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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

アオ,ウマ
1935年 群馬県
塩原多助という豪農の息子がいた。父の死後家を相続し一心に稼いでいたが、継母お亀が浪人者兄弟を引き入れて不義を働き、多助を邪魔にして虐待するので心を決し家出した。その時愛馬青と別れを惜しみ、涙を流して月をも曇らせたという。江戸に出た多助は努力して分限者となった。一方青は主人の家出後、お亀が娘と浪人者を祝言させようとした時にその婚礼の席に躍り込み、花嫁花婿を食い殺したという。

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(オキクノタタリ)
1982年 群馬県
小幡の殿様が妙義で見初めた菊という女を侍女にし、寵愛したので他の侍女や奥方から恨みを買い、お菊が殿様に差し上げる御飯に針を入れられた。殿様は怒ってお菊を責め、お菊は宝積寺の山門まで逃げてかくまってくれと言ったが、寺は門を開けなかった。お菊は追手につかまり、蛇とムカデの入った樽に入れられ、宝積寺の池に投げ込まれて死んだ。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池のほとりに炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで宝積寺の山門は何度建てても焼けてしまう。
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オニ
1943年 鹿児島県
昔々、娘を3人持った寡婦がいた。大水で帰れなくなった母親を鬼が助けるかわりに、娘をくれと言ってきた。末娘が嫁に行くことになったが、鬼は急流に流されて娘は助かった。その後、娘はアジガナシの妻となって華やかな生活を送ったが、嫉妬した姉に殺され、鰻になった後、夫に食べられてしまった。
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テナシムスメ
2001年 青森県
昔、大阪の辺りに大金持ちがあったが、ここに来た後妻は娘を憎く思い、父が留守の間に家来たちに殺すように命じた。家来たちは娘を良く思っていたから殺すのに忍びなく、その両手を切って捨てるに留めた。娘が泣きながら京都の許婚のもとまで行ったところ、可哀想に思ったその若主人が、娘を妻とした。
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サル
1934年 栃木県
御大尽の娘を、猿が嫁に欲しがった。猿が旱の時に水番をして助かったので、娘はしぶしぶ嫁にいったが、盆の里帰りの折、うまく言って猿を殺してしまい、家に帰った。
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サカサヤツハシノイケ
1956年 宮城県
元禄の頃(1688~1704),清水小路の連坊小路寄りに浅間某と言う大身の侍の屋敷があり,八ツ橋の池と言う小沼があった。浅間某はこの池の辺の離れ家に綾目という愛妾を住まわせ,彼女を大変愛していた。しかし本妻撫子は嫉みから情夫大橋某と共謀して綾目を殺害,池の泥深く埋めた上,主人には綾目が不義を犯し出奔したと讒訴した。その秋,浅間某が歌舞妓五月女を宴席に侍らせた。五月女が化粧をしていると鏡に自分ではなく姉綾目女の顔が映る。他人に見せても五月女の顔に違いないと言うので不思議に思っていると,その夜の夢に綾目女の霊が現れ,自分は殺されて池の底に埋められている,怨念を果たしてほしい,と話して消えた。この話を聞いた主人が池の底を浚わせたところ,愛妾の遺骸が出てきた。五月女が再び鏡に向かうと,杜鵑が一羽そこからとび出して西の方に飛び去った。また,池の水がそこに通ずる小溝を逆に西の方に流れるようになったので,これを逆川(サカサ)と呼ぶようになった。
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ウグイス,ボウレイ
1936年 福島県
昔々、お園という10歳ほどの女の子がいた。あるとき、父親がお花という連れ子のいる女と再婚した。継母は我が子に家を継がせようと、父親が留守の間にお園を忙殺し、庭に埋めた。父が帰ってきたとき、お園を埋めたあたりから鶯が飛び出し、お園が殺された経緯を語った。継母は役所に突き出され、獄屋でお園の亡霊に責められて狂死し、お花は野垂れ死にしたという。
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ホトケ
1941年 不明
心中しようとした家族の息子を、通りかかった人が不憫に思い連れて帰って自分の娘と添わせるために育てた。するとその息子は他に女をこしらえてしまったので、娘は家を出た。母は娘を探し出し、どうか家に戻ってくれと頼んだ。そこへ娘の言い交わした男も一緒になってくれといいに来た。娘はどっちに行けばいいかわからず、橋から身を投げた。娘の体は二、三間流れたあと仏になって緋の衣を着た姿になり、わきへ上がっていった。
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ダイジャ
1932年 新潟県
松崎四郎太夫の倅玉之助が18才のある日、青柳の池で釣りをしていると美女と知り合い、夜な夜な訪れるようになった。四郎太夫はそれを怪しみその跡をつけると、池の辺で姿を消した。これは化生の者だと思い矢で射ると、それは大蛇で腹には子が宿っていた。その赤子は米山の寺に僧にすべく送られたが、16才の時生い立ちを知り、四郎太夫たちを殺して盗賊となった。
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ウシオニ
1966年 三重県
五ヶ所城城主愛洲重明が、山で日向ぼっこしていた牛鬼を一矢で射殺した。川は血に染まり、牛鬼は滅んだ。その後、北畠氏の出である奥方がテンケイ病を患ったとも、祟りで重明が奥方に嫌気がさし、京都からきた女を愛するようになり、北畠氏と仲が悪くなったともいう。そして奥方は世をはかなんで死んでしまった。
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アカイテ
1990年 長野県
三才山の庄屋の娘・おみつは働き者の美人で、ムラの若者と恋仲になり、芦ノ田の池の淵で逢瀬を重ねていた。松本の殿様がおみつを見初めて城へ召し上げようとしたが、おみつは断って若者と会っていた。殿様は二人を切り捨てて池へ投げ込んだ。以来、馬を連れて池の端を通ると、池から血まみれの赤い手が出てきて、馬の尻尾を引っ張ったという。
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ヘビ
1974年 埼玉県
武州板橋から1里ほどいった処の西戸田村に、2人の娘を持つ寡婦がいた。その姉の方も不孝者で、母に食事を与えなかった。姉の夫が隠れて食物を与えたが姉に見つかり、食物を奪い取って蹴散らした。それもあって母が病気にかかり、泣く泣く寝屋から出て井戸に身を投げた。姉の夫は驚いてハシゴを降ろそうとたところに姉がやってきて、姉は誤って井戸に落ちた。すると母は半身が蛇となって姉に巻き付いたが、夫の志が忘れがたく、やさしさを気にかけて許すと言って姉を放し、母は死んだという。姉もしばらくして死んだ。
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イノシシ
1928年 愛知県
豊田という家に子供のときから世話になっている女がいた。同じ郡内の島原某という狩人の女房になった。ある時、狩った猪の臓腑を抜こうとして山刀を突き通すと猪は一声「痛や」と叫んだが、気にとめずに料理してしまった。そのとき女は臨月であった。その後、女は子供を産み落としたが、その子は胸から腹にかけて腹を裂いた猪と同様に一太刀割られた姿であったという。女はその後離婚して旧家へ戻り、奉公していたと言われている。
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(オキクノタタリ)
1982年 群馬県
国峯城主の小幡公が侍女の菊ばかりを寵愛したので他の侍女が妬み、公の御飯に針を入れて、菊の仕業とした。菊は蛇責の刑となり、桶に入れられて宝積寺の池に沈められた。日野村の小柏源六が通りかかった時に桶を開けると、大量の蛇と瀕死の菊が出て来た。菊は「このご恩にお家に蛇の害は無いように致します」と言って亡くなった。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池の辺に炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで小幡家に戦死や切腹の沙汰が続いたので、宝積寺に碑を建てて供養した。
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カメ
1932年 長野県
金持ちの娘の澄江という人が急に元気がなくなった。父母が不思議がり、強い男を澄江の部屋の近くに忍ばせた。夜、澄江は若い男が会いに来たので、見張っていた男を斬りつけた。若い男は大亀だった。
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(オキクノタタリ)
1982年 群馬県
小幡の殿様が侍女の菊を寵愛したので奥方や侍女の恨みを買い、殿様に差し上げる御飯に針を入れられた。殿様は怒って菊を責め、蛇の入った樽に入れ、宝積寺の池に投げ込んだ。小柏源介という侍が悲鳴を聞いて樽を開けると、瀕死の菊が出て来た。菊は「このご恩にお家に蛇の害は無いように致します」と言って事切れた。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池の辺に炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで小幡家に怪異があったので、宝積寺に碑を建てて供養した。小幡家では菊は植えない。
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ヤマンバ
1936年 岩手県
牛方が残った魚を山姥にやったが、山姥は食い足りないといって牛も食べてしまう。牛方は逃げて、百姓の家に隠れる。しかし、その家の妻に長持ちに穴をあけられ、湯を注がれて殺され、金を奪われる。主人公が不幸になる話は珍しい。
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オツキトオホシ
1956年 宮城県
お月は先妻の子、お星は後家の子で、どちらもかわいく本当の姉妹より仲が良かった。しかし後家の母は実の子のお星ばかりかわいがり、お月をいじめる。あるとき後家がお月を殺そうと朝から包丁を磨いでいるのをお星が見つけて尋ねると、後家は「南瓜をたく」と言い訳をする。利口なお星は真相に気づき、自分の布団にお月を隠し難を逃れる。次の朝殺したと思ったお月が起きてきたのを今度は石のカラヒツに入れる。お星はカラヒツの下の穴からこぼすようにとお月に芥子の実を渡し、泣きながら「春になったら迎えに行くから」と言う。お月は山奥の土中に埋められるが、春になって咲いた芥子の花をたどっていったお星が山奥でお月と出会う。お星が持ってきたお粥を食べて元気がつくと2人でどこかへ消える。後家は年をとってざとうになり「お月とお星がいるならば、なあしてこの鉦叩くべや」と言いながらほいとう(乞食)して歩いたという。
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クビナシウマ,ウブメ
1976年 愛媛県
昔、東野の奥の城の若殿と、松末の城の姫は恋仲となった。両家は元々仲が悪かった。そのうち松末の姫は身ごもり、怒った松末城主は若殿を馬と共に殺した。奥の城主は怒り、姫を斬り殺した。姫は竹やぶに入り、赤ん坊を生んだという。竹やぶでは今でも赤ん坊と産女の声が聞こえ、雨の降る夜には首無し馬が若殿を乗せて走るという。
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シュゲンシャノタタリ
1956年 宮城県
昔仙台城下東郊に広田甚八という番士がいた。ある時仲間と酒盛りをしていると,盛り上がっている頃に山伏が戸口にやってきて法螺貝を吹き鳴らした。座興を壊された甚八は立腹して山伏に斬りかかり,助命を請う山伏を殺してしまった。翌日甚八はその筋に無礼討の旨を届け,お咎めもなくすんだが,その後行状を改めるどころか益々酒乱と狂気の状が募って遂に座敷牢で狂い死にしてしまった。また,甚八の息子が江戸番馬上役を仰せつかったが,上京の前夜一人の山伏が来てここは広田殿の屋敷かと聞く。そうだと答えると「みんな亡んでしまったと思っていたのに」というので下僕はこれを叱り飛ばし,その旨主人に告げた。主人も親戚も山伏と聞くと顔色を変えて,山伏を捕らえようと飛び出したが,その姿はもはや何処にもなかった。さて当主は江戸到着後間もなく失明して労咳を患い,やがて亡くなった。さらに男子彦兵衛と女子なかも幼くして死に,未亡人は後今市の丹野某の後添となったもののやはり不慮の禍で亡くなった。
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キク
1979年 東京都
浪人・向坂甚内の娘・菊は、盗賊改役であった青山主膳の家の奴婢となる。承応2年(1653)菊が家宝の絵皿10枚の内1枚を割ってしまい、青山に指を切り落とされる。菊は恨みを青山の子に報いると言ったので監禁される。その夜に菊は井戸に投身自殺する。その日から毎夜青山の屋敷に妖怪が現れ、ついには青山は狂い死にする。
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