タケジョ,シウン,イコウ,ムソウ 1983年 元和寛永の頃、武蔵国比企郡に戒行堅固という、日頃から正身の大日如来を拝みたい僧がいた。そして出羽の羽黒山に登山した時、夢想に江戸にいる佐久間某の召使い竹女を拝せという。そこで江戸に向かうと、佐久間某も同じ夢想があった。そして竹女を拝むと、全身から光明を放っていた。寛永15年3月21日の暁に、屋上に紫雲がたなびき、異香が漂っている中で竹女は大往生を遂げたという。
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キツネ,ハクゾウシュ 1975年 東京都 江戸小石川の伝通院の上人が、京都から下向の際、伯蔵という僧と道連れとなり、上人の元で学ぶことになった。伯蔵は優秀だったがあるとき熟睡して狐であることが露見した。今伯蔵主稲荷と称し鎮守としている。元来この狐は下総国飯沼にいたという。弘教寺にも同じ話がある。
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イナリダイミョウジン,ユメマクラ 1989年 東京都 狐が僧に化け、自ら多久蔵主と称し、夜な夜な学寮に来て法を論じた。後に稲荷に勧請して、伝通院の護法神とした。
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(ムコク),アミダニョライ 1980年 大阪府 大坂内本町に住む商人・利倉屋忠兵衛は夢に3度、紀国高野山蓮花谷にある某寺の本尊・阿弥陀如来が、何日に自分の家にやって来るので迎えに来いと告げる。その日に夢で伝えられた道順で忠兵衛が行くと、1人の高野僧と出会う。彼は先の某寺の僧で、夢に本尊が忠兵衛の家に行くと告げたので来たという。2人は奇異なことだと語り合ったという。
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シノヨソク 1944年 秋田県 極楽浄土行きを熱心に願う坑夫がいた。ある時成仏の時期を予知し、妻子と別れの杯を酌み交わし、夜陰月明に乗じて梅の木に登ると、急に彩雲がたなびき、男はその中に姿を没して行方がわからなくなった。極楽往生によって身体は消滅し、魂が浄土へ行ったのだという。
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アラクマノオオカミ,オツゲ 2002年 愛知県 大正5年に、沢井音吉という修験者が熊鷹大神の霊場で修行をしていると、心清く神を信じてすがってくるならどのような願いも聞き届けるというお告げを受け、その後荒熊大神の御霊を我が家に祀り、朝夕のお勤めを行った。そのうち、1人2人と参拝者が訪れるようになった。
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レイム 2004年 岩手県 奥州忍の里に住むタカソトハノタケトシが,息子を光明寺に入れる。息子は光明寺一の学匠となり,比叡山に移ることになった。その頃叡山の高僧は,山王権現から「東から来る童子を弟子とすれば山門の誉れとなる」との霊夢を授かっていた。果たして息子は一大学匠となり,後に盲目の父母と再会を果たす。息子は慈覚大師であり,観音菩薩の化身である。
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ゴミソ,カミサマ,ユメノオツゲ,ジゾウサマ 1967年 秋田県 秋田県大仙市(旧・大曲市)のある男性は23歳のときカミサマとなった。表具師をしていた彼は大正14年に四ッ屋村に襖修繕に出かけたが、3晩目にどうしても帰宅したくなり、午後12時ごろに家に帰った。夢に数珠と錫杖を持った地蔵様が現れ、「人を助ければ自分も助かる」といって、人を助ける術を話してくれた。このころ彼は生活の苦労がひどかったという。神が授けられたのが3月23日で、3月26日には長野に住む人が「夢のお告げで知らされた」といって訪ねてきた。この人を救ってから次第に人が来るようになった。66通りの法を授けられているという。
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〔コウチホウイン〕 1973年 広智法印はかつて高野山に登ろうと思って、ある土地に来た際に、飛瀑に紫雲が生じるのを見てここが浄土だと思って入定した。それから470年にわたって体はなんら損なわれることなく、いまもなお在るという。また、900年ほど前にも比叡山で伝教大師の弟子で広智という人がいたのは、この人のことだろう。
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カミクチ,ホトケノクチキキ,カミオロシ 1982年 新潟県 駒林にいる盲目のミコサマは、20歳のときに師匠のミコサマに弟子入りして神口の修行をした。亡き人の死霊を自分にのりうつらせて仏の口聞きをする。大人ならば死後49日、子どもならば35日がすんでからだという。駒林に住むおばあさんは、夫に先立たれ、ミコサマへ仏の口聞きにいった。ミコサマは白衣をまとってオハライし、神オロシにかかるが、村の鎮守様がでると、それ以降は何も分からなくなる。このばあさんは母親がなくなった時にも行ったという。
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ヤマノテラドウウンジ,ダイジャ,シロキツネ 1956年 宮城県 女とその懸想した男が大蛇となってから500年経た暦応元年(1338)、加州金沢の大乗寺三世明峯素哲禅師が陸奥に弘教し、岩沼竹駒神社の初午に参詣した時、老翁からこの話を聞き、その案内で大菅谷保の藤左衛門の家に泊った。翌未明山ノ寺の南の丘に登って大蛇の棲む寺跡の湖水を見、7日の間祈祷したのち一喝して杖を投ずると2頭の大蛇が現れて逃げ去る。そのとき白狐が飛び出して禅師に感謝し、永く寺の守護を約する。禅師が祈祷した地に寺を建て実相寺という。
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メグロフドウ 1974年 東京都 慈覚大師が若い頃、師の広智と目黒の里で宿をとった。その夜に不動明王が現れる夢を見た広智が慈覚に言うと、慈覚も同じ夢を見たという。そこで、その姿を霊木で彫り、その地に置いた。その後、慈覚大師が唐から帰朝し、関東へ下向した時目黒の里にやって来た。その夜にも不動明王のお告げがあり、嶺の上に登って独鈷で地面を掘ると霊水がわき出した。この水は炎天にも枯れることなく、長雨でも増える事はなかった。
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タロウイナリ 1983年 東京都 立花左近将監が朝鮮出兵の際、石田三成の讒言によって豊臣秀吉の勘気を蒙った。その時立花は本国に帰らずに、江戸の浅草観音の前に移住すること8年に及んだ。そしてある夜の夢に白髪の老人が現れて、白木の三方に祇園守を載せて与えた。この老人が太郎稲荷であった。その翌日に徳川家康から召状が届き、本領を安堵されたという。
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チビヤス,ユメ,リュウ,カンノンサマ 1974年 愛知県 江戸末期か幕末頃、篠島の兵蔵船の船頭であった鈴木兵蔵さんことチビ安さんの逸話である。彼は生まれつき体が小さく弱く非力であった。年頃になっても軟弱なので観音様に願かけすることを思い立ち苦行を重ね遂に満願を迎えた。その夜夢の中に竜に乗った観音様が現れ「そなたのまごころにめんじて願いをかなえるぞ」といわれた。それから目覚めてみると彼は力もちになっていた。
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フドウミョウオウ 2001年 奈良県 不動明王を信仰する南都の僧がいた。朝夕のお勤めで時々不動明王が失せるので不思議に思っていると、夢で、二十年来臨終の魔障を祈る尼を助けに行っているのだと告げられた。
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ユウレイ 1973年 東京都 天明の頃、三縁山に霊瞬という僧がいた。彼は吉原へ誘われ、琴柱という遊女と出会い、相思相愛となる。あるとき、酔った霊瞬は琴柱に身の上を語り、金があれば友のように出世もできるのにとつぶやく。そこで琴柱は金を与え、二度と吉原に来ぬよう諭し、僧の守りとなると述べ、後日自殺した。霊瞬は悲しんで日々彼女の回向を行った。その後は、遊郭に行き、女性と情交を催そうとすると、琴柱の幽霊が現れて諫める。そこで霊瞬は一念発起して修行し、大僧正となった。
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アミダニョライ 1983年 後光厳院の時代、西大寺の覚乗上人は天照大神の本地仏である阿弥陀如来の姿を拝もうと、伊勢内外宮に100日参詣し、ようやく夢告を得て二見浦で金龍蛇形の姿を見た。覚乗は袈裟を海に投げいれたが神は見えなかった。するとまた夢告を得て、大平山無量寿寺に自分の姿を彫った阿弥陀三尊像を安置しているといった。実際行ってその像を見ると、覚乗が脱いだ袈裟が架かっていたという。
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ダイモンボウトコウイン,ドウジョウジ,アダチガハラ 1956年 宮城県 本山派修験道で、平安時代白河にあり、のち仙台に移り大先達となる。藩政時代は清水小路五橋西南角に屋敷があった。三世安珍は延長6年(928)8月、27歳のとき紀州道成寺に修行に赴き、真奈古の庄司の娘清姫に恋慕され、日高川を越えて逃れようとしたが、清姫は大蛇と化して追い、安珍は道成寺の鐘の中に隠れたが取り殺される。それ以来東光院では歴代27歳の修行を禁じたという。また祐慶の代、熊野にいたり那智山に捨身一千日の行を修して帰ったのち、安達ヶ原の黒塚に住む鬼女を調伏したという。今も子孫は金津に残り、鬼女の頭蓋骨といわれるものを蔵する。
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テング 1977年 東京都 小石川伝通院山内にいる岱雄という者は、僧とともに出かけたが帰らず、2日後、寺の寮で昏倒しているところを発見された。気が付いて語るには、供をしている時に、体が自然に空へ昇り、それから成田不動へ参詣し、大樹の間にいた出家者たちと相撲をしたり、食事をとったりし、7日ほどいたという。天狗の仕業でも趣あるものだ。また天狗は、再び参詣したければ、東を向いて不動を念じろと言った。そうすると再び天狗が現れ、成田山へ連れていかれた。帰りに諸々の土産ももらった。
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ホクトシン,ユメ,オツゲ 1975年 愛知県 永禄5年3月4日夜、宝積院開基の春岳和尚と村人久兵衛が寺の裏山に明星2星があらわれて「われ北斗神なり、ここに一軒の寺を建立してくれ」という夢のお告げをうけた。揃って裏山へ登ってみると白紙のお札が降っていた。それを寺へ安置して高野御前の社を建立した。96年後明暦4年春にまた住職が夢のお告げを受け、それに従い種池を掃除して改めみた処、土中から蛭子様と大黒様の姿石が現れたので、高野御前の社へ納めた。
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