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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

フナオカジョウ
1956年 宮城県
中世柴田城の城で四保館とも。柴田氏の全盛時代、倉に一袋の栗があって尽きることなく、一箱の絹があって幾ら使っても減らず、甘泉は旱天に涸れることがなかった。本丸の土塁の上に毎年5月20日に天女が舞うといい、見た者もあった。

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オオモリジョウ,チ
1967年 福島県
大森城は平ヶ城とも白鳥城とも呼ばれていた。この城を破却した時、この道の堀を切ったところ、土のそこから血が流れ出したという。
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マイヅルノシロ
1931年 福岡県
群雄割拠の時代、舞鶴の城と呼ばれる不思議な力を持つ城があった。城から下を眺めると敵軍のことが人数から布陣まで地図を広げたようにわかるばかりか、攻撃するときには城が低くなって敵陣の前におり、退却するときには元の高さに戻った。敵が6合目より上に上ってくると、城も高くなって上まではたどり着けない。しかし、井戸を掘った場所がこの城の羽翼と背筋にあたる場所で、城の神通力はなくなってしまった。
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ガギュウジョウ
1956年 宮城県
伊達成実が築城の時、守護神の牲に赤牛を生き埋めにした。館の南下にある牛を供養した塚にケヤキが生えており、枝を焚くとたたるという。*他にも「臥牛城」あり。登米郡登米町寺池の伊達氏登米館、角田市の石川氏角田館、玉造郡岩出山町の伊達氏岩出山城、柴田郡川崎町平沢の高野氏平沢館。
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ダイジャ
1932年 島根県
昔、毛利氏が丸山にあった城を攻めた時、城には2匹の大蛇がいて、交替で濃霧を吐いて城を隠すので攻めあぐねていた。小春日和のある日のこと、長い籠城に飽いた若侍が小蛇を矢で射た所、屋根から落ちた小蛇は、地上に落ちた時には丈余の大蛇となった。その後霧を吐く蛇がいなくなり、城は落ちた。
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ヒカクノシロ
1931年 宮城県
館山という山にはかつて城があり、渋谷某という小大名が篭っていた。伊達正宗がここを攻めようとしたが、攻めるはずの城の影も形もなくなっていた。城を厳重に取り囲んだところ、真夜中に鳥の羽ばたきの音と共にまた城が消えてしまった。しかし、ある武者が裏切って、山が鶴の形をしているから城が飛ぶのだと教え、山の形を変えてしまったので、城は動くことが出来なくなり、落城したという。
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イイナワ,ヒブセノカミ
1969年 長野県
柴田マケで祀る飯綱は火伏せの神として信仰されている
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ホネ
1979年 宮城県
仙台柴田郡にある古骨山で人骨が出土したが、その長さは1丈(約3メートル)以上あった。
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ダイニチニョライ
2001年 新潟県
城が尾という所に難攻不落の城があった。上杉景勝がこの城を落とすとき、猿八の人が野田からであれば城へすぐ行けると教えた。城が尾を落とし、 シンラク寺の仏様を焼いたが、焦げただけだった。川へ流しても流れずに、川を上った。のちに慈宣というお坊さんが飯持神社に納めた。
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タタリ
1957年 熊本県
人吉城が攻め落とされた際、山田城の長続が城を奪い返して堯頼を帰城させようとしたが堯頼が死亡した為、長続が後を嗣いだ。その後、城を攻めた頼観兄弟を滅し、その首をさらしたところ祟りがあった。
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ダイジャ
1949年 福井県
霞ヶ城の起こりは、城の主には大蛇がいて戦が始まると霞を吐いて城を隠し敵からは見えないようにしたことだという。
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キンケイ
1921年 福島県
磐城郡草野村絹谷には四郎秀清の舘があったという。昔、館の落ちるときに金の鶏を井戸の中に投げ入れて落ちのびた。この金鶏が時々鳴くことがあるのを村人はよく聞くことがある。
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フシギナジュツ,バテレン
1937年 京都府
亀山藩の剣術師範は、城を明け渡そうとしない大和郡山の城兵を白昼、術を使って眠らせ、そのすきに「いさぎよく城を明け渡せ」と貼紙をしてまわった。城兵が目を覚ますといつのまにか貼紙があったので、バテレンを使う相手がいると怖がってすぐに城を明け渡した。
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クビナシウマ
1985年 愛媛県
昔イワガラ城という城があったが、その城主は戦で討ち死にした。その後毎年戦のあった頃になると、どこからともなくその城主が首のない馬に乗って通るので、通り道にある旧い垣根の一部が直しても直しても壊れたという。
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カレルイズミ
1932年 滋賀県
蒲生郡武佐(むさ)村には、涸れない泉がある。昔、ある秋の末頃、お百姓たちが野菜を洗っていると、醜い風体の乞食坊主が通りかかり、足を洗わせてほしいと頼み込んだ。にべもなく断ると、坊主はじっと泉の面を睨みつけて、悄然と立ち去った。以来、毎年秋の終わりになると、涸れないはずの泉の水が、すっかりと涸れ上がってしまうようになったという。
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テンニョヅカ
1956年 宮城県
津の宮の社家、作兵衛の四代前の先祖某が竹島に天女の群が舞っているのを見つけ、逃げ遅れた天女を家に連れ帰った。天女は豆柿を少し食べただけで6,7日して死に、連れていた子犬も死ぬ。葬ったところを天女塚といい、子犬の墓を狗塚という。
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ダイジャ
1989年 長野県
天正十年、織田軍が武田軍を破るために攻め込んできたとき、台城の下の淵から大蛇が霧を吐き、城が霧に包まれたので攻めあぐんだ。淵に住む大蛇の仕業だと言うことで、淵に矢を打ち込んで、とうとう大蛇を殺した。その後霧は出なくなり、城はまもなく落ちた。以後、城を大蛇ヶ城という。
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クビナシギョウレツ
1914年 福井県
昔、越前福井では旧暦4月24日の晩に柴田の軍勢が勢揃いするといって、九十九橋の上を多数の火が灯って通った。供人は白装束で、大将は馬に乗っているが、みな首がない。この首無し行列を見た者は血を吐いて死ぬといわれている。
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ホンジョウヤマノシロ
1931年 千葉県
本城山にはかつて、臆病な殿様が城を築いていた。酒井小太郎の大軍が攻めたとき、城は山の頂きと共に高くなり、一向に近づくことができず、引き返すとまた、元のように低くなった。しかし、臆病な城主が抜け穴のトンネルを掘ったことで城は奇跡を行う力を失い、城は落ちた。山の咽喉を切ったのが悪かったのだと言われた。
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オヒメサマ,カスミ
1949年 福井県
戦国時代、ある城が落城しそうになった時そこのお姫様が死んで城を守ろうと自決した。敵の大将がそこに攻め込んだら霞みがかかって引き返すしかなかった。
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クビナシギョウレツ
1939年 福井県
白衣の首のない人が白馬にまたがって行列していくのを見ると、その人は死ぬ。一説では、「天下の名将柴田勝家公」といえば命は助かるという。別伝では、この行列は4月のホトトギスのなくころには毎晩出るという。
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キンノニワトリ
1982年 滋賀県
月ヶ瀬城の倉にあり、城が焼けた時に土砂に埋まってしまった金のにわとりを掘り出そうとするたびに怪我人が出る。天変地異の起きる前の晩に、悲しい声をあげて知らせてくれる。
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