キツネツリ,タンペイ 1983年 神奈川県 文化年間の頃、相模国の丹沢というところに、丹平という狐釣りの名人がおり、この者は人に憑いている狐もたやすく取るという。
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オサキ,キュウビノキツネ 1922年 埼玉県 茨城県 栃木県 昔九尾の狐が殺された時に、その尾先が飛んだが、それが落ちた家筋のものは仲間はずれにされている。特に結婚は除外されている。彼らの生活は中以上で、百姓もいれば商人もいる。「お鉢を叩くとオサキがつく」という言い習わしがあって、いったんオサキがつけば大食になり、飯を前歯で噛むようになるという。オサキを落とすには専門の行者がひきめの弓をひくという。
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イケノヌシ 1980年 香川県 阿波に鵜を使って魚を獲る漁師がいた。讃岐に行く途中、峠の頂上で旅の僧と出会って昼食を共にし、団子を勧めると噛まずに飲み込むように食べた。僧は、魚を獲るのは無益な殺生ゆえやめるよう忠告した。その後付近の池で漁をしていると、3尺もある池の主が鵜を引きずり込んだ。格闘の末池の主を捕らえ、腹を割くと、僧に与えた団子が出てきた。
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キツネ 1982年 宮城県 話者が若い頃の話。あるお爺さんがいつも狐に化かされて魚を取られていたので、長い棒に魚を吊るして短い棒で狐がいると思しき場所を叩いて廻ったが、それでも狐に魚を取られてしまった。
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アマクサシロウ,ヨウジュツ 1928年 長崎県 寛永末期、木指の海岸近くの林の3人の浪人がいた。そのうちのひとり、下釘金作が鉄砲で沖に浮かんでいた海鳥を撃った。それを同じくそのうちのひとりであった天草四郎が手を挙げて差し招くと、死んでいるはずの海鳥が吸い寄せられるように海岸まで動いてきたという。
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キンノヘラ 1956年 宮城県 昔、お羽黒様(神社)のような所に、なまけもののほいとう(乞食)がいた。うまい金儲けがないかと思っていると、「下の沢に金のへらが落ちてるからそいつで尻を撫でろ。そうすると、トッピツ、トロペツ、トントコピッコ、ロクドの太皷の、皮になーらばなーれ、スッポンポン、スッポンポンと鳴る。やめたくなったら裏で撫でろ」という夢を見た。ほいとうは大喜びで次の日行ってみると1本のへらが落ちていた。早速拾って尻を撫でると「トッピツ、トロペツ、・・・」と鳴り出した。裏でなでるとぱったり止まった。ほいとうは尻を鳴らして金儲けをしたが、ある晩糞をしてこのへらでふいてから、何度裏でふいても音が止まらず、「トッピツ、トロペツ、・・・」と毎日毎日鳴るので、とうとう死んでしまった。
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カッパ 1961年 岩手県 昔、女わらしがかあぱ(河童)に引き込まれ、ひりつこたまを引き抜かれた。かあぱは暑い時に石の上に上がってサツを乾かしている。今でも夜暗い道を酒を飲んで歩いているとかあぱがかかあに化けて川に引っ張って行き、しりつこたまを抜く。
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テングタオシ 1954年 岡山県 ある猟師が、夜明け方に雉が出るのを打とうと山に出て待っているとき、天狗倒しに逢った。あまりの恐ろしさに小さくなって頭上に向けて夢中で鉄砲を打つと、何か音を立てて落ちた。しばらくすると天狗倒しは静まり、夜明けになってきたので付近を探すと、鴨が撃たれて落ちていた。そのため天狗倒しとは鴨の大群の移動を言うのであろうという人もいる。
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タコ 2002年 山口県 昔、甚平という漁師が住んでいた。魚を捕ることが巧みで近隣の者は皆知っていた。ある日甚平が岩の近くで魚釣りをしていると、急に船が傾いた。見れば大きな蛸の足が船縁を掴んでいた。甚平はその足を包丁で切って持って帰った。その味を覚えた甚平が翌日も岩へ行ったところ、その日も蛸が現れた。こうした日が5日続き、8本の足が3本にまで減った日に、甚平はこの蛸を捕ってやろうと包丁の代わりに縄を持っていった。それきり甚平は帰らず、主のいない船が夕方に浦へ流れ着いた。村人達はきっと蛸に食われたのだろうと噂した。それ以来その岩を甚平岩と呼ぶようになった。
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キツネ 1956年 宮城県 気仙沼出身の実業家三田某氏の実見談。明治40(1907)年頃の7月5日午前4時頃,三田青年が峠で一休みしていると,橋向うに50がらみの男が一人,草叢に座って酒盃の献酬をしているような格好である。その時顔の右半分に軽い痙攣を感じ,その方に目を向けると杉の木の下に赭毛の大狐がいて,親爺の方に尻と顔を向けている。太い尾を水平に伸ばし,その先をくるくると小さい輪を描くように回しており,まるで尾の先で人間を操縦しているかのようであった。三田氏が石を投げつけると,狐は茂みの中に逃げてしまったが,その時親爺もその方向に引かれるようにうつぶせに倒れた。親爺は正気付くと今いる場所も日時もわかっていなかった。親爺は「自分は高田の先の大船渡の者で,二日前の夕刻,塩鮭を土産に大槌の親戚の家に出かけてきたのだ」といってそこら辺を探し回ったが見つからない。「自分は今まで確かにその婚礼の席で挨拶をしたりしていたのだが」と不思議そうであった。
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イチョウ,ウトウ 1935年 青森県 允恭天皇のとき、烏頭中納言安潟は勅勘を蒙ったが 高倉の霊夢により外ヶ浜についた。安潟の死後、どこからかひと番の異鳥が飛んできて、雄がうとうと鳴けば雌はやすかたと鳴いた。ある時猟師がその雄を捕らえると、メスはそれを悲しんで啼いたが、まもなく猟師も非業な病に倒れた。里人は恐れて塚を立てて祀った。後に勅使が下って三角相という桶にこの善知鳥安潟をとらえ、大神宮に祀ったという。一説にはこの鳥は海鳥で、砂の中に巣をつくり雛を養育し、母鳥がうとうと呼べば、子鳥がやすかたと答えるという。
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イタチノキタオシ,タイボクニオノヲアテルオト,キノタオレルオト 1982年 新潟県 木挽の三吉という人が、夜なかに台島から藤沢へ帰るとき、山中で大木に斧をあてる音が、カーン、カーン、カーンとだんだん大きくなって聞こえてきた。やがて、メリメリ、ドーンと木の倒れる音がした。不気味だったので、そのほうへ行ってみたが、木などは倒れていなかった。これをイタチの木倒しという。イタチが木っぱ(木のきれはし)を尻尾にまいて、木にぶつけて音を出すのだともいわれている。
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オシドリ,フジン 2002年 栃木県 犬伏町下の谷に鴛鴦塚がある。太田二郎左エ門尉式宣という弓術の達人が、鳥獣を射ていた。ある日三毳山で狩をしていたが終日獲物がなく、帰ろうとしている時に阿曽沼の東岸で鴛鴦を見つけて射て持ち帰った。その夜熟睡していると忽然として戸外に声がして、妙齢の婦人が歌を詠み、号泣した。3、4回それが続いたので一喝し戸を開けると一羽の鳥が飛び去った。不審に重い夜が明けてから鴛を射たところに行ってみると、鴛が菰の茎を咥えて死んでいた。式宣は悔悟して、自ら塚を築いて鴛を併せて埋葬し、入道した。
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ゴフ,(サムハラ) 1973年 埼玉県 「■□■△」(■は手偏に「合」の下に「幸」。□は手偏に「台」。△は手偏に「己」の下に「口」)の4字を書いて、護符とする言い伝えの1つとして、寛文8年に紀州の鉄砲師である吉川源五兵衛が江戸に来て、大宮鷹場の中にある吉野村で白い雉を撃ったが当たらなった。ようやく罠でつかまえたが、その背中には「■□■△」の文字が書いてあった。これは怪我除けの護符かと思い、的にこの文字を書いて撃つと、やはり当たらなかったという。
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シジュウカラ 1959年 神奈川県 ある地方では、四十雀の鳴き声を「親死ね子死ね、四十九日の餅をつけ」と解し、その地方では四十雀を縁起が悪い鳥として誰も獲らない。
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オクリスズメ 1937年 不明 夜、提灯を持って歩くと、チ、チ、チ、と送雀の鳴き声がきこえるが、その姿を見た人はいない。兎だともいう。又、あおじだという人もいるが、鳥ではないらしい。
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ショウニン 1933年 神奈川県 念徳寺に禅誉上人が住んでいた頃、近辺の浪人が弓で鳥を射て歩いていた。ある日一羽の雌鴨が鴨の首をくわえて本堂の前にいた。首は浪人が射た雄のものだった。上人が読経すると、鴨は何処ともなく飛び去った。浪人はこの話を聞き、弓を捨て上人の弟子になった。
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カラス 1970年 三重県 烏が鳴くと死人が出るといわれ、また鳩の一種である鳥が「オアー」と鳴くと死人が出るといわれる。
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コイ,イケノヌシ 1928年 新潟県 池の主の鯉が三太郎という男の釣り針にかかり、右の目を傷つけ、怒って大暴風雨を起こし、三太郎を殺した。この池の魚は今でも片目のものが多い。
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ヤキカブジンシロウ,エメコヅチ,エメコブクロ,メドツ 2001年 青森県 蕪焼き甚四郎のもとに長者の娘が嫁入りしたが、甚四郎の家には何もなく、米を炊こうとしても米がなかった。嫁は何かを売ってこさせてお金を作ろうとしたが、何度物を持たせてやっても、甚四郎は金も作らず米も買わずにただ帰ってきてしまった。3度目には、金は作ったものの、甚四郎は、ある日、子供たちが鷹を折檻しているのを見てそれをを買い取った。すると、その鷹がめどつ(河童)に襲いかかったが、これを放してやると、えめこづち、えめこぶくろという宝物をくれた。甚四郎とその妻は、その槌を振って大きな家を建てたり、米倉を出したりした。
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