オイナリサマ 1968年 佐賀県 稲荷様は家に具合の悪いことがおきたとき、法印に勧められて祀り始めることが多い。ある家の稲荷様は、1935年前後、祖父の弟の家が潰れたとき、その家で稲荷様を祀っていたことを誰も知らなかった。ところがその家の女の人が、初午の頃に毎晩稲荷様の夢を見て、そのお告げによってその家に稲荷があったことを知り、祀るようになった。
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バンバアイシ 1960年 神奈川県 昔、ある信心者の夢枕に神が立ち「一の釜西方を流れる相模川の深いところにいる。自分の体は石で夫石は川下の江ノ島にいる。上流から訪ねてきたが、水が少なく下流に行けないから八幡宮まで連れて行って欲しい」と告げた。夢から醒めて一の釜に行くと、川底に老婆のような形の石があったため社の境内に移した。その後日照りが続いた時また夢枕に立ち、「自分を一の釜に入れると雨を降らしてやる」と告げたのでそうすると雨が降った。その後石はしばらく放置されたが、川下の人が井戸端の敷石として使った。しかし、一家中の人が病気になったため、行者の進言で八幡宮へと返された。
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カンノンサマ 1983年 山梨県 Aさんの「うちの守り神さん」である観音様は、馬頭観音と石である。去年、隣のBさんの息子が交通事故にあったが、その2日前に観音様が倒れて、息子さんの傷の場所と同じところに泥がついた。その前日にAさんの夢枕に観音様が立ったが、意味が理解できなかった。
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メン,レンニョショウニン 1984年 福井県 昔、蓮如上人が吉崎におられたころに、夜ごと上人のもとへ参詣する嫁に腹を立てた邪見な老婆が鬼女の面をかぶって嫁をおどしてやめさせようとしたところ、鬼女の面が顔にくっついてどうしても離れない。それで、上人のところへ参り前非を悔いたら顔から面が離れた。この面は願慶寺や、吉崎周辺の寺に数面残っていて、面の本家争いまで起こっている。
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イナリサマ 1995年 福島県 屋敷内に祀られている稲荷様はご利益があることで名高い。雪の積もった屋根から滑り落ちた時は、少しでもずれれば頭をコンクリートの石にぶつけていたところを助かった。
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ヘビ 1979年 岩手県 附馬牛の某家の話。ある日祖母が近くの観音堂の境内で孫の守をしていると1匹の蛇が現れた。祖母はこれを打ち殺した。その後観音堂に孫を連れて行こうとすると激しく泣き拒むようになった。ミコに占ってもらうと、打ち殺した蛇は観音様の守り本尊であり、絵姿を描いて祀るように言われた。ある時町内でお姿を記した絵を求めて観音堂に納めた所、境内に行く事を拒んでいた子供が1人で観音堂に行くようになった。数年前の話。
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イナリサマ,キツネ 2001年 青森県 某家では、家人の夢の中で稲荷様が「祠を建てて祀ってくれ」と言い、また家の裏山でキツネがコンコンと夜ごと鳴いた為、祠を建てて祀った。
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イナリ,(タタリ) 1989年 長野県 昔、ある家の先代が、災難が続くのに耐えかねて行者に易をみてもらった。すると、所有地の一隅にあるお宮に障りがあり、それが祟っているということだった。調べてみると、小作してもらっている家の稲荷社の祠の屋根に風で倒れた木が覆い被さっていた。それを取り除いて油揚げを持っていき礼拝すると、災難はなくなった。以後、その祠を祀るようになったという。
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キタムキカンノン 1940年 神奈川県 お竹という勤勉な女がいた。熱心に観音を信仰しており、御光がさすほどで「御如来様である」といわれた。嫁入りの祭、観音様にお暇を乞うと、「お竹、帰るのか」と別れを惜しんだ。お竹が観音様を振り向くと、今まで南を向いていた御霊体が北を向いてしまった。
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テング 1932年 富山県 文久の頃、越中の下新川郡大家庄村の光栄寺という寺で、燃えているものもないのに炎が見えることが続いた。そして天狗が大杉に隠れているという噂が広まった。そして畳をはがして積み上げたり、雨戸を一度にはずしたり、風呂を中に浮かせたりした。女のような声で紙を出せ、筆を出せと聞え、出しておくと字を書いてくれるという。
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ケリアゲカンゼオン 1983年 鹿児島県 日向の国の志布志という里で、日頃から観音を信仰している女がいた。その夫が猟師だったので、夫の悪行を嘆き、何とか善心を起こさせようと観音に祈念していた。嘉吉2年5月に夫がいつものように山に入ると俄に雷が鳴り響いた。恐れた夫は観世音の聖号を唱えると、かの尊像が空中に現れて、夫の頭上に落ちてきた雷火を左足で蹴り上げて助けた。帰って観世音の像を見ると左足を上げていたという。
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オオムカデ 1933年 大阪府 無家賃でも借り手のつかない屋敷に女が一人で住む事になった。ある夜、目が覚めて障子を見遣ると、その外側を幅約1尺、長さ約1丈余りもある大百足が音を立てて移動しているのを見た。その後、家を取り壊して百足稲荷を祀る事が決まった。
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(ユメ) 1967年 福島県 八幡神社のふもとに住んでた人たちが井戸を掘ったが、岩盤にあたり、固くて掘れなくなって水が出なかったので、八幡様に祈願した。するとある夜ある人の夢に、年のころ40歳前後の美女が水上に現れ、あたり一面光り輝き、「水神ましませば、不浄を行なわじ」と告げた。翌朝目を覚まし井戸を見ると、井戸には水が湧いていた。
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タタリ,イシドウロウ 1975年 神奈川県 元禄年中に相模国小田原庄の寺を普請した棟梁が奉納した燈篭を江戸へ運ぼうとしたら、夜関係者が発熱し狂気のように皆燈篭のことを口走った。ゆえに江戸へは運ばず寺に返した。精霊が宿っているのだろう。
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(ユメノオツゲ),キトウシ 1976年 京都府 祈祷師のことを拝み屋さんという。川合にいる73歳の、眼を患った老女も祈祷師である。彼女はある晩、夢の中で白い着物を着て神様の前へ行けというお告げを受けた。そこで夜中に神棚に向かっていると神様が見えて以後霊力がついたという。
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ザトウ 1922年 東京都 明治5年頃、東京日本橋に留という男がいたが、毎夜妙なものを見るのが常であった。夢うつつの状態の時、何処からともなく雨の降る音が聞こえ、座頭が枕元に座るのである。座頭は何をするというわけでもないが、毎夜出るので気が滅入り、方々に出かけて泊ってみたが、やはり何処でも出る。東京で名高い陰陽道に詳しい人に頼んで祈祷してもらったところ、見えなくなった。
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イワクラサマノレイ,シャシン 1976年 山形県 大津清孝氏宅に岩倉様の霊を写真に取ったものが残っている。大津家の嫁が義母の病いのためにひとりで見よう見まねで養蚕をやっていた。一心に世話をしていたが、昭和33年にある朝板の間を見ると蛇のうろこのような跡がある。近所の人の話では一生懸命養蚕をやったので岩倉様が現われたのだという。それを写真に撮りガラスの額に入れたら精気を失ったが、息が出来るようにガラスの角を切ったら精気を取り戻した。
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シウン 1974年 東京都 寛永3年9月15日に崇源院殿が病気にかかったとき、一心に称名を唱えていたところ、西から紫雲が3筋やってきて城中に棚引き、五色の花が空中に舞ったという。江戸中の貴賎は拝み、三尊の如来を拝した者もいたそうだ。
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アカボウズ 1974年 京都府 日野一位資枝が若い頃、家の子に向かって深夜まで酒を飲んで物語を聞かせていたところ、屏風の後ろがにわかに明るくなり、誰かが紙燭をもって歩いている気配がした。そこで屏風の後ろを見てみると、火焔の中にあかき法師が立っていた。人を呼んだところ、たちまち消えてしまったという。これはあか坊主といってこの家に吉事がある兆しだという。
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カネコイナリ 1986年 埼玉県 金子越前守という者が住んでいた。ある晩美しい女が訪ねてきた。暫くこの女をとどめておいたが、次第に心を惹かれるようになり女は子を孕んだ。しかし女は、「つい長い年月を過ごしてしまいました。この子を産んだら京に帰らねばなりません。」と泣いた。次の夜、赤ん坊の泣き声に驚いて女の寝間に行くと一匹の狐が東の窓を打ち破って逃げていった。越前守は京へ上り、伏見稲荷の分霊を持ち帰り、庭に祠を建てて祀った。これが今の金子稲荷である。また、これ以来金子家では東に窓を作らないと伝えている。
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