ヒノタマ,モーレイ 1968年 鹿児島県 宇検村のイザトバナレという小島にあるイザトコという墓地にはよく火の玉が通う。テンマが入るような洞窟も海辺にある。ご馳走をもってイザトコの墓へ行って、ちょうどいた人たちにご馳走すると、その人たちは棺を開けて船に乗って沖へ立ち去った。モーレイであった。
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ヒノタマ,モーレイ 1969年 鹿児島県 宇検村のイザトバナレという小島に、イザトコという墓地がある。そのイザトコに火の玉が通うという話があった。ある日小船をしたててヨロの人が御馳走を持ってイザトコの墓に行き、ちょうどいた人にも御馳走をした。そのヨロの人達は棺をあけてそのまま船に乗って沖へ立ち去った。あとでヨロ島のモーレイがその洞窟へ出入りするという話を聞き、それはヨロの人達のモーレイであるとわかった。
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グスヌヒカテ,グスヌトゥ 1986年 沖縄県 与那国島では、人が死ぬと死者として誕生するための一連の儀礼を行い、49日のイミバライには墓に行き、葬礼の時持参した白位牌、下駄などが焼かれる。死者の名前は先祖棚の赤い位牌に書きうつされる。この後、死者は完全に後生の一員(グスヌトゥ、トゥ=人)になったとされる。グスは後生、すなわち死者が行く世界で、生者の世界をサンカというのに対してヌンカとも言われる。
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クロフネ 1931年 宮城県 ずっと昔のある日、置きから黒塗りの船がやってきた。大勢の人がこの黒船に乗ってきて賑やかだったが、一夜たつとだれもおらず、1体の御神像だけがあったので、陰暦6月15日に祭りをすることにした。
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(フナカタノユウレイ) 1961年 静岡県 昔、船がたくさんこの地に入ってきていた頃、時化の時に人が死んだ。その死体に壊れた船の足伝馬をかぶせて現在の船着場の上の端に埋め、地蔵をつくってまつった。夜になると死んだ船方が、毎日、イソザキ(屋号)に来て田子へ行くからワラジをくれという。そこで地蔵をコザキへ移すと、出なくなった。それでその地蔵をコザキの地蔵という。
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モーレイ,レイ 1968年 鹿児島県 海で死んだ人をモーレイという。モーレイの指にはアカリがつき、その光で船頭は舵を取られ、霊の力に引っ張られるので、これより先に船にアカリをつけなければならない
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ワカミヤサマ,タタリ 1965年 高知県 昔、人を乗せたうつろ舟(ウツロブネ)が流れ着いた。中にいる人はいっぱい金を持っていたので、村人はその人を殺して金をとった。タタリが恐ろしいので瓦の祠を作って若宮様に祀って供養した。後年、「祠が小さすぎる」との神様のお言葉があって、凶事が起きたので、木造の大きな祠にした。若宮様は女の神様だという。
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モリ 1989年 鹿児島県 夜、火をともしながら漁に出るとモリという化け物に遭うことがあった。モリは海で死んだ人が成仏できずにこの世をさまよっているのだというが、夜通し船のそばへ来てグズグズ言った。モリは雨の夜に出て船にたまるアカを汲むひしゃくを貸せという。その時は底をぬいたひしゃくを貸さないと海水をひしゃくで汲まれてしまう。
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マブリワシ,カタホゴリ,シュバレ 1986年 鹿児島県 加計呂麻島では祝女が死者の7日祭りに死者供養としてのマブリワシを行うことがある。一部のイガミがカタホゴリという民間医療やシュバレと呼ぶ悪霊除去のための呪術行為を行っている。そのうちマブリワシとシュバレはこの地方のユタが広く行っている呪術であるという。
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アオイヒ,ボウレイ 1929年 鹿児島県 ある夏の真夜中、港に泊まっていた漁船の所に、丘の方から青い火がちらちら輝いて舟に近づいて来た。船頭が目を凝らして見ると白骨の岩窟から亡霊が四五人歩いて来るので恐ろしくなって船室に逃げ込んだ。その姿は舟上で消えてしまった。もしかすると内地から来た人の亡魂が故郷恋しさに船で帰るのではないか。
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モーレイ,(イマジョウ) 1999年 鹿児島県 イマジョウという言葉を口にしてはならない。これは残酷な殺され方をした女の名前である。白い着物を着たモーレイである。嘉徳にはこの話とゆかりのある道があり、ある人がそこを夜遅くに通ると、白い着物を着た女のモーレイがおり、近づくと消えたという。
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イシャトゥ,ケンムン,ハタパギ 1974年 鹿児島県 イシャトゥは、与論島だけで言われている妖怪で、体格は小さく、子供くらいであるという。夜いざりをする。魚の目を抜きとったりする。人はだまさない。火になって飛ぶとも言われており、ハタパギと同じとも言われている。
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カミノオツゲ,アマゴイ 1928年 鹿児島県 加計呂麻島の南にある與路島には300戸くらいの人が住んでいた。ある年の6月から8月にかけて、50日くらい旱魃が続いた。小学校教員の妻が深夜に神のおつげを聞き、海で身を清めた後、踊り、歌って雨乞いをした。その後、島の人々も参加し、7日7夜踊り狂って雨乞いをした。祭りの終わる7日目に雨が降って、水神の信仰はいっそう高まったという。
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タタリ 1997年 長野県 中原の洞で旅の六十六部が行き倒れて亡くなったので、近くの人たちが葬った。しばらくして近くに災いが起こり、行者を頼んで調べてもらったところ、六十六部の墓を粗末にしている祟りだと教えられ、祀りなおした。
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モーレン 1981年 鹿児島県 船幽霊をモーレンと言う。小船より大きく、手ぬぐいで鉢巻をしている。2.3日後に嵐が来そうな日には必ず出る。海上で死んだ人のタマシ(死霊)がモーレンになると言われた。
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ハタガミサン,ハタガミ 1984年 新潟県 いつのことか分からないが、小立の運上納の下の浜へ、上品な美しい女性を乗せたウトウ船が漂着した。嶋川伊八郎家で世話したところ、次第に元気になって機を織るようになり、近所の娘たちも教わりに来た。その人が死ぬとハタ神として運上納に塚を築いてまつるようになった。縁日の7月7日には小木・羽茂・真野あたりからお参りをする人が来て、名前・住所・年齢を書いたあさぶのおりじまいを奉納したという。
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ウミカラクルカミ,フナユウレイ 1931年 東京都 伊豆七島には、悪いことをして殺されたものが盆に出てきて、海岸の村を脅かすという信仰があり、村人はうら盆や、大晦日の晩に海に出る船幽霊と同じ性質を持っていると考えている。この話は伊豆七島のほぼ全般で信じられている。
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ナンパモノノハカ,スイシニン 1933年 佐賀県 小川島では、難破者の墓は磯などに建っているが、祭を怠って墓にとがめられたりするので、墓を自分の家の墓地に移す場合が多いという。難破船の死体はよく行方不明になるという。五島の奈良尾や岩瀬浦では、ゴロージ(水死人)を戎様として祭るという。奈良尾で祭られたある水難者が、故郷の人の前に枕神として現れ、引き取ってくれと頼んだという。
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モーレイ 1969年 鹿児島県 海で死んだ人をモーレイという。モーレイの指には明かりがつく。その光で船頭は舵をとられ、霊の力に引っ張られる。その明かりより先に船に明かりをつけなければならない。
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リュウジン 1967年 茨城県 海賊に襲われて商品を奪われ、惨殺され海に投げ込まれた死骸が7日7晩漂っていた。そして行き着いた所が一本松の岸辺であった。そこで死体は八頭の竜神となり、外浪逆浦に出現した。ここを通ると船にあだ討ちをするというので、村人は慰霊のために神社を建てた。
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