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検索対象事例

オタフク,ヤマブシ,ヒトバシラ
1979年 徳島県
徳島市本町と福島本町の間を流れる川に橋を架ける際に、1人の山伏を人柱として工事現場に埋めた。橋は完成したが、毎年大晦日の深更になると、川底から鉦の音が淋しく響いたという。また、橋桁の石垣の真ん中に1つの大きな白い石があり、雨の日にその白石がお多福の面になってゲラゲラと笑い出すという評判が広まったので、石を取り除いたという。

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オフクイシ
1921年 徳島県
福島橋にある中央に白の班の入った大きな石はお福石と呼ばれていて、深夜通行人に向かってお福石が笑うと変があるといわれていた。明治の初め、ある藩士が通りかかってお福石に笑われたが、笑い返したら何事も無かった。
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オオスギ
1967年 福島県
小針の南に大杉の跡がある。この大杉の枝は朝は西郷にかかり、夕は東南の郷の障りとなっていた。このため上様に訴えこの杉を切ることになった。大勢の人足で切ろうとしたが、切りくずが毎夜大木の根に取り付いた。ある老人が切りくずを燃やせというのでそうしたら切り倒すことができた。その木を福島城の橋にしようと運ぼうとするが、毎夜、来た道を戻ってしまった。二子塚の守子女に木遣り音頭を取らせると木が軽くなり、橋を掛けることができた。この橋は夜になると人の音がするので渡る人はいない。
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イナリミョウジンノケシン
1967年 福島県
尼子橋は雨が降ると水があふれ通行できず、人々は難渋していた。岩城則道の妻徳尼はこれを見て心を痛めていたが、ある時、尼の庵の前で白髪の老人が嘆息していたので庵に招きいれた。話をすると老人は架橋の意思があるというので、援助を約束した。老人は感激し、30日ばかりで橋を完成させた。渡り初めも済み、老人は再びお目にかかる事は無いと立ち去り、薬王寺台辺りで見る間に姿が消えた。不思議に思い老人がいなくなった辺りを探させると、穴があり、式に供えた餅があった。稲荷明神の化身かとこれをあつく祀り、尼子稲荷明神と呼んで橋の守護神とした。
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ダイジャ
1982年 滋賀県
あまりに川が氾濫するので、直流工事を行ったが工事中に怪我人が出たり、土砂で埋まったりして、竜神の祟りだといわれた。また、大きな橋が折れたときには大蛇の怒りに触れたのだといって、お供えをすると橋は折れなくなった。
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ワカ,ムシ
1976年 静岡県
昔、当国に流された人がいた。その人は老母を伴い、紡績をして生活していた。その人はこれを見るのにしのびず、自ら遠くに出て資を求めた。しかし月を経て帰らず、ついには老母が死んだ。それからほどなくその人は家に帰り、悲嘆した。蓄えた金は大工に与え橋を造り老母を追善した。ある夜、虫がこの橋の柱を喰い、その跡が一首の和歌になった。その後この橋は偽りの橋と呼ばれた。
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テングノコシカケスギ
1975年 和歌山県
昔、天狗の腰掛であったという大杉から7,8間上がった道の真ん中に岩がある。寛永末の頃、ある石工が岩を割ろうと穴を開けにかかったところ、「腰掛杉」のほうからコラッと大声がし、石工は命からがら逃げ降りた。
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オニ
1931年 埼玉県
鬼橋という石の橋がある。川の真中にある支柱は、昔鬼が来て撃ちこんだものであり、このまわりを掘ると、川が涸れている時でも大雨が降る。
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テング
1976年 和歌山県
山仕事で山奥に行くと天狗の笑い声を聞くことがある。谷の奥の千畳の森の山道に三角石を幾度直しても逆に立てておく者がおり、これも天狗の仕業だという。
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アマンジャク
1936年 鳥取県
昔御熊の神様が真崎の鼻から隠岐国まで石材で、一夜のうちに橋を架けようとしていたところ、沖の島の沖合まできた所で、鶏が羽ばたきをして鳴いた。仕方ないので仕事を打ち切ったが、それはあまのじゃくの仕業であった。その罪で、あまのじゃくは沖の島の上に石と化した。あまのじゃく岩という。
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エンノギョウジャ,ゼンキ,ゴキ,ヒトコトヌシ
1928年 奈良県
役行者が岩橋を作ろうとした際、前鬼と後鬼は一生懸命働いたが、葛城の神である一言主は醜い顔を見られたくないという理由で昼間には働かなかった。これに怒った行者は一言主を縛り付けて谷間に突き落とした。憤慨した一言主は宮女に取憑き、行者が邪神をあつめ、鬼軍を使って国を狙っていると帝に進言した。帝の兵はなかなか行者を捕らえることができなかったが、母親が責められているのを知り、自ら山を出て伊豆大島に流罪になった。
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オオスギノセイレイ,ササヤキバシ
1967年 福島県
笹木野の里の長者の娘に、毎晩しのんできた武士が、ある夜悲しそうに今夜限りと告げるので、娘は男のはかまのすそに長い糸を縫いつけた。あくる朝人を頼んで探してみると糸は近くの大杉の枝にかかっていた。神おろしをして聞いてみると、大杉の精霊が武士の姿になって娘のもとに通っていたのであった。精霊が今夜限りと告げたのは、福島藩主板倉公が一本の木で居室を作るための材木を探した結果、この笹木野の大杉に目をつけたからであった。大勢の人夫が苦心して切ったが、動かそうとしても次の日にはもとの場所に戻っている。古老が「精霊が通っていた女に音頭をとらせるとよい」と告げ、そのとおりにするとたちまち運び出すことができた。大杉は板倉公の居室に使用され、余った材料は大仏となり、耳語橋の材料になった。耳語橋が夜中にささやくのはこのためだという。
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シロヘビ
1933年 奈良県
正月に藁の蛇を巻き付ける古木のよのみの木には白蛇が棲んでおり、傍らの橋を通る人を食ったという。白蛇は大蛇で雌雄2匹おり、県道に懸かっている橋を取り替えたり修理しようとすると、白蛇は怒って飛び出すという。
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バンバアイシ
1960年 神奈川県
昔、ある信心者の夢枕に神が立ち「一の釜西方を流れる相模川の深いところにいる。自分の体は石で夫石は川下の江ノ島にいる。上流から訪ねてきたが、水が少なく下流に行けないから八幡宮まで連れて行って欲しい」と告げた。夢から醒めて一の釜に行くと、川底に老婆のような形の石があったため社の境内に移した。その後日照りが続いた時また夢枕に立ち、「自分を一の釜に入れると雨を降らしてやる」と告げたのでそうすると雨が降った。その後石はしばらく放置されたが、川下の人が井戸端の敷石として使った。しかし、一家中の人が病気になったため、行者の進言で八幡宮へと返された。
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シャベリイシ
1935年 群馬県
奥上州の伊参村という所に二間三間二間の三角の奇石がある。鎌倉の頃、親の仇を捜しに中国から来た武士が、この大石の下で眠っていたところ、この石の中から仇の居場所が聞こえてきたという。それ以来、この石は時々人語を話したので村人が恐れ、囀石と呼んで崇め祀った。数年後、越後の人がその声に恐れて石の角を切って落としたらしゃべらなくなったという。
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テングノキタオシ,タイボクニオノヲアテルオト,タイボクノタオレルオト,カイオン
1982年 新潟県
長野県境の布目という山地に小屋を建てて木を伐りにいった。若い衆5人、御飯をする女衆2人でいった。小雨が降る晩の夜中に遠くからカーン、カチーンと大木に斧をあてる音がしてきて、音はだんだん近づき大きくなり、メリメリメリ、ザーッと大木の倒れる音がした。小屋にのしかかってくるような音で、おそろしかった。その音は小屋にいる全員が聞いたという。朝に外へ出てみると大木などは倒れていなかった。これは、天狗の木倒しという怪音だといわれている。
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コメトギノバケモノ
1999年 宮崎県
ある闇夜のこと。二人連れの婦人が洗町の橋を通り過ぎるときに「昔、橋の下に米とぎの化け物がいたそうだね」と言ったら、「いまもおりますチンジョキジョキ」と言う声が聞こえてきた。婦人たちは走って逃げた。この化け物の正体は水守の人で、鍬で叩いたり石垣をこすったりして脅かしていたという。
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ラセキミョウジン,アマンジャク,イワノカケハシ
1913年 新潟県
羅石堂近くにある岩の掛橋の由来。昔、羅石明神が越後と佐渡の間を連結しようと、眷属を使役して橋を掛ける工事をはじめた。けれども眷族の中のアマンジャク(天彦または山彦)が鶏の鳴き真似をしたので、明神も眷属も姿を隠し、橋は出来上がらなかった。岩の掛橋はその時の名残だと伝えられている。
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エンノギョウジャ,ヒトコトヌシカミ
1929年 奈良県
役の行者が一言主神に葛城山から大峰に岩橋を架けろと命じた。しかし神は容貌に自信がないので夜しか出てこないので、行者は怒って神を谷底に投げ入れて岩に呪縛した。神は当時の帝に行者を訴えたので、行者は伊豆の大島に流されたといわれている。
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アズキトギ
1987年 長野県
昔,部落の真中を流れる川に「すくじの橋」という木の橋がかかっていた。秋の夕暮れの頃,ある村人が橋を渡ろうとすると橋の下から女のすすり泣くような声と,ショキショキと小豆をとぐような音が聞こえてくる。他にも聞いたという者があり,2,3人の若者が正体を見届けるため橋の傍の物陰に隠れることになった。夕暮れ時になると音がするので橋の下を捜したが何もいない。その後しばらく音はしなかったが,また耳にする者が増えだした。不思議なことに橋を渡ろうとすると泣声や音はやむのだが,通り抜けてしまうとまた始まる。振り返るとまた物音がやむ。いつの間にか「あずきとぎの女」と呼ぶようになった。
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シロヘビ
1967年 福島県
ある盲人が、小浜川に橋を掛けたいと水垢離をし、塩松慈現大明神に祈願をした。満願の日、神のお告げがあり、汝の死なんときこそ望みはかのうべし、といい1匹の白蛇が盲人の体を回り消えた。翌日、川に盲人が現れ、川の中に入った。浮かんできたので人々が駆け寄り引き上げたが着物だけであった。その着物を振ると一匹の盲目の白蛇が出てきて川向こうの土手へ這い上がり、人々を一瞥すると明神山へ消えた。盲人の息子が着物を受け取り、遺志を継ぎ10年後に架橋が実現した。渡橋式の日、盲目の白蛇が欄干を行き来していた。
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