(ネズミギライ) 1980年 土屋能登守の家来である樋口小学という医者は鼠が大嫌いであった。ある日人々が茶飯事に彼を誘い、鼠の死骸を彼が座る畳の下に入れておいた。そして彼が着座すると次第に具合が悪くなり、帰宅を乞うた。後で様子をうかがうと宿に帰った樋口は、何事も無かったように回復していたという。
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トリノハカ,ネコ,ユメノツゲ 1956年 宮城県 寛文年間(1661~1673),宗禅時住職が次のような夢を見た。「自分は檀家の某家で飼われていた鶏である。某家の飼っている古猫が一族を毒殺しようとしていたので,私は毎夜鳴いて警告したが,主人は夜鳴きをする鶏は縁起が悪いといって私を殺して川に捨ててしまった。私は今六郷堰の杭の間を漂っている。主人にこのことを知らせてほしい。」住職が翌朝六郷堰に行ってみると,確かに杭の間に鶏の亡骸が浮いている。住職は急いで某家を訪れ,夢の告げを話した。その時大きな黒猫が駆け込んできて汁鍋の上を飛び越えていったが,その拍子に尻尾の先を鍋の中に漬けていった。これに気付いた和尚が家人に猫のあとをつけさせると,猫は竹薮の中で竹の切り株に尻尾を漬けていた。切り株の中ではトカゲ・ムカデ・ハンミョウ・毒蛾などが腐っていた。毒汁を溜めた場所は,一説では愛宕神社下の断崖の中腹,古杉の根元の洞の中だとも言う。主人は鶏に恩を仇で返してしまった事を悔い,供養碑を建てた。
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ネズミ 1980年 鼠を非常に愛して飼っていた商人がいた。ある時商人の手を鼠が噛み、商人は重い病となった。商人は人間に対する様に鼠に向かい文句を言ったところ、鼠はいなくなったかと思えば、商人が寝ている間に薬草を持ってきた。商人はその草の汁を傷口につけ、煎じて飲むと忽ち解毒され完治した。
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キツネ 1981年 神奈川県 魚屋が新鮮な魚を持っていると狐がついてきて、家に住みついた。その後、魚屋の家は栄えるばかりで、狐は亀五郎いなりといって祀られるようになり、何か事がある時には夢知らせをしたという。
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ネズミ 1973年 岩手県 南部盛岡よりおよそ20里ばかり奥の福岡で、青木平助という者が、夢に一塊の炎を見て驚き起きたら、夢の通りに棟上で炎が燃えていた。手元の水をかけると火は消えたので、家内の者に告げると、皆もののけか祟りと言い合った。翌朝、変事のあった棟から、尾が絡み合った9匹の鼠が落ちてきた。それはどうしても解けず、最後には川に流したか、土中に埋めたかした。その後は変事がなかったという。
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〔オンビョウオオテンバ〕,ネコ 1956年 宮城県 儀八郎の老母おさんがある時から急に敏捷になり生臭物を好むようになった。猫踊りのような踊りを見せることもあった。その頃鶏などが攫われる事件があったので,近所には恐ろしい噂が広がっていた。その頃のある日の夕方,六部が一人浜街道をやってくると杉並木の辺りで突然頭上から怪物が襲い掛かってきた。斬りつけると手応えがあったが,怪物は逃げ去ってしまった。その夜六部が儀八郎の家に宿を乞うと,急病人が出たということで一旦断わられたが納戸の一間を借りることができた。夜更けに隣室の物音で六部が目を醒まし,そっと窺うと子猫たちが遊び戯れており,犬程もある虎猫が後肢で立って行灯の油皿を舐めている。翌朝六部は主人に昨夜来の事情を話し,その夜二人で老女の部屋に飛び込んだ。ようやく怪物を仕留めてみると老母の姿であったが,朝日に照らしてみると骸はやはり古猫であることが判明した。この怪猫は松崎の猫渕に棲んだ古猫で,その死骸を埋めたのが猫石だと言われている。儀八郎はその後六部に金塊を贈り,六部はこれを観音像にした。その後観音像と由来書は儀八郎の子孫の家に届けられ,今も保存されている。
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トリ,ネコ,(オンガエシ),(ユメノツゲ) 1956年 宮城県 元禄(1688~1704)末頃,伊達宗重の家臣坂本宇兵衛は子供がなく,飼猫と鶏を可愛がっていた。ある秋の夜更けに鶏がトキを作ったので,主人は不吉だといって鶏を殺し近くの川に捨ててしまった。同夜,この鶏が坂本家菩提寺の住職の夢枕に立ち,「自分は坂本家の飼鶏であるが,同家の猫は毒を以って主人に害をなそうとしている。夜中に鳴いて知らせようとしたのだが,主人は私を殺してしまった。和尚様から委細を話していただきたい。」と言う。住職が翌朝早く坂本家を訪ねると,丁度主人が汁椀を手にとろうとしていた。その時,同家の猫が外から飛び込んできて,椀の中に何か落としたまま走り去っていった。主人が気にも留めず椀に口をつけようとしたので,和尚は慌ててこれを止め,夢の知らせを語って聞かせた。椀の中を見ると黒じみた油と毒蜥蜴の頭が入っていたので,驚いた主人は猫を斬り捨てようとしたが,猫はそれきり現れなかった。宇兵衛は鶏に対して自らの不明を恥じ,懇ろに鶏を供養した。
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カメ 1976年 青森県 明和6年8月、奥州津軽の浜辺を百姓が歩いていると、亀が鳥に襲われ殺されそうになっていた。百姓は鳥を追い散らし亀を助け海に戻した。その夜、夢に童子が現れ、恩を報じたいので、卜檀という薬木を奉りたい、浜に来て欲しいという。眼が覚め浜に行くと、亀が現れ木の枝のような黄色い物をくわえてきた。津軽の領主がそれを聞き付け、医者に見せたところ、本草にはあるが、いまだ見たことがある人がいないといった。
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ネズミニコロサレタハナシ 1956年 宮城県 享保の頃(1716~1736),仙台城下での話。享保5(1720)年4月新妻胤信より採集。伊藤氏の家来の六兵衛が鼠の妖災によって病に臥し,危篤になった。ある夜亥の刻頃,伊藤氏の義兄新妻胤信が様子を見に行くと,六兵衛は毎夜安眠できずすっかり疲労していると嘆いた。胤信が慰めていると,何処からともなく大小の鼠が6,70匹ばかり現れ,寝床の辺を這い回る。六兵衛がいくら追い払っても効果がなく,家人が来てようやく追い払った。六兵衛の話では,毎夜このような状態で医師も祈祷も効かず殆ど寝られないという事であった。間もなくして六兵衛は死んでしまった。鼠の祟りか何か,その辺の事情は不明である。
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(カッパ),トウ 1982年 神奈川県 相州大川道西久保という所に小さい川があり、その川で河童が馬を引き込もうとしたところ、大勢で河童を打ち殺そうとした。その時にある百姓が河童を貰い助けたところ、夜に河童が礼にやってきて、陶器に酒を入れ、鱸を2匹持ってきた。鎌倉時代のことだという。この河童は雌雄いて、一匹は鎌倉に住み、一匹はこの角村に住んで文通をしているという。この陶の酒を呑む時、少しだけ酒を残しておくとまた酒が増えて、万年も絶える事がないと河童は言った。ある時酒を飲み干したので、それからは一滴も出なくなった。
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エンコウ 1938年 島根県 淵に猿猴が住んでいた。ある夜住職の夢に猿猴が現れ、淵に鍬があるので取り除いて欲しい」と頼んだ。住職が鍬をどけると、その晩から竹の串にたくさんの川魚が刺してあるようになった。竹の串を金の串に替えたら、猿猴は川魚を贈らなくなり、慈悲深い和尚に薬石を贈った。ある年、関白が病気になった。そこでこの薬石を服用したら、平癒した。
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キツネ 1974年 愛知県 尾張大納言が津島で鷹狩りをしていた時、薬の調合のため狐の生肝を所望した。そこで餌指の市兵衛が狐を捕まえ、残りの肉と皮までもらいうけた。すると清洲にいた彼の妻にその狐が憑き、恨みを晴らそうとしたという。それを聞いた大納言は、狐は霊獣なので道理が通じると考え、家臣の真島権左衛門を派遣し、今回のことは薬を調合するためであり、同じ死すべき命を人間の薬のために使ったのだから喜ばしい事ではないかと狐を諭した。すると狐は我らのような畜類に、大君の厳命を頂けるのはありがたいと言って憑くのをやめたという。
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ヘビ,シュギョク 1974年 東京都 文政9年頃、小石川三百坂に住む高橋千吉という14歳の子供が遊んでいるとき、15匹ほどの蛇が折り重なってわだかまっているのを見つけた。その中には古銭一文があり光っていた。千吉は腕をさしいれてそれを取った。周囲の者が殺せと言うが、仙吉は人に害をなしていないのにどうして殺すのか、と人々をいさめた。これは彼の祖母が蛇がたくさんわだかまっている時はその中に珠玉があり、それを得ると生涯金持ちだといっていたからである。
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キツネ,ヒョウイ 1974年 京都府 京都の光徳寺という村住んでいた尊い行者が、小鳥をかごに入れて楽しんでいた。しかしその鳥をねらって悪い狐が捕っていったので、行者は狐に食止めの呪いをかけたところ、狐は徐々に弱りだし、ある岡で死んだ。その狐を六右衛門という者が岡の松の下に死体を埋めた夜、彼の妻に何かが憑依し、自分が眠るところに汚らわしいものを埋めるなと警告する。六右衛門が狐の死骸を取り出すと憑依は治まったという。
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カッパ 1935年 新潟県 胡瓜畑を見回りに行ったら河童がいた。河童を殺そうとしたが、命乞いをするので許した。その晩から、河童は毎晩家の厠の鉤に魚をかけるようになった。けれどもある晩鉤に針金をかけておいたら、それきり来なくなったが、ある晩夢に現れ、五黄という薬を授けた。
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オイヌサマ 1979年 山梨県 なに左衛門の家では、身延の奥の方までオイヌサマの額を借りてきて、食事ということで塩をあげていた。ある日の夜に、おじいさんが喉に魚の骨をつっかえて医者もさじを投げた。そこのお嫁さんがオイヌサマに塩を盛っておいた。親戚の人が来ると、玄関の外に黒い大きな子牛のようなものが立っていた。みんなが寝てしまって、おじいさんが1人で苦しんでいると、オイヌサマが喉をなでて治してくれて楽になった。後に身延の奥の方までわらじを何足も作ってお礼に行った。
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キツネ 1956年 宮城県 医師鈴木氏の談。仙台城下川内三十人町に,勝又弥左衛門という足軽がおり,狐捕りの名人として知られていた。天明の頃,榴ヶ岡の東麓沿いの東街道の辺に古狐が棲み,農家の鶏を攫ったり旅人を誑かしたりしたので,検断所の命令で弥左衛門が妖狐を捕らえることになった。亡父の喪中であったが藩の命令なので支度をしていると,牌所の僧侶が訪ねて来て四十九日も済まない内の殺生を戒めたので弥左衛門は承知した。しかしその後僧に酒飯をもてなすと,いつもに似ず大食であった。弥左衛門がこれを怪しみ,座をはずして門脇の草叢に油鼠の罠を仕掛けておくと,送り出した直後僧がこれにかかった。狐は人を計ろうとしてかえって人に計られたのである。
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オニ 1985年 和歌山県 昔、八木尾の村に夜な夜な9匹の鬼が来て里人を悩ましていた。それで、郷士が鬼退治に行って8匹の鬼を退治した。大将鬼である残りの1匹は助けてやった。そのお礼に鬼は、雷を落とさないことと蛭が人に食いつかないようにすることを約束した。
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キツネ,ユメ 1974年 東京都 蠣がら町の屋敷の籠に入れておいた孔雀を殺された事に立腹した武士が、屋敷の稲荷の社を破壊した。すると夢に狐が現われ、身に覚えのない事なので、3日以内に疑いを晴らすと語った。後日再び夢に狐が現われ、犯人を罰したと語った。目が覚め縁に出たら、大きな老孤が死んでいた。
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キュウビギツネ 1933年 香川県 猟師が獲物を探して歩いていると、矢に当たった鶴を見つけた。鶴は望みをかなえるから命を助けてくれと言った。つれて帰ると鶴は妻となって仕えたが、居室を覗かれて去った。このとき置いていった衣を盗んだ狐が九尾狐の祖となったという。
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