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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ジャンジャンビ
1935年 奈良県
大安寺と白毫寺の火が出会うミヨート川には石碑があり、ミヨート墓という。子どもが死んだ時埋めたので、子供塚ともいう。または、木辻の女郎を捨てたので、女郎墓ともいう。

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ジャンジャンビ
1935年 奈良県
大安寺と白毫寺のは、昔、侍と木辻の女郎とが心中したが、掟で一緒に埋められず、二箇所に埋めた。そのため、魂が逢いたくて火になって出てきたという。
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ジャンジャンビ
1935年 奈良県
大安寺と百毫寺のジャンゝ火は、ミヨート川の上で出会い、もつれあって、やがて帰っていく。見つけた人は頭を下げて、けして見てはいけない。もし見たら、その人の上をさまよって殺してしまう。
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アカンボウノナキゴエ
1990年 福島県
水沼の墓地と道祖神の間の窪地は、間引いた子供を捨てたところだという。その窪の前を通ると赤ん坊の泣き声がする。窪の前の道を童子路という。
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トラマツノヒ
1984年 埼玉県
昔、白石に乞食の親子が居ついていたが、子どものトラマツが盗み食いをして、村人に殺されてしまった。村人はその死がいを峠の木の枝につるしておいたので、親の乞食は「この土地に祟れ」と言ってどこかへ行ってしました。その後、白石では何かよくないことが起る度に峠に青い火が見えた。その火をトラマツの火といった。後にムラの人たちはトラマツのために地蔵を峠に建てて祀り、それをトラマツ地蔵という。
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レイコン
1936年 香川県
寺の火事の原因を作った罪で死刑にされたものの墓の木を伐ろうとしたら、霊魂がその人の娘に憑き、子孫までも禍を及ぼすと言うので、石碑を建てて鎮めた。
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(ゾクシン)
1975年 愛知県
教円童子の墓というのが市場などにある。子連れの乞食が子供を残して村で死んだので、子供を育てた。この乞食の墓とも子供の墓ともいう。煙草を供えると、子供の病気を治してくれるという。
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ボウレイ
1974年 東京都
角田川のほとりにある子の墓で母親が念仏すると子の亡霊に会うことが出来た。母は妙亀という尼になり傍らの庵に住んだ。故にこの地を妙亀山という。
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シュテンドウジ
1988年 奈良県
白毫寺の稚児が死人の肉を切り取って師の僧に勧めた。僧は知らずに珍味と喜んだので、稚児は奈良の町に出て人を襲い、師の僧に肉を差し出すようになった。僧は稚児の跡をつけてそのことを知り、縛って山に捨てた。その坂を稚児坂と言う。その稚児は大江山にいき、酒顛童子となったという。
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オバメ
1940年 兵庫県
武庫川の辺に「亀井戸の社」という石塚がある。この塚は川向こうの村で踊りがあるといって連れ出され、石子詰にされた者の塚だといわれ、夏の夜、ここからオバメという火がでる。
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オシドリ
2002年 栃木県
大町に六面に六地蔵を彫った五重の石塔があり、鴛鴦塚という。昔この辺りに猟師がいて、求食川上流の求食沼で、雄の鴛鴦を射止めて首を切り、体だけを持ち帰った。翌日同所で雌鳥を射止めると、その翼の下に雄鳥の首を抱いていた。之を見た猟師は発心し、本宮寺に入り、求食川の河畔に草堂を結び、鴛鴦夫婦の塚を設け、冥福を祈ったという。
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オオスギノレイ
1967年 福島県
昔、笹木野の大杉の霊が美男と化して美女の元に通った。女は2子を産んだが、子供とともに死んだ。これを葬ったのが二子塚だといわれる。
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イシ
1929年 大分県
昔、夫婦が敵に追われて落ちのびてきた。死して石になり、女性はミコト様として祀られ上阪田にあり、男性の方は四歩市にある。
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ユウレイ
1996年 香川県
西の御所と松のお墓で子供の泣き声がするという。ある人の話では、息子の吉次が堀に落ちて急死したことをなげき、お母さんがあとを追ったのだと言う。時にはお母さんのすすり泣きがすることもある。雨の夜には、大小の火の玉が出るともいう。
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カッパ
1957年 新潟県
河童塚は、馬の尾についてきた河童が境内に入ると、法力で見破って捕らえたところを、ここに埋葬したところからきている。
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ジゴクヅカ
1982年 群馬県
地獄塚は昔の戦死者を葬った塚で、掘ると火の雨が降るという。
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ヒノアメ
1980年 広島県
たくみのかわちの石塚がある。これは昔、火の雨が降ったときにできたものだという。
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ヒノアメツカ
1987年 長野県
茂田井の村境にある塚。昔,火の雨が降ったとき,人々がここに隠れた。
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シロザル
1992年 宮崎県
ある男が、諸塚と椎葉の間の槙の大木を切り出そうとしたが、容易に倒れなかった。それは市山大明神の神木だからだと知り、京都滝口大明神の印入りの斧を用いて倒した。そのとき、槙の大木から白猿の夫婦が飛び出し、悲しそうな顔をして去った。男は木を川に流して美々津まで行ったが、猿もついてきた。その夜、槙は不審火で全焼してしまった。白猿の夫婦は市山大明神のお使いだった。
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ジャンジャンビ
1935年 奈良県
奈良の北の法連寺町のトモ寺と岩淵寺にも伝説がある。トモ寺に女を、岩淵寺に男を埋めたためだといわれている。
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ヒノアメツカ
1987年 長野県
茂田井の村境にある塚。これは「血の雨塚」だという説がある。昔,若い殿様が死んだとき,人々が嘆き悲しんで血の雨が降った。その若殿様の塚だという。
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