ホウモツ,タカラツカ 1929年 兵庫県 摂津の宝塚は、神功皇后が宝物を埋めた所だと言われている。そしてこの山で物を拾ったら、幸運になると伝えられている。
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ショウキ 2003年 沖縄県 鬼界島の征伐から尚徳王が戻るとき、小鐘が浮かび上がって王の船に付き従った。引き上げようとしたが動かなかった。王自身が引き上げると簡単に持ち上がった。そこで以前、鳥をうった矢が突き立ったところに応神天皇・神功皇后・玉依姫を安置して護国の神としたという。
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シロギツネノホウジュノタマ 1976年 福島県 大正8年頃、白狐の宝珠の玉を拾う。白い毛で中に芯がある直径4センチくらいの丸いフワフワしたもので、巫女によると、京都伏見稲荷から奥州の塩釜さまにおつかいに行く途中で落としたものだと言う。
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ジングウコウゴウ,スミヨシダイミョウジン,リュウグウ 1974年 福岡県 神功皇后が三韓征伐に向かう際、筑前国香椎において住吉大明神が翁姿で現れて、異国征伐には竜宮の干珠満珠を借りればよいと進言する。神功皇后が借り方を聞いたところ、翁は磯鹿島の安曇磯良という者を召し出し、竜宮に行かせればよいという。そして磯良は細男の舞を好むので、それを舞えば自らやってくるという。皇后は誰が舞えば良いか尋ねると、翁は供奉の者に楽を演奏させて、翁は立って舞った。すると磯良が舞人の姿で亀に乗ってやってきて、翁と共に舞った。皇后は妹の豊姫を磯良に伴わせて竜宮へ行かせて、かの2顆を借り、三韓を降伏した。
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〔コンジキノトリ〕 1963年 愛媛県 宗方と浦戸の境にある福島(鶏島とも)に、神宮皇后三韓征伐の後に、百済・新羅・任那からの貢物を積んだ船が仮泊した。翌朝、船から貢物である金色の鶏が飛び出して行方不明になった。故に島を「鶏島」あるいは福の神が上がった島「福島」と呼ぶという。
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タタリ,シラタマ,オオアワビ 1974年 兵庫県 允恭天皇の時代、淡路島で狩りを行った天皇は、多くの獲物がいるのに1匹も狩れなかった。それを卜占すると島神の祟りであり、海底の真珠を祠に納めれば獣を獲れるようになるという。そこで海底に人を潜らすと大鰒があり、その中に真珠があった。これを島神の祠に納めると、獲物が多く獲れるようになったという。
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トキワゴゼン 1973年 奈良県 藤の森は、常盤御前が牛若丸を生んだところという。
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オオアワビ 1976年 允恭天皇が淡路国で狩りを行ったが、1匹も捕れなかった。占わせると、明石の海底に真珠があるので島の神として祀れば獣を捕らせようという。そこで海人に潜らせると、大鰒があり、光が漏れていた。再び潜って大鰒を抱いてあがると海人は息絶えた。縄で海の深さを測ると60尋あった。鰒を裂いて真珠を取り出すと、大きさは桃の実ほどあった。これを祀った後に狩りをしたら、多くの獲物が得られた。
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ビジョ,シンセキ 1939年 香川県 漁夫が不思議な石を拾い、卜者に見せると海神から賜った神石だと言われた。その玉は理想の夫が見つからずに入水した美女の魂が小石になって漁夫に拾われたのだという。
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リュウグウブチ,ビジン 1962年 山梨県 桂川が迂回するところの杵岩の下が淵になっている。昔、ここの百姓が杵岩の上で木を切っていてあやまって斧を淵に落としてしまい、淵に飛び込んで拾おうとすると、淵の底から美人が現れて竜宮に連れて行き、1年あまりも楽しく過ごした。いとまごいをすると、斧の代わりに黄金の玉をくれた。淵から出て家へ帰ると宝珠は忽ちなめらかな丸石となった。よって、宝珠石と名付けて悉聖寺観音堂に納めたが、何者かに盗まれて今はない。
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タマツヒメ,カンゼオン 1928年 愛媛県 玉津姫が海上で遭難したとき、観世音に祈ると、山上に後光がさして波が静まったので、その山上に太山寺を建立したといわれている。
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ヒカリモノ 1975年 兵庫県 昔允恭帝が淡路島に漁猟した時,海中に光物があり一向に魚がとれなかった。そこで男狭という海人が、縄を腰につけ海底に潜ったところ、大きな鮑をとってきた。中に光を発する真珠があり、その真珠は氏神の社に祭られた。男狭は息切れして死んでしまい,彼が腰につけた縄は60尋の長さであったという。
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ワカノトク,タイケンモンイン,(アメドメ) 1974年 和歌山県 和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。待賢門院が紀州の玉津島に詣でた時、大雨が降って止まなかったので、「天下る名を吹き上げの神ならば雲晴のきて光りあらはせ」「苗代に塞下だされし銀河とむるも神の心なるべし」と詠んだところ、やがて西風が吹いて雲が晴れ、社参が叶ったという。
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リュウ 1935年 香川県 藤原淡海公は、面向不背の珠などの宝物を支那から持って帰る途中、讃岐志度沖で難船し、珠はなくなった。淡海公は志度の蜑と契り、頼んで珠を取らせた。蜑は悪竜からかろうじて珠を取り返すがそのために死んでしまった。
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トキワゴゼン 1973年 奈良県 産ケ淵は、たらい淵、常盤淵ともいい、常盤御前がこの岩のくぼみで牛若丸に産湯をつかわせたという。
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オシロイ 1989年 長野県 上久堅で一番大きい玉川は天竜川に注いでいる。神の峯城が落城した際、姫は助けを求めるためにおしろいを少しずつ川に流した。おしろいは玉になり流れ、これに気づいた家来が姫を助け出した。それで玉川という。
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ウマノアンジ,ウマニャーズ,スジ 1978年 沖縄県 昔、砂川に住むサアネという少年がミナクサという海岸で竜宮から使わされてきたというウマノアンジ(ウマニャーズともいう)という美女と出会った。ウマノアンジは最初に出会った男の妻になるようにと竜王から命じられており、サアネに妻にしてくれと頼んだ。サアネは最初は逃げ回ったが、説き伏せられ夫婦となった。ウマノアンジはいくら取り出しても米が減らない布袋を持っており、それによってサアネは長者となり子どもも何人か生れた。あるとき、サアネは布袋の中を見てはならぬと言われていたが、留守の間に調べて中身が空であることを知った。それを知ったウマノアンジはスジという大魚となり、ミナシゴの浜から海に飛び込み竜宮へと帰って行った。ウマノアンジは竜宮へと帰る際に、津波除けの呪文を砂川の人々に教えた。人びとはその教えのとおりに旧3月初酉の日にナーパイという神事を行っている。
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ヘビニョウボウ 1968年 愛媛県 大晦日に、男が幸木の売れ残りを海中に捨てた。後、娘が訪ねてきたので夫婦になった。子供が生まれ、島原の殿様が妻を乳母に差し出せと言う。妻は竜宮から来た者だと告げて男に玉を渡し、子供に与えるよう言って去る。玉を殿様に取り上げられ、海岸を歩いていると女が竜宮界の3つの玉だという血筋の玉をくれるが、それも取り上げられる。男が村を去ると、島原城下は崩れたという。
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ウミヘビ,オンナ 1929年 長崎県 寛政の頃に侗庵という医者はある時、殺されそうな海蛇を助けた。その後、家に女がきて、2人に子供ができた。女は正体が海蛇だと知られてしまい、子供のために玉を置いて去った。しかし玉は領主に奪われてしまい、池に棲む母が2つ目を渡したが、それも奪われた。この玉は母である蛇が目をくりぬいて渡したものだった。その後、寛政の大地震と大津波が起きた。
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ミシマミョウジン,ダイジャ 1928年 東京都 往古、三宅島で三島明神(事代主命)が大蛇退治をした時、各島々の神も働いたので褒美を与えることになった。そのとき、利島の預り明神が褒美に貰った水を神津島の長浜に置き忘れてしまった、長浜明神がそれをとって隠してしまった。そのため、利島では今でも水が不自由で、神津島の長浜には清水の流れができたのだという。
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