(ウマレカワリ) 1976年 東京都 武蔵国多磨郡(多摩郡)程窪村の半四郎という者の息子、藤蔵は死んで後、同郡柚木領中野村谷津入の源蔵という男の子どもとして生まれて、勝五郎と名付けられた。9歳のとき、自分はここへ生まれ変わってきたといったので、言うことをたよりに、半四郎の住所を尋ねていったところ、本当のことだと判った。
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(ドチュウノシュッサン),ユウレイ 1975年 常陸小山庄の民の妻は死んで土中で子供を産み、母の幽霊が餅を与えて育てたという事がある。その子は生まれながらに白髪だったという。
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ユウレイノシュッサン 1956年 宮城県 藩政時代,金山邑主中島伊勢の家臣に四十九院(ツルシ)弥五左衛門という侍がいた。隣家の美女に懸想され,当惑していた。ある春の斗蔵山の観音様の祭礼の時,娘が弥五左衛門に恋情を訴えると彼はかっとなって娘を斬りすててしまった。ところがその後,夜毎に娘の亡霊が現れて切なさを訴えるので,余りのいじらしさにいつしか娘の亡霊と契る仲となってしまった。ある夜亡霊が「身重になった。赤子が生まれるから育てて頂きたい」と懇ろに頼んで消えてしまった。それから一周忌の頃に弥五左衛門が娘の墓参に行くと,地中から赤子の鳴き声が聞こえる。掘ってみると棺の中で生まれたばかりの赤ん坊が泣いていたので,連れて帰って大事に育てた。この事が藩侯の耳に達し,惨殺の罪を罰せられぬばかりか,奇特な事として禄をも与えられた。その子孫は今も四十九院を姓にしている。
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キツネ 1988年 奈良県 惣五郎と言う人が三反御作(3反歩ある大きな田)を植えた帰り、溺死した子狐を見つけ葬った。その夜戸を叩く者がおり、「お田引いた惣五郎さん、三反御作みな引いた」と5,6人の声がした。翌朝見ると植えた苗はみな引き抜かれ、狐の屍骸が掘り起されていた。親狐が思い違いをしていると思い、狐のいそうなところを釈明して歩いたら、その夜に伊勢音頭の音がして「お田引いてすまなんだ、三反御作また植えた」と声がした。翌朝、家の前には大きな鏡餅が置いてあり、田はもとどおり植えてあった。
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(タマシイ) 1993年 静岡県 清水の東勝院は「薩埵のお地蔵さん」といわれ、死者の魂の集まる聖地である。ある農夫が夕暮れ顔見知りの男に出会い、「どこへ行くのか」と尋ねたら「薩埵のお地蔵さんへ行く」というので、暗くなるから気をつけて、と別れた。農夫が家に帰ると、人が死んだと騒いでいる。詳しく聴いてみると、今しがた会ったばかりの男だった。
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マ,アクレイ 1975年 愛知県 享保年間、西三河山中村で死んだ子供を火葬にしたところ、伯母がその亡骸を火から取り出し喰らった。その話を聞いた村の者が数十人で墓所へ行ったところ、伯母はすさまじい顔つきとなり、人を飛び越え行方不明となった。この伯母は普段から凶悪の者だったので、魔が入れ替わったのだろうという。道心者がこの悪霊を弔った。
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バケジゾウ 1918年 栃木県 旧足利藩戸田家の小林某の仲間が、夜三重村大字五十部を通りかかると、怪しい変化が現れたので真っ二つに切りすてた。翌朝調べたら首のない石地蔵であった。それ以来化け地蔵と称して今も御本尊になっている。
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イドウ 1983年 下総国香取郡佐原新田向ウ津の百姓長吉の子・寅次郎6歳は、頭が蛸のように大きく、目は黒目くぼんで白目にかぶり、眉毛がなく、歯は上下2本ずつある。また背中に産毛が渦巻き、全身に薄毛が生えている。身体の色は鼠色で臭みがあり、手足共に赤子のようで胴は青筋張って水ぶくれのようであった。物事を言う事は無いが、人の言う事は聞いているようである。
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ヒトリノコモチノコジキ,コドモヲマツッタジゾウ 1969年 福島県 子連れの乞食が、一日で田の草取りを終えたら一人前の村づきあいをしてやると言われ、子供を背負って仕事をしていたところ、気づくと背中の子供は死んでその首が腐れ落ちていた。田圃の真ん中にその子供を祀った地蔵さまがある。
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オカマジゾウ 2001年 愛知県 弘仁の頃に丹羽郡小折村に若夫婦があった。一子を預け給えと信願すると、男の子を授かり、常丸と名付けた。妻はある日帰らぬ人となり、夫は再婚したが、継母は常丸を虐待した。夫が行商に出かけた折に継母は常丸を煮殺そうとする。夫は胸騒ぎがして引き返し、子供から一部始終を聞く。地蔵様が湯から引き上げてくれたという。これを聞いた継母は改心し、釜と地蔵を貰い受けて尼となった。これより名付けてお釜地蔵という。
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ミガワリジゾウ 1956年 宮城県 ある農家の2人の子は、兄は先妻の子、弟は後妻の子だった。後妻は先妻の子を憎んで虐待し、何度も食物に毒を入れたが、地蔵が身代りになって助かる。
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コソダテユーレン 1937年 兵庫県 昔、毎晩村の店に6文持った女が飴を買いに来る。あまりに毎晩来るので和尚さんがあとをつけると、身ごもったまま死んだ女の墓の中へ消えた。死後生まれた赤ん坊を幽霊となった母親が育てていた。和尚は女の死体を説き伏せ、その子を引き取って育て、偉い坊主にした。
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(タタリ) 1974年 神奈川県 延宝7年、相模国本目浦に八郎兵衛という大工がおり、その甥は悪人であった。扱いに困った八郎兵衛は、彼を縛って海に沈めた。その翌夏に妻が子供を産んだが、それが額に角があって甥の顔に似ていたのでまた殺したところ、死体はむくむくと持ち上がったという。そこでその遺骸を神子の口寄せにかけたところ、私を殺した恨みを子供になって晴らそうとしたができなかった。この上は火難に遭わせてやると言った。すると程なく八郎兵衛の網だけ燃え上がって焼失したという。
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〔ジョウゲンチュウ〕,オキクムシ 1974年 滋賀県 近江国志賀郡別保の里に常元やしきと俗称される家があり、ここに居る者は必ず禍があるという。その故を尋ねると、蒲生家の侍だった南蛇井源太左衛門なる無頼が諸国で悪行を重ね、生まれ故郷の別保に帰って剃髪して常元と称した。慶長5年に以前の罪で捕縛された常元は、その家の柿の木に縛られて最後には斬られた、しかしその骸を木の根本に埋めたところ、数日後、顔や目口鼻がある人を縛っている姿に似た妖しい虫が、毎年多く墳上に現れて、蝶に化けて消えたという。人々はこれを常元虫といった。
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ヤマウバ,オオイケノヌシ 1984年 愛知県 福富新蔵という郷士が、岩の上で異形の大女が髪を振り乱し、月の光で鉄漿をつけているのを見た。矢を射掛けると手ごたえがあり、血をたどっていくと与八郎の家に着いてその妻が臥せっていた。しかし寝所にその姿はなく、血痕がありそれをたどって行くと美濃各務の広池の岸まで続いていた。ここで名を呼ぶと白い苧綛が流れ寄り、拾い上げてみると血に染まったそれは先に見た山姥の髪ほどの長さの白髪の束であった。このことから与八郎の妻は山姥でありこの大池の主であったと解釈され、白髪は持ち帰られて供養された。このことからこの池を苧がせ池と呼ぶようになった。与八郎と山姥の子である京丸は長じて母の正体を知り、山姥の化身であった母の供養の為に寺を建てて弔った。
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オニ,ユウレイ 1979年 東京都 数年前まで久米蔵と文作という男を雇っていたが、藤田廉平という人が先日文作は脚疾で死に、伝通院に葬られたと言ってきた。それから1ヶ月後に志計という下女が芳町で、青い服を着て樽の栓を売る文作を見たといって帰ってきた。下女は間違いなく文作の鬼・幽霊だという。しかし後日死んだのは久米蔵だった事が分かり、藤田の勘違いであった。
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ユウレイ,ムジナ 1929年 石川県 次郎兵衛が女房と娘を残して死んだ翌晩から、白衣を着た次郎兵衛の幽霊が出た。その幽霊が人間の幽霊か獣が化けたものかを見分けるために灰を撒いておいたところ、狢の足跡があり、それから来なくなった。
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カマジゾウ 2001年 愛知県 昔根高に安兵衛と妻のおそで、子の安丸がいた。安丸は病身のおそでのため地蔵菩薩に毎日お参りしていたがおそでは死んでしまう。安丸は親なし子といじめられるが、ある日通りかかった旅の僧が子供達を叱り、安丸に木作りの地蔵を与える。安兵衛は再婚し、ある日安丸は継母に釜で煮殺されそうになるが、地蔵尊が身代りとなる。継母は改心し、以後地蔵を祀った。
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(フシギナオト) 1988年 奈良県 猟の好きな藤助という男が猟犬と、鳥屋の中で獲物を待っていると、ドーンという不思議な音がした。飛び出してみたが何も見えず、藤助は鉄砲を撃ち尽くして息絶えてしまった。猟犬が藤助を鳥屋の中に運んだが、火縄銃の火が燃え移って黒焦げになってしまった。村人は非業の死を哀れみ、藤助地蔵を作って祀った。
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ロウジン 1922年 三重県 ある時少年が行方知れずになり、3日ぐらいしてから呆然と畦道に佇んでいるのを発見された。顔面蒼白で非常に疲労していた。大熱に浮かされて5日ばかり寝こみ、ようやく回復して少年が言うには、夕方老人が現れ、あちこち連れて行かれ、帰ってくる時に今までのことを言ってはならないといって消えたという。それ以来少年は痩せ青ざめ、神経質になり、小学校の算術が出来なくなったと言う。
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