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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

メイバ
1963年 山梨県
この里に逃れてきた名馬のいななきが千里を隔てて響き渡ったので、生き埋めにしたものが馬塚であるが、武田勝頼の愛馬ではなかったかと称されている。

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モノノケ,アケチミツヒデノオンリョウ
1932年 大阪府
字馬塚の名は、東西10間5分、南北9間5分、面積3畝10歩の塚がある為に生じた。この塚は和田伊賀守惟政の武将の乗馬を埋葬したところとも、物の怪に憑かれて落命した、或いは明智光秀の怨霊によって取り殺された豊臣秀吉の駿馬を埋葬したところともいわれている。
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オシラサマ
1975年 岩手県
金満長者の飼い馬が長者の娘に恋をしたため娘が病気になった。怒った長者が馬の皮をはぎ栗の木に掛けた所、蚕が生まれ繭をかけた。その後娘は全快したが、馬に乗って宮参りに出たところ、天上から馬の声がして娘と馬が消えた。それでオシラサマを作り供養した。
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オオウナギ,ナナフシギ
1980年 広島県
犬伏の七不思議のひとつに、大草田沼がある。この沼のほとりに牛馬をつなぐと、沼に引き込まれるという。昔、この沼に大うなぎが棲んでおり、このうなぎを高橋城の殿様が退治に出かけた。沼から飛び出してきたうなぎに驚いた馬の蹄の跡が残っているという。馬は殿様を乗せたまま城に逃げ帰り、後足で門を閉じた。殿様は大うなぎが大手門に乗り上げたときに矢を放ってこれを退治したという。
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リョウマ
1987年 山形県
宮集落のある家が山に放し飼いにしていた馬に龍馬が種付けして子が生まれた。その仔馬は垣根の上を猫のように歩いたりできたので、新庄の戸沢公に飼われた。戸沢公がその馬に乗って江戸に行ったら、大火事で領国橋が落ちたときに殿様を乗せ、家来を尻尾に掴ませたまま隅田川を飛び越えて逃げた。それで怪我をして厩で寝ているときにも、半鐘の音がしたら殿様を乗せて逃げようと動き出すほど忠義な馬だった。
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ウマ
1967年 福島県
昔、ある武士が娘と一緒に住んでいた。武士がある日狩りに出かけて何日たっても帰ってこなかった。娘は自分の家の馬に、父を探してきてくれたら嫁になってやると言ったところ、馬はどこかに走って行き、夕方になって武士を背に乗せて帰ってきた。それから馬は変ないななき声をたてるので、娘に聞くと娘は今までのことを話した。父親は怒って娘を島流しにした。それを知った馬は彼女のあとを追って行方不明になったが、やがてすごすご帰ってきた。それが駒帰り、今は駒ヶ嶺となった。
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オサイガイケ,ハクバ
1978年 新潟県
池があるとは知らずに、どこかの村から白馬を連れてきて、代かきをしていた。白馬はおさいが池を見つけた途端、自分が来た村へ逃げ帰ったという。
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ガワラ
1983年 愛媛県
入野村の庄屋の家で一匹の馬を飼っていた。入野の原で走らせていると、この原より少し南にある淵からがわらが出てきて馬の綱を身に巻き付けて淵に引き入れようとする。馬は引きずり込まれて頭も隠れるほどになった時、驚いて一目散にかけて庄屋の家に帰った。がわらは綱にからまったまま力なくうずくまっていた。5、6歳の子供のようで頭には皿のようなものがあった。農民はそれを打ち殺して埋めた。その塚をがわら塚という。
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ヒメヅカ
1979年 岐阜県
武田勝頼が攻めてきた際、お姫様が姫塚まで逃げてきて自殺した。石のかりとの中に姫の衣装と一緒に埋めてある塚がある。今は田になっているが、この田を持っていると悪いことがある。
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ハクバ,アヤシイモノオト
1998年 宮崎県
カツ、カツ、カツ、という怪しい物音の正体を村の若者がつきとめようと、朝早く物陰に隠れて待っていると、実に見事な逞しい白馬が朝靄の中から忽然と現れた。以後白馬の姿は評判となり、山奥に姿を消すことから山の神馬だと言われた。
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ヤマオトコ,ヤマンバ
1936年 長崎県
馬子が干鯖(もしくは大根、柿)を山男(山姥)に食べられた。馬子は馬に乗って逃げ、一軒家の臼の中に入って寝ていた。山男(山姥)は釜で煮殺されるが、歌は伝わっていない。
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タヌキ
1990年 長野県
下り谷から細野山に嫁いだ人が、井戸入のたぬきがいる方へ馬を曳きに云った。ところがたぬきに騙されて、夜になっても帰ってこない。近所の人と一緒に迎えに行ったが呼んでも返事をしないので、朝になったら帰ってくるだろうと引き上げた。朝方に嫁は帰ってきた。油好きのたぬきに髪のびんつけ油をなめられて、髪の毛はぼうぼうだったという。
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ベットウ,イナムシ
1923年
斎藤別当実盛が越前篠原で手塚光盛にうたれるとき、馬の足が稲の切り株にかかって躓いたために無残な最期をとげることになったことから、実盛は稲の害虫になったと伝えられている。
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テンバセキ
1976年 徳島県
阿波勝浦田の村にある天馬石は、宇治川の合戦の時、梶原源太の乗っていた池月という名前の名馬が、先陣を別の馬に取られて、遅れたのを恥じ、怒りのあまり、この場所で死に、石となったともいう。
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ヌマ,ウマノクビ,コガネノクラ
1956年 宮城県
飛騨守が戦いに敗れて逃げる途中、湿地から清水が湧き出て沼と化し足跡を隠した。飛騨守は愛馬を刺して沼の主となるよう言い、追手を逃れた。それから3年に1度この沼から馬の首と黄金の鞍が浮かび上がる。それを見た者は3年のうちに死ぬ。
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タケダグサ,ツヤヒメグサ,オンナ
1931年 山梨県
天正年間、武田勝頼は城を織田信長に攻められた。その時、武田の家来だった男と、恋仲だった艶姫は離れ離れになり、姫は捕らえられた。その後、姫は脱走に失敗し、自害して堀に身を沈めた。その次の春から、その堀には見慣れぬ水草が生えるようになった。里の者は艶姫の精だとして、武田草、艶姫草と呼んだ。4月29日の祭りは毎年雨であるが、何年かに一度晴れることがあり、その日の早朝堀に行くと水面が二つに裂け、美しい女が玉手箱や鏡や宝剣を持って現れる。この女を笑わせれば、その宝が手に入るという。
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ザイホウ
1983年 茨城県
入檜沢の奥の尺条山のふもとの広々とした耕地には昔長者が住んでいたという言い伝えがある。50年くらい前のこと、ある人が代掻きをやっていて、昼休みに馬が逃げ出して田の中に入ってしまった。馬を田から追い出すと馬の足の1本が真赤になっている。驚いて足を点検してみたが傷ではなく、そこには朱がべっとり付いていた。その人は財宝があるのではないかと田を掘り返してみたがとうとう馬が朱を踏んだ所には出くわさなかった。
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ウマ
1932年 島根県
毛利の大軍が攻めてきた時、城主は再挙をはかるべく単身城を脱した。その時駿馬に一鞭あてると、1里半の遠方である四日市阪に飛んだ。今でもその蹄の跡が残っている。
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オウゴンノニワトリ
1957年 三重県
赤目の滝の手前の一ノ井にいた道潅長者は死ぬとき黄金の鶏を埋め、宝塚という地名が今に残る。
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ガッパ,(カッパ)
1932年 熊本県
明治維新のちょっと前、雨の日の暮方に馬をツツミの中に引き入れた。するとあっという間に深い方へ引き込まれて見えなくなった。ガッパが捕らえたのだと伝えられている。
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キツネ
1989年 茨城県
馬を引いて山に入り沼の傍を通っていると、突然頭上を白いものが飛び越え、馬は手綱を振り切って逃げた。馬は家に帰ってきたが、男が戻らないので家族が心配して探していると、蕎麦の畑で歩き回っていた。こうなった理由はわからないが、おそらく狐の仕業だろう。
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