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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

(タタリ)
1974年 神奈川県
延宝7年、相模国本目浦に八郎兵衛という大工がおり、その甥は悪人であった。扱いに困った八郎兵衛は、彼を縛って海に沈めた。その翌夏に妻が子供を産んだが、それが額に角があって甥の顔に似ていたのでまた殺したところ、死体はむくむくと持ち上がったという。そこでその遺骸を神子の口寄せにかけたところ、私を殺した恨みを子供になって晴らそうとしたができなかった。この上は火難に遭わせてやると言った。すると程なく八郎兵衛の網だけ燃え上がって焼失したという。

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ゲドウグモ,オンナヤマンボウ
1981年 愛知県
尾州但馬郷幡豆崎(現師崎)のある漁師が容姿端麗で気立てのよい娘を嫁にもらったが、実はその嫁は頭の口から三升余りのおにぎりを投げ入れあっという間にたいらげる女山ン坊だった。驚いた男が別れを切りだすとその嫁に風呂桶ごと縛り付けられ、命からがら連れ去られる所危うくスキを見て逃げ出した。その後怪物女は化道蜘蛛に化けて男の家に襲いに来たが、待ち伏せた村人に火と棒で殺された。
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(オキクノタタリ)
1982年 群馬県
国峯城主の小幡公が侍女の菊ばかりを寵愛したので他の侍女が妬み、公の御飯に針を入れて、菊の仕業とした。菊は蛇責の刑となり、桶に入れられて宝積寺の池に沈められた。日野村の小柏源六が通りかかった時に桶を開けると、大量の蛇と瀕死の菊が出て来た。菊は「このご恩にお家に蛇の害は無いように致します」と言って亡くなった。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池の辺に炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで小幡家に戦死や切腹の沙汰が続いたので、宝積寺に碑を建てて供養した。
類似事例

カマジゾウ
2001年 愛知県
昔根高に安兵衛と妻のおそで、子の安丸がいた。安丸は病身のおそでのため地蔵菩薩に毎日お参りしていたがおそでは死んでしまう。安丸は親なし子といじめられるが、ある日通りかかった旅の僧が子供達を叱り、安丸に木作りの地蔵を与える。安兵衛は再婚し、ある日安丸は継母に釜で煮殺されそうになるが、地蔵尊が身代りとなる。継母は改心し、以後地蔵を祀った。
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(カッパ),トウ
1982年 神奈川県
相州大川道西久保という所に小さい川があり、その川で河童が馬を引き込もうとしたところ、大勢で河童を打ち殺そうとした。その時にある百姓が河童を貰い助けたところ、夜に河童が礼にやってきて、陶器に酒を入れ、鱸を2匹持ってきた。鎌倉時代のことだという。この河童は雌雄いて、一匹は鎌倉に住み、一匹はこの角村に住んで文通をしているという。この陶の酒を呑む時、少しだけ酒を残しておくとまた酒が増えて、万年も絶える事がないと河童は言った。ある時酒を飲み干したので、それからは一滴も出なくなった。
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ロクブ,ヒノケサ
1935年 新潟県
六部の夫婦が鍛冶屋に泊めてもらった。鍛冶屋の主人は、妻の六部に横恋慕して、つぎの日、夫をだまして淵に投げ込んで殺した。それ以来、盆の16日に、淵の傍の木に緋の袈裟が掛かるという。また、鍛冶屋の子供には代々痣ができるようになった。
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ヘビ
1962年 徳島県
蛇淵という淵の上に家があり、痣や傷一つない、きれいな娘がいた。娘は、夜になると男がそばに来て寝ると訴えた。障子も開けず、ものも言わず、冷たい体だという。糸を付けた針を男の着物に刺して辿ると、淵の上に行きついた。そのうち娘は産気づき、おりものをたらいで受けると何杯分もの蛇の子が産まれた。竹藪に捨てると蝶々になって飛び、娘は死んだ。
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ヤクジン
1976年 東京都
天保8年2月下旬、次女の乳母が日暮れに急に寒気立ち、夜着を被って打ち伏せていたところ、翌朝になり、昨夜より風呂敷包みを背負った男が側にいると言った。これは疫神かと、種々の札を枕元に掛けたところ、男は立ち去ったといって全快した。ところが上野の祭礼に主人とせがれとで行ったところ、急に歯が痛くなり、家に帰ると治った。すると乳母が再び寒気を訴えた。そこで刀を抜き乳母を峰打ちにしたところ、男がすぐに立ち去るので、障子を開けて欲しいと言った。障子をあけると乳母はそこで倒れたが、そのまま起き上がり正気となった。早く塩をまいて箒で掃き清めよ、と言った。
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リョウシノボウレイ
1982年 宮城県
漁師が難破して覚悟を決め、供養の金を胴巻に巻いたまま浜に打ち上げられた。見つけた人は金だけとって死体を海に打ち捨てた。金を取った人は金持ちになり、子どももできて幸せだったが、子どもがいなくなってしまった。回国様に聞くと恐山にいるという。行って寺の和尚に相談すると、「その子を呼んでやるがわしの衣の陰から出るな、決してすがるな」という。やがて子どもが来て和尚に「自分は漁師の亡霊の生まれ変わりだ」と言った。金を取った人が泣き崩れ、気がつくとそこは寺ではなく衣杉の下にうずくまっていた。その人は家には帰らなかった。
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ゴゼンサマ
1967年 福島県
乙女淵とか御前淵と呼ばれているところで、昔、大家の娘が紅花を摘みに行って、水鏡で自分の顔を見ていたら、御前様にみいられ淵の中に引き込まれた。その後、ある男が淵に鉈を落とした。鉈の柄が近くに見えているので取りに入ったら、前にいなくなった大家の娘が機を織っていた。娘は、ここにいることを誰にも話さないでくれと、布をくれた。男が淵から上がると3年が過ぎていて、家では三回忌が行われていた。もらった布はいくら切ってもなくならず、どこまであるのかとほぐしたら、そのとたん男は死んだ。盆の16日はこの淵へ流し機といって、機をつくり流すという。これをしなければケチがつくといわれ、どんなことがあってもやらなければならないといっている。
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ダイジャ
1975年 山形県
昔狩川に千貫長者がいた。ある夜立派な若者が訪れ長者の娘と恋に落ちた。娘は身篭ったが産気づかない。手を尽くしたが効き目はなかった。ある日六部が来て、姫を救うには邸内の松にある鳶の卵を飲ませよという。長者は若者を松に登らせたが、若者は鳶にさらわれ地面に叩きつけられた。六部は「私は以前あなたに助けられた蛙で、婿になりすましていた若者は私を飲みこもうとした大蛇で、沼の主である。蛇は恨みを晴らそうと婿になった」という。見ると婿は大蛇であった。産気づいた娘が生んだのは無数の蛇であった。娘は死に、六部は姿を消した。
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ダイジャ
1993年 高知県
庄屋が嫁に行った娘を取り返すために、婿を殺そうとした。庄屋は婿を大蛇がいる蛇ヶ淵に誘い出し、大蛇に殺させようとした。婿は八幡大菩薩という弾で大蛇を撃ち殺した。大蛇は胴回りが33尋あり、長さが33間あった。そして7日7晩かけて燃やした。今でも焼けた跡は草が生えない。
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ケンムン
1977年 鹿児島県
昔、美人妻を持つ男がいた。一人の男がこの妻に横恋慕した。その男は、妻を持つ男を漁に誘い出して殺した。男は村に帰り、美人の妻に夫は死んだから自分と結婚するように説得した。妻は男に、木を抱けば結婚すると条件を出した。男が言われた通りにすると、妻は男の掌を釘で打ち付けて殺した。男は7日7夜泣き、ケンムンになった。
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シチホンザメ
1934年 三重県
漁師が息子と2人で海鼠を取るために海を覗いていたら、悪鮫が息子をくわえて行った。漁師は復讐するため、旧暦の6月24日に上がってくる七本鮫をつかまえ、腹を裂いてみたが中には何もなかった。そこで寺で謝罪の供養をしたが、その家はとうとう没落した。
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クモ,ヤマンバ
1952年 島根県
大工のところに綺麗な女が来る。女房にしたが何日経っても食事をしない。こっそり見ると、頭の中に握り飯を放り込んで食べていた。離縁を告げると別れの風呂に入れと言う。そして風呂桶に閉じ込めて山へ運ぶ。大工は逃げ出して待ち伏せし、追ってきた山姥を焼き殺した。
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コギツネトショウベエ
1956年 宮城県
昔、あるところに正兵衛という鉄砲ぶち(打ち)がいて、つる橋の上でつるにからまって動けなくなっている小狐を助けた。正兵衛が家に帰って菜っぱ汁をたいていると、鍋がさっぱり煮立たないので開けてみると小判がいっぱい入っていた。そこへ来て、わけを正兵衛から聞いた慾兵衛は、「その狐、腹の中いっぱい小判だべ」と出かけ、小狐を打ち、腹を割くと小判がいっぱい出てきた。しかし家に帰って見るとそれはすべて馬の糞だった。正兵衛は、今回の件で殺生は悪いことだと後悔して百姓となったが、その田も畠も上作で、だんだん金持ちになった。一方慾兵衛はその後猟もなくなって貧乏になり、夜逃げしたという。
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ゲンベエブチ
1956年 宮城県
昔,渕の崖上に源兵衛というものが住んでいた。梅雨頃,夜更けに若い女がきて「私はこの渕の主の鰻で,明晩川上の賢渕の主の蜘蛛と一騎打ちをする。その時あなたが『源兵衛ここに控えおるぞ』と声を掛けてくれれば勝てるのでよろしくお願いします。」というので源兵衛は承知した。翌晩鰻と蜘蛛の大合戦が始まったが,あまりの怖ろしさに源兵衛ここにいるぞと言えなかった。翌朝見ると鰻の首が噛み切られて源兵衛の家の方を睨んで浮かんでいたので,それを見た源兵衛は気が狂って死んでしまった。その後この渕を源兵衛渕と呼ぶようになった。町の人々が供養のために建てた小祠が近年まで残っていた。
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イギョウノフタゴ
1974年 岩手県
奥州南部の盛岡に住む百姓の妻が、延宝8年夏に片手が長く毛に覆われた猿のような子と、目鼻が無くて手が7本と足が43本ある双子を産んだという。しかし5日ほどして死んだ。
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ムゲンノカネ,ヒル
1935年 新潟県
慶長の頃に但馬生まれの某人が、佐渡の相川に来て金鉱を発見し裕福になったが、すぐに逼迫して大晦日には家に居られず、山に入って鉱穴に寝ていた。一方家では妻が牡丹餅を作ろうとして餅米を搗いている内に、ふと無間の鐘の事を思い出し、すり鉢を鐘に見立てて擂り粉木で撞いたところ、その家運も立ち直り、昼夜に千貫ずつ金塊を掘り出して長者になったという。但し一代限りだったという。無間の鐘を撞いた者の墓には7代の間蛭がいるといい、この男の墓にもいたという。
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アカマタ,マッタブ
1973年 鹿児島県
昔、阿傳と嘉鈍の中間にマチという部落に母と娘が暮らしていた。娘は夜に機織りの仕事していたが、あるときから夜になる一人で笑ってばかりいて仕事をしようとしない。母が尋ねると、娘は夜になると赤手拭いを被った男がやってきて脇の下を擽るのだという。そこで母は今晩その男が来たら木綿針に糸を貫いて男のたまに刺せと言った。その晩、娘は言われたとおりに男の頭に針をさし、明朝に母が糸を辿っていくとマッタフの巣である坂の麓の割れ岩まで続いていた。中から「我ミミンダ通しはしたが、子供は七籠も産ませて、うら取って見せずに置くものか」と声が聞こえた。また「娘が海へ行って七日間潮浴びをすれば子供は堕りる」と他の声も聞こえてきた。母は家へ帰り娘を海に連れて行き、七日間潮浴びさせると蛇の子を堕ろすことができた。
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カッパ
1913年 岩手県
昔、家の主人が川童に、もし川の流れを変えたら一人娘をやろうと約束した。翌日、川の流れが変わっていた。そこで主人は、川で洗濯をしていた召使いの女を後ろから突き落とした。すると女は、川の真ん中に立ち上がって、汝の家に男を立たせぬと叫んだ。それでこの家は男が生まれても20歳になる前に死んでしまう。
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