ウメ,ノキバノウメ 1956年 宮城県 掃部という富者の一人息子小太郎が観音を信心して軒端に一本の梅を植えた。父が旅先で象潟の商人の娘を嫁にもらうことを決めて帰ってくると小太郎は死んでいる。娘は一旦夫と決めたからには生死にかかわらないと、養女になって孝養をつくし、掃部没後は松島寺で尼となり、名を紅蓮とする。ある時小太郎の植えた梅が咲くのを見て「植え置きし花のあるじははかなきに軒端の梅は咲かずともあれ」と詠むと翌年から咲かなくなり、「咲けかしな今はあるじと眺むべし軒端の梅のあらん限りは」と詠むと翌年からまた咲くようになった。
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サネカタヅカ 1956年 宮城県 在中将藤原実方は長徳元年(995年)3月、東山の桜狩りに「桜狩り雨はふり来ぬおなじくは濡るとも花の蔭にかくれむ」と詠み、絶唱と称えられたが、衆の前で藤原行成に「歌が美しいがおこの者なり」とけなされ、実方は怒って行成の冠をつかみ、紫宸殿の廊下に投げる。一条天皇の怒りにふれ、陸奥の歌枕見て参れと陸奥守に遷され、多賀国府に下る。同4年11月、出羽に阿古耶の松を訪ねての帰途、名取郡笠島の道祖神の社前を通り、邪神として乗り打ちしたところ、馬が棒立ちとなって落馬し、今、仮宿と称する民家で死ぬ。享保7年(1722)11月4日五代藩主吉村が詣で塚を修築。
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ヒサメ,ホラガイ,カネ 1980年 文政の或る年の5月に、黒雲が館林の方から起こって南に向かった。ところが沢飯野という場所で法螺貝を吹き、鐘を大いに鳴らしていると、黒雲は忽ち東に逸れて行き、別のところで激しく雹を降らせたという。雹が降ったときは物を鳴らして追いやると早く無くなるといわれている。
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タケダグサ,ツヤヒメグサ,オンナ 1931年 山梨県 天正年間、武田勝頼は城を織田信長に攻められた。その時、武田の家来だった男と、恋仲だった艶姫は離れ離れになり、姫は捕らえられた。その後、姫は脱走に失敗し、自害して堀に身を沈めた。その次の春から、その堀には見慣れぬ水草が生えるようになった。里の者は艶姫の精だとして、武田草、艶姫草と呼んだ。4月29日の祭りは毎年雨であるが、何年かに一度晴れることがあり、その日の早朝堀に行くと水面が二つに裂け、美しい女が玉手箱や鏡や宝剣を持って現れる。この女を笑わせれば、その宝が手に入るという。
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チゾメノサクラ 1961年 岐阜県 足利義視は赤坂の長者の女蟹氏の局との間に一子をもうけたが、乳母があやまってその子を井戸に落としたので、乳母を斬って井戸に投じ、その井戸を埋めて桜を植えた。その桜は毎年血のような花が咲く。
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シシマイ 2001年 栃木県 獅子舞の由来。賊を平定した藤原利仁の亡骸を葬ろうとした時に、空がかき曇り暗闇のようになった。そこで獅子を舞ったところ晴天白日となり無事に利仁の葬祭ができたという。
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ホタル,タマシイ 1978年 滋賀県・京都府 江州勢田や城州宇治川辺りに、5月の末に蛍見物に人々は出かけるが、俗にこの蛍は源平合戦で死亡した亡魂であるという。
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ハナサキイシ,ヤマトタケルノミコト,アクゼイ,アクレイ 1935年 群馬県 日本武尊が奥上州にやって来たとき、山に悪勢という魔神が住み、朝廷に背き人民を困らせていたので成敗した。神通力で戦いながらも敗れた悪勢は、山に包囲されて焼け死んだ。その娘は清純な処女だったが、武尊の軍勢に阻まれ自殺した。彼女の従者は哭き死んで、その亡魂が石となり、花が咲いたという。それでこの石を花咲石といった。悪勢らの悪霊は祟りをなしたが、石神として祭ると止んだという。
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シットザクラ 1940年 三重県 昔、一身田に1人の農婦がいた。その夫が妾を囲っていたのに怒り、菜刀で夫に襲いかかったが、夫は専修寺境内の桜の下に隠れた。妻がこれを見つけて一撃したが、狙いがそれて樹幹に当たり、刀がどうしても抜けなくなった。両名は互いの非を悟り、事なきを得たという。桜は寛政の頃に、枯死したという。
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ハナヤマ,オンタケサン,シャクナゲ 1956年 宮城県 石楠花の大群落が開花すると、御嶽山の全山を彩るため地名となった。掘り取る者がいると、御嶽山の神は石楠花を惜しむので、山が荒れる。
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オキク 1982年 愛知県 この地の前野清水に、振られた恨みで男がお菊を殺してこの清水に投げこんだ言い伝えから「おそろしいぞや前野清水、死んだお菊が化けて出る」という唄がある。
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ナンガクボウ,ナンガクバナ 1931年 滋賀県 昔、南覚坊という行者がきて、真言秘密の不思議な術を使ったため、首をはねられた。その年、村には病気が流行し、飢饉にもなったため、南覚坊の祟りといわれた。法蔵寺で南覚坊を手厚く弔ったが、その翌年から、首を切った下役の家の甘薯芋には朝顔のような花が咲くようになり、その後もこの家が富むことは無かったという。村人はその花を南覚花と呼び、不吉なものとしている。
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セチエサクラ 1983年 愛媛県 伊予国和気郡山越村に、毎年正月16日に桜がある。伝えるところによると、この近くに了恩寺という寺があり、住僧が桜を愛していた。しかし1年して病に臥し、今年はもう桜をみる事ができないと木に向かって嘆いたところ、翌日にことごとく咲いたという。そこから十六日桜ともいう。
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サクラ,サクラノセイ 1928年 新潟県 寛延改元の春、花見をしていると、桜の大木の梢の花から「花も今年限り、人々も今年限りぞ、あら名残惜しや、さらば、さらば」と聞こえてくるという出来事が3日ほど続いた。この噂が広まり、花見客はいなくなった。翌年、予言どおりに桜は枯れてしまった。
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シシマイ 2001年 栃木県 関白の獅子舞の由来。延喜12年(912)に藤原利仁が下野高野山にたてこもった賊を平定し、この地で死亡したので、この葬儀をしたところ一天にわかにかき曇り、一帯が暗闇となったので臣下の青木角太夫と青木一角が獅子を家人に舞わせたところ、晴天となったことから始まったという。
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〔ジョウゲンチュウ〕,オキクムシ 1974年 滋賀県 近江国志賀郡別保の里に常元やしきと俗称される家があり、ここに居る者は必ず禍があるという。その故を尋ねると、蒲生家の侍だった南蛇井源太左衛門なる無頼が諸国で悪行を重ね、生まれ故郷の別保に帰って剃髪して常元と称した。慶長5年に以前の罪で捕縛された常元は、その家の柿の木に縛られて最後には斬られた、しかしその骸を木の根本に埋めたところ、数日後、顔や目口鼻がある人を縛っている姿に似た妖しい虫が、毎年多く墳上に現れて、蝶に化けて消えたという。人々はこれを常元虫といった。
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ザンネンザクラ,ムチ 1929年 栃木県 城が落城する時に、駆けつけようとした武将が、到着前に敗北の知らせを聞き、残念がって持っていたむちを捨てた。そのむちが根付いて桜の木になり、残念桜という名前で呼ばれている。
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ウシオニ 1966年 三重県 五ヶ所城城主愛洲重明が、山で日向ぼっこしていた牛鬼を一矢で射殺した。川は血に染まり、牛鬼は滅んだ。その後、北畠氏の出である奥方がテンケイ病を患ったとも、祟りで重明が奥方に嫌気がさし、京都からきた女を愛するようになり、北畠氏と仲が悪くなったともいう。そして奥方は世をはかなんで死んでしまった。
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イナムシ,ボウレイ 1923年 静岡県 元亀3年合戦に敗れた武田方の軍兵が、淵に身を投げて死んだ。翌年そのあたりが稲虫に襲われたが、亡魂の祟りであると噂された。
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カメ 1976年 青森県 明和6年8月、奥州津軽の浜辺を百姓が歩いていると、亀が鳥に襲われ殺されそうになっていた。百姓は鳥を追い散らし亀を助け海に戻した。その夜、夢に童子が現れ、恩を報じたいので、卜檀という薬木を奉りたい、浜に来て欲しいという。眼が覚め浜に行くと、亀が現れ木の枝のような黄色い物をくわえてきた。津軽の領主がそれを聞き付け、医者に見せたところ、本草にはあるが、いまだ見たことがある人がいないといった。
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