1962年 山梨県
道祖神様はよい神さまで、そこへ山から悪い神様が時々おりてきて、道祖神の帳面へ「今年は幾月頃誰と誰を病気にして病ませろ」と、留守の間に書いていった。道祖神様は家へ帰ってきて帳面を見てどうしてそんなことができるかと、村人に帳面を焼くように言いつけた。そこで村人たちは正月14日に道祖神様の前でどんどん燃やし、奥山の悪い神さまによく見えるようにほのおを高く燃え立たせた。あとで悪い神様がやってきて帳面を見せろといっても、夕べ大火で燃やしてしまってないという。それがどんどん焼のはじまりだ。
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クビナシウマ,ヤギョウノカミ
1984年 愛媛県
上須戒村と高山村の境にある小笹ヶ城から多田村の小笹ヶ城までの道を、毎月27日の子の刻に烏帽子、狩衣を着した貴人が、頭のない白馬に乗り、舎人を一人連れて通る。これを人々は夜行の神と呼び、出会うと熱病を受け死ぬと伝えるため、27日の夜はその道を通る者はいなかった。しかし、ある時高山村の百姓がこれに出会い、道の下の岸陰に隠れていると、夜行の神が足を止めて「この道の下に人がいる」と言ったが、舎人が「この者は下人です」と告げたのでそのまま通り過ぎ、命拾いをした。
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ヒヲピカピカヒカラスモノ
1975年 愛媛県
平爺がお伊勢宮の下へ、夜いそに行くと石を投げる者がいた。上を見ると木にぶら下がって火をぴかぴか光らすものがいた。
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カミナリ
1974年 埼玉県
武州板橋から1里ほどいった処の西戸田村に、2人の娘を持つ寡婦がいた。その妹娘が正保4年5月28日に母をさんざんに打ち据え、くたびれたといって昼寝していたら、空が急に曇って大雨が降り、雷が落ちるとその妹をつかんで消えてしまったという。
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ウスギヌヤマノヨウカイ
1956年 宮城県
上沼村の東北部北上川の近くに薄衣山という岡があり、そこは村の墓地で人家はなく、老松が茂って昼も薄暗いような場所で、得体のしれない妖怪が出て人々を怯えさせていた。この山の南方の弥勒寺村(中田町)に、剣道の心得のある豪胆な米三という若者がおり、化け物退治を決意した。病臥している妻を理由に家人が引き止めるのも聞かずに出かけ、松の大木にのぼって見張っていると、使いの者が「妻が命を落とした」「出棺だ」と迎えに来た。米三はそれを怪しみ、もし本当だとしても、どんなことがあっても退治するまでは家に帰るまいと決心したので我慢して帰らなかった。暫くすると我が家の方向から弥勒寺の方へ妻の葬儀と思われる提灯の行列が見えた。妻の亡霊とおぼしき白いものが飛んできて、恨み言を言い足元に手をかけるばかりになったとき斬り払うとギャッという叫び声がして、ドドッと転がり落ちる響きがした。朝になって降りてみると夥しい血溜りがあり、血痕が北上川まで続いていた。家の妻は生きており、それ以後怪異はとまったという。
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マメ,オンナ
1956年 宮城県
昔、炭焼きをしている親子があった。名月の夜、3人の息子は里に出て畑の豆を盗んで食べたが、父親は盗品だからといって食べなかった。夜中に女が来て、豆を食べた息子たちを避け、父親の生き血を吸った。翌日父親は死んでいた。それでこの夜に豆を必ず食べるのだという。
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ヤマジイ,ヤマンバ
1942年 高知県
高岡郡別府村澤渡のヤマヂイ(山爺)の話。昔、ある猟師が火にあたっていると、山爺が現れて餅がないか尋ねた。猟師は明日持ってくると言い、次の日、岩を火の下で焼いていた。山爺が現れ、大きな音の出し合いをした。山爺が叫ぶと岩や木が揺れ動いた。猟師は銃を撃って音を出した。山爺が餅を請うたので猟師は焼けた岩と燈油を口に入れた。山爺はひっくり返り帰って行った。追っていくと岩屋がありヤマンバが居て、山爺は蜘蛛になって仕返しをすると言う。翌日猟師は家に出た蜘蛛を火にくべてしまった。
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ボウカ,ニコンボウカ
1975年 大阪府
摂津国高槻庄二階堂村で、三月から六,七月までの間、大きさ一尺ほどで近くで見れば人の顔のような火が現われ、人家の棟や木の枝などにとどまる。何もしないので人は恐れない。昔女と密通してその夫に殺された山伏の恨みが火となり夫を取り殺した。
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ロクブ,タタリ
1976年 宮城県
上久保は旧家。昼日中黒煙が上がるので村の人が駆けつけると何事もないということが何度かあり、石の雨が降ることもあった。六部を殺した祟りではないかという。
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エンゾウノウラミ,ユメマクラ
1995年 山形県 
1800年頃のこと、米沢藩の年貢が厳しいので役人の番所を焼打したが、役人は米沢に行っていて無事だった。円蔵という者が高さ1丈の石塔を建てて供養してもらう約束で自首して火焙りになった。しかし高さ1丈の石が見つからず、石塔が建たないでいたところ、村内に火事が多発した。円蔵の恨みと思い、5尺の地蔵を建てたがだめだった。すると円蔵が夢枕に立ってどこそこを掘れ、という。そのとおりにすると1丈の石が見つかり、おさまった。いまでも7人のお坊様を呼び、地区で供養している。
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サンダ・ヌ・イケ
1931年 沖縄県
平得村はもともと、サンダの池畔にあった。ある日、二人のお百姓が池で釣りをしていた。ひとりは獲物が多く取れたので家に持って帰り、再び池に向かった。そのとき、いっしょに釣りをしていた友達は火に炙られ、焼死体になって転がっていた。
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チョウチン,コエ
1953年 福井県
江戸時代に処刑された人が雨の晩に提灯を灯して現れるといわれる場所で昭和の初期、ある冬の日の夜、提灯を腰に付け藪の雪を払っていると急に提灯の火が消えた。それを見ていた父親がおまえでそんな目に会うのは3代目であるといった。
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ヒヒ,シラハノヤ
1989年 長野県
遠州の府中という村では、秋の祭には氏神様に人身御供として娘を差し出さねばならず、それは白羽の矢で決定されていた。あるとき、村にやってきた六部が氏神に泊まったところ、何者かが「信州信濃の光前寺、へえぼう太郎に知らせるな」と踊っているのに気づいた。翌朝村に立ち寄った六部は、村人から人身御供の話を聞き、化け物を退治するためにへえぼう太郎を探して信州へ向かった。
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ヒイミサマ,ボウレイ
1928年 東京都
昔々、大島の泉津村の代官は租税の取り立てなど、すべてにおいて暴虐だったため、正月24日の夜、村の若者25人に切り殺された。若者たちはその夜のうちに波治加麻明神の大木を切り倒して造った丸木舟で村を逃れたが、暴風で舟が転覆して、皆死んでしまった。その後、毎年正月24日の夜中には25人の霊が丸木舟に乗り、五色の機を立てて村を訪れるという。
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