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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ツバキ
1928年 長崎県
ジョアンヌという伴天連に洗礼を受けた冶兵衛という男はセバスチャンという聖名を授けられた。セバスチャンは長崎県外海地方の三重村樫山赤ヶ岳にきたとき、そこに1本しかない白銀色の花が咲く椿の幹に指で十字架を刻んだ。その後、この木が切り倒されたとき、切り口から乳白色の涙が流れたという。

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スギ
1936年 島根県
神楽のことで理屈に合わないまま言い負かされた男が、神社の杉の枝を折って祈り、うやうやしく自らの里へ持ち帰ると、枝が新芽を出したので、社殿を建てて祀った。
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アオダイショウ,ヘビ,リュウ
1937年 愛知県
山の小屋に寝かせておいた赤ん坊が激しく泣いた。行ってみると、赤ん坊は蛇に右足を咬まれていた。その後、小屋の近くで見つけた蛇を殺した。その後、蛇は山の主ではないかということになり、祠を建てた。ある時、材木商の職人が祠の中にある盲の蛇の絵に悪戯をした。翌日、仕事に行くと頭上で龍を見た。見直すと藤蔓だったが、男はまもなく死んだという。
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カシノキノタタリ
1992年 奈良県
大きな古い樫の木があり、そこに稲荷さんが祀ってある。昔、その樫の木を切ったら血が出た。祟りにあい、木を切ることができなかったので、稲荷さんを祀ったのだという。
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ナエシロサクラ
1987年 長野県
堂の山の墓にある苗代桜の枝を,邪魔だといって切った人は病気になったという。この桜は,六川長三郎勝家が神から授かって植えたものとされ,この桜が咲けば苗代を作ってよいとされた。
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ツエスギコウボウダイシ
2005年 愛知県
昔,愛媛県浮穴郡荏原村に住んでいた衛門三郎は托鉢にきた弘法大師の鉄鉢を叩き割った。すると8人の子供が次々死んでしまい,反省した三郎は八十八ヶ所巡礼に出かけた。21巡目に逆参りをすると,焼山寺で大師に会い許された。伊予城主河野一族の世嗣に生まれることを願うと大師は小石に「衛門三郎再来」と書いて臨終前三郎の左手に握らせた。天長8年10月30日のことである。三郎の杖を大師が墓標に立てると,その杖から芽が出て杖杉と呼ばれる大杉となった。60年後,道後湯築城主河野息利に息方という男子が生まれたが,この子は三郎の生まれかわりで左手に「衛門三郎再来」と書かれた小石を持っていた。
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アカナシノキ
1993年 岩手県 
処刑されたキリシタンの血を吸った木に赤い梨が成るようになった。
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ウメ,ノキバノウメ
1956年 宮城県
掃部という富者の一人息子小太郎が観音を信心して軒端に一本の梅を植えた。父が旅先で象潟の商人の娘を嫁にもらうことを決めて帰ってくると小太郎は死んでいる。娘は一旦夫と決めたからには生死にかかわらないと、養女になって孝養をつくし、掃部没後は松島寺で尼となり、名を紅蓮とする。ある時小太郎の植えた梅が咲くのを見て「植え置きし花のあるじははかなきに軒端の梅は咲かずともあれ」と詠むと翌年から咲かなくなり、「咲けかしな今はあるじと眺むべし軒端の梅のあらん限りは」と詠むと翌年からまた咲くようになった。
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シンランショウニン,カキ
1929年 富山県
親鸞聖人は、立ち寄った家で串柿を食した。その種を三つ植えると、一夜にして芽を出した。それを三本柿と呼び、その地を柿木町とした。木を切ってしまった人は、お叱りをうけた。今では柿の木は芽生であるが、その木と徳法寺の柿の種には、全て焼いたような黒い斑点がある。
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カミノレイゲン
1984年 愛知県
尾張の農家生まれの林善四郎は妹の病が良くならないので不憫に思い44歳で信仰の道に入った。欲を投げ捨て、木曽の山で修行をして神の道に精進して、御岩屋のお穴をほり祈願を成された。神仏に百日の誓いをかけて、断食、無言の行を行いながら穴を掘られたが、村人の中には反対するものもあって3分の1程で村役から危険であるのでやめろと中止を命じられた。それでまたもとのように穴を泥砂で埋めると、神の霊験不思議なるかな、一夜の間に埋めた土砂は吹き飛んで跡形も無く穴はもと通りになった。
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キヌガサノベンテンサマ,(ゾクシン)
1965年 愛媛県
重茂山の城主・岡部十郎には聡明で美しい姫がいた。城が落ちるとき、姫は落ち延びて普請中だった自分の御殿を目指した。途中で被っていた菅笠のために追っ手に見つかった姫は自害した。後に村人が祠をたて、弁天様にお祭りしたのが「衣笠の弁天様」である。一生菅笠をかぶらないと誓って願うと、加護があるといわれている。
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ツエツキサクラ
1928年 長野県
桑原村字佐野の薬師堂境内にある桜は、西行法師が諸国を巡遊している途中で、杖を湖畔に刺していったものが芽生えたものであるといわれている。
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ノノダケヤマ
1956年 宮城県
延暦2年(783)磐井郡達谷の岩屋の蝦夷の頭目高丸が、駿河の清見ヶ関まで攻め上がった。坂上田村麻呂が勅を奉じて撃退し、高丸を追って神楽ヶ岡で殺し、その党悪路王を斬った。その後、山上に敵味方を埋葬し、大塚を築いて上に観音堂を建て、地主権現の白山の社前に矢を射て蝦夷平定を祈願した。この矢が地に突き立って根を生じ、箆といい、それを山名としたという。
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シンボク
1928年 台湾
明治の末頃、内地から台湾に渡った樵夫たちがいた。この樵夫たちが大木を切る仕事を請け負ったが、源五郎という男がこの仕事はやめようと言った。不思議な夢を見て、その中で仙人姿の老人が神木を切ると血が流れ、山が鳴動して異変が起こるといったのだという。翌朝、作業にかかろうとすると、木の上から血が落ちてきた。結局、木を切り倒すのは中止になり、酒を供えて注連縄を張り、謝罪して樵夫小屋へ引き上げたという。
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リュウジン
1934年 鹿児島県
ある日、花売りの男がネインヤの神様に捧げようと、波原めがけて花を投げ込んだところ、一人の男が出てきて、礼をしたいから一緒に来てくれと言った。男は貴重な犬をもらったが、後に兄に犬を殺されてしまった。しかし、兄は犬を殺した報いを受けて死んだ。
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ムネワリアミダ
1956年 宮城県
昔、この寺の住職が京の戻りに木曾街道で追剥にあったとき、傍の大木が突然倒れ追剥は下敷きになって死んだが、逆恨みに和尚をにらんだ目つきが忘れられなかった。寺に帰って留守中に生まれたという門前の家の子供の見舞いに行き、赤ん坊を抱いたところ、和尚を見つめた赤ん坊の目つきが追剥の今際の際の目とそっくりだった。和尚はついに乱心し赤ん坊を殺したので、磔に決まった。寺の前は七北田刑場への引き廻しの道筋で、処刑の日に小僧たちは泣きながら見送り本堂に引き上げると、パチッと音がして本尊の阿弥陀如来の胸がタテに三寸ほど割れた。京へ送って修理したが寺に帰ると割れる。何度修理しても元にもどらず、そのままになっている。
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ツエ
1925年 長野県
更級郡佐野の薬師堂に、西行が参拝したときに、池の畔に刺した杖が成長した桜がある。
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エンキリエノキ
1929年 埼玉県
川越街道の岐路の庚申碑の傍に榎の大樹があり、信仰されていたが隣家の火事で根株だけになってしまった。この榎の欠片を粉にして湯茶に混ぜて飲ませると男女の悪縁が切れるといい、祈願成就のお礼の絵馬を奉納する女もいたという。
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カミヅツミ,ハクハツ,リュウグウジョウ
2003年 沖縄県
龍宮城でもらった紙包のおかげで与那覇の村に帰ってきた男だったが、村人は皆知らない人ばかりで、家も変わり果て家族もいなかった。男は呆然として、桑の杖を傍につきたてて穏作根をした。そしてふと思い出して紙包を開けたところ、中から出てきた一束の白髪が男の体にまとわりつき、男は見る間に老いてそのまま枯れるように死んでしまった。男がいた丘を穏作根嶽という。
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サネカタヅカ
1956年 宮城県
在中将藤原実方は長徳元年(995年)3月、東山の桜狩りに「桜狩り雨はふり来ぬおなじくは濡るとも花の蔭にかくれむ」と詠み、絶唱と称えられたが、衆の前で藤原行成に「歌が美しいがおこの者なり」とけなされ、実方は怒って行成の冠をつかみ、紫宸殿の廊下に投げる。一条天皇の怒りにふれ、陸奥の歌枕見て参れと陸奥守に遷され、多賀国府に下る。同4年11月、出羽に阿古耶の松を訪ねての帰途、名取郡笠島の道祖神の社前を通り、邪神として乗り打ちしたところ、馬が棒立ちとなって落馬し、今、仮宿と称する民家で死ぬ。享保7年(1722)11月4日五代藩主吉村が詣で塚を修築。
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ハナサキイシ,ヤマトタケルノミコト,アクゼイ,アクレイ
1935年 群馬県
日本武尊が奥上州にやって来たとき、山に悪勢という魔神が住み、朝廷に背き人民を困らせていたので成敗した。神通力で戦いながらも敗れた悪勢は、山に包囲されて焼け死んだ。その娘は清純な処女だったが、武尊の軍勢に阻まれ自殺した。彼女の従者は哭き死んで、その亡魂が石となり、花が咲いたという。それでこの石を花咲石といった。悪勢らの悪霊は祟りをなしたが、石神として祭ると止んだという。
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