国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

リョウマ
1987年 山形県
宮集落のある家が山に放し飼いにしていた馬に龍馬が種付けして子が生まれた。その仔馬は垣根の上を猫のように歩いたりできたので、新庄の戸沢公に飼われた。戸沢公がその馬に乗って江戸に行ったら、大火事で領国橋が落ちたときに殿様を乗せ、家来を尻尾に掴ませたまま隅田川を飛び越えて逃げた。それで怪我をして厩で寝ているときにも、半鐘の音がしたら殿様を乗せて逃げようと動き出すほど忠義な馬だった。

類似事例(機械学習検索)

リョウマ
1987年 山形県
宮集落のある家が放し飼いにしていた馬に龍馬が種付けして子が生まれた。その仔馬は屋根に上ったり、杭の上を猫のように歩いたりできたので、新庄の戸沢公に飼われたという。
類似事例

リョウマ
1987年 山形県
龍馬山には龍馬がいた。龍馬は頭が龍で体が馬の生き物で、60年に1度姿を現した。新庄の戸沢公が「そんな生き物がいるはずがない」と言って見に来たら姿を現したので、鉄砲で撃った。それから龍馬は出なくなったという。
類似事例

シカムスメ,シカヒメ
1931年 岩手県
昔、ある奥方が山奥で産をしたとき、鹿にその子を託して死んだ。鹿は赤子を角にくくりつけられたまま山を下り、老夫婦のところに赤子を連れて行った。その子は鹿娘(もしくは鹿姫)と名づけられた。成長した後、長者の家の火焚女になり、長者の息子と結婚したといわれている。この娘は雀がとまったまま梅の枝を折ったり、引き綿の上を新しい草履であるいたり、水の上を歩いたりできたという。
類似事例

オシラサマ
1975年 岩手県
金満長者の飼い馬が長者の娘に恋をしたため娘が病気になった。怒った長者が馬の皮をはぎ栗の木に掛けた所、蚕が生まれ繭をかけた。その後娘は全快したが、馬に乗って宮参りに出たところ、天上から馬の声がして娘と馬が消えた。それでオシラサマを作り供養した。
類似事例

リョウマ
1987年 山形県
龍馬山には白馬の龍馬がいて、60年に1度姿を現した。新庄の殿様が鉄砲で撃ち、それから龍馬は出なくなった。杉沢集落に行く途中の山に、龍馬の蹄の跡のついた岩がある。
類似事例

エンコウ
1955年 島根県
昔、川戸にいた殿様が馬を洗いに江川の畔に出ると、えんこうが馬の綱を体に巻き付けて引きずりこもうとした。驚いた馬は城へ走り込み、えんこうは捕まった。その晩、えんこうが殿様の枕元に現れて、今後は決して村人を害さないことを誓い、証拠として縁の上の岸壁に文字を刻んだ。
類似事例

ソウゼンジンジャ
2001年 青森県
階上に馬の守護神として祀られている蒼前神社にまつわる伝説に、「藤原有家卿物語」というものがある。源平合戦の昔、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の大将・藤原有家卿は、名馬「白馬龍」に跨ったまま海に飛び込み、岩手県種市町の有家に辿り着いた。そこで観音様を拝んだところ、西の方へ行くようにとのお告げがあり、それに従って旅立った。だが、妙野(今の蒼前平)まで来たところで馬がとうとう倒れてしまった。藤原卿は悲しみ、愛馬を手厚く葬り、槻の木を植えた。その後、村人達がそこにお堂を建て、蒼前神社として祀った。
類似事例

ガラッパ
1937年 鹿児島県
天保8年ごろ、ある人が馬を五郎池の辺に繋いでいると、馬が急に暴れだし駆け出した。取り静めてみると河童のようなものが馬の足に綱で絡まって死んでいた。馬を引き込もうとして失敗したのだろう。以降この家では子供ができず、代々養子を入れ家を継いでいる。
類似事例

ウマ
1967年 福島県
昔、ある武士が娘と一緒に住んでいた。武士がある日狩りに出かけて何日たっても帰ってこなかった。娘は自分の家の馬に、父を探してきてくれたら嫁になってやると言ったところ、馬はどこかに走って行き、夕方になって武士を背に乗せて帰ってきた。それから馬は変ないななき声をたてるので、娘に聞くと娘は今までのことを話した。父親は怒って娘を島流しにした。それを知った馬は彼女のあとを追って行方不明になったが、やがてすごすご帰ってきた。それが駒帰り、今は駒ヶ嶺となった。
類似事例

カッパ
1930年 長野県
川のそばの木につないでいた飼馬が、いつのまにか河童と通じて河童のような仔を産んだ。仔馬の頭はくぼんで摺鉢のようであった。
類似事例

ムラヲスクッテクレタオオカミ
1987年 長野県
昔,大屋のこの村は信濃十六牧の一つで,毎年三歳馬を一定数朝廷に送っていた。ある年子馬が全て狼の餌食となり,怒った村人は山のいたる所に罠を仕掛けた。狼の子が一匹罠にかかったので,夜,狼の群れが村を襲ってきて一晩中吠え続けた。村長がやぐらの上から「狼たちよ,お前達も子が捕らえられれば一晩中吠えるではないか。馬の身になってみよ。ましてこの村は馬を飼わねば生きていけないのだ。これからは野山で鳥や獣を取ることをやめるから村を襲うのはやめてくれ」と叫び,狼の子を放すと狼は帰っていった。以後狼を神様として祀り,安心して馬を飼うことができるようになった。
類似事例

ムジナ
1976年 宮城県
立沢の上流に1匹のムジナが住んでいた。人を化かすが害を与えなかったので立沢太郎と呼ばれて可愛がられていた。ある時ある旦那が祝い酒を飲んで帰る際、立沢を通った。旦那は「太郎や、何でもええから化けて見せろ」と言った。すると、波の音が聞こえ、当り一面が明るくなった。あるか沖合いに船が漕ぎ出され、官女が船縁で扇の的を立てている。すると馬にまたがった武士が泳ぎ出て、弓に矢をつがえて放ち、矢は扇の的に命中、当りは拍手喝采となった。やがて鳴り物の音がおさまると、あたりは元の暗闇に戻ったという。
類似事例

エンコウ
1955年 島根県
正保の頃、那賀郡今福村宇津井の庄屋が川岸に馬を繋いでおくと、毎晩えんこうがこれを解く。ある日、馬屋に行くと、桶の中にえんこうがいたので、捕まえて打ち、結局許したが、やがて庄屋は病に伏した。夜な夜な庄屋の名を呼ぶ声がするので、声を頼りに追いかけると、橋の袂でえんこうと組み打ちになり、ついに組み伏せた。
類似事例

リュウジョ,ダイジャ,コマヅカ
1976年 兵庫県
康保4年の冬、源満仲が能勢の山で猟をした時、夢に竜女が現れて、礼に竜馬を与えるので川下の大蛇を退治して欲しいと願った。目覚めると1匹の馬が傍にいた。満仲はその馬に乗り大蛇を退治した。満仲の死後も馬は生きていたが、やがて死に、家臣の者が馬を山岳に埋めてその上に堂を建て、駒塚山堂と名付けた。その後文明2年3月18日から毎夜駒塚が発光した。慈光山普明寺の住僧が塚で普門品を誦したら、たちまち雷鳴して馬の頭が出現した。住僧はそれを持ち帰り竜馬神と名付け金堂に納めた。
類似事例

コマガタイワ
1987年 長野県
昔,滝の沢の山道を,まだ小さい兄妹が馬でやってきた。霧の深い日で一寸先も見えず,まず兄が,次いで妹が谷底に転落した。谷は高さ数十メートルもあり,落ちればまず助からない。しかし,しばらくして村の者が白い馬に抱かれるように気を失っている妹を見つけた。妹には怪我一つなかった。妹は駒形(馬の形)が岩に刻まれていたと聞き,信心深い兄が身代わりになって命を助けてくれたのだと言った。兄妹は名のある土豪だったが父が防人に召されている間に手代に家や土地を奪われ,父を探す旅をしていたのだという。丁度この時武人が通りがかり,騒ぎを知って女にあった。武人は父であった。父はその後村人と協力し村のために尽くした。村の発展は駒形岩のおかげだと,今も駒形神社で祭りが行われている。
類似事例

ヤマンバ
1942年 不明
馬子が峠で山姥に鯵を求められる。馬子が山中の1軒屋に逃げ込むと、そこは山姥の家で、帰ってきた山姥が釜の中に寝たので、下から火を焚いて焼き殺した。
類似事例

ケモノ
1980年 静岡県
遠州見付の天神さまに、人身御供の風習があった。通りかかった六部がお告げを聞いて、お告げ通りしっぺい太郎という犬を娘の代わりに箱に入れて連れて行く。しっぺい太郎は娘を食べようとやってきた獣をやっつけるものの、傷を追って、観音山まで来たところで息を引き取ってしまった。あるいは、観音山まで来たところで、しっぺい太郎は六部と大木の下で眠っていた。すると突然しっぺい太郎が吠えだし、六部に飛びかかろうとしたので、六部は鉄砲で撃ち殺してしまった。しかし、しっぺい太郎は木の上の大蛇に飛びかかろうとしていただけであったとも言う。
類似事例

モチヅキノコマ
1987年 長野県
豪族望月氏に生駒姫が生まれた日,牧に月毛の馬が生まれた。生駒姫が13歳の時天皇に召されることになり,それを聞いた月毛の駒はものを食べなくなり,衰弱してしまった。修験者を呼んで占ったところ駒が娘に恋をしていることが判明し,娘も都に上るより月毛と一緒に暮らしたいと言い出した。そこで望月の殿は月毛に難題を出し,鐘四つから九つまでの間に御牧七郷を三回まわれれば娘をやると約束した。到底不可能と思われたが,月毛が成し遂げようとしたので偽の九つを打たせたところ,月毛は絶望して崖に身を投げてしまった。その後生駒姫は尼となる。崖の中腹の洞窟に,今も馬頭観音が祀ってある。
類似事例

カザコシトウゲ
1956年 宮城県
北村の大沢の八郎右衛門という男が月夜に石巻からの帰還、峠で狼の狗吠(くぼえ)を聴き、声のする方へ近づくと、狼が馬の骨を咽喉に立てていた。これから馬を襲うような悪さをするなと言い聞かせて骨をとってやったら、喜んで藪の中に消えた。その後、八郎右衛門が夜になって帰るときは送ってくれたという。
類似事例

リョウマ
1935年 長野県
長野市郊外の相原神社では藁製の馬を献ずる。この馬にまつわる伝説が『桐原八景』にある。信州水内郡相桐は桐原というが、そこに成務天皇の時代、壬申年2月8日この野に龍馬が出現した。村の長がこの龍馬を捕らえて天皇に献上した。この龍馬は天皇崩御の後虚空に飛行し不尽山に入り、推古天皇の時代に不尽山を出て甲州に下った。甲州曽我の大臣はこれを捕らえて聖徳太子に献上して聖徳太子はこの馬に乗って7日間虚空を飛行し、霊山奥窟に分け入った。太子崩御の際には葬礼に供し、廟の前で死んだという。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内