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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ワカノトク,コウジロウ
1974年 神奈川県
和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。永正年中に関東管領上杉朝興の配下である三浦道寸と息子荒次郎が北条早雲と戦った時、道寸親子は敗死してさらし首となった。しかし荒次郎の目は怒り、歯がみして見る者を睨み付け、人々は非常に恐怖を感じ、また病気になった。そこで小田原久野総世寺の和尚が「現とも夢ともわかぬ一眠り浮世のひまを曙のそら」と詠んだところ、その首の目はふさぎ、死骨となったという。

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クビ
1996年 神奈川県
16世紀の初頭、北条早雲が三浦荒次郎義意の首を小田原城下に晒したところ、そこを通る人、見た者に災いをなした。誰が供養をしても成仏せず、3年間目を見開いていた。一説には首は居神神社の松の枝にかかり、下を通る人をにらみ殺したともいわれた。
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ワカノトク,カジワラカゲスエ
1974年 群馬県
和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。源頼朝が浅間三原狩鞍の時、激しい雷雨に見舞われた。そこで梶原景季が狂歌として「昨日こそ浅間はふらめ今日は又みはらし玉へ白雨の神」と詠んだところ、しばらくして晴れたという。
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ワカノトク,ヨウコ
1974年
和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。北条氏康が出陣の時、野狐が現れてうるさく鳴いて騒いだので、氏康が「夏はきつ、ねに鳴蝉の唐衣己々か身の上に着よ」と詠んだ。するとかの妖狐は理由もなく野に死んだという。
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サネカタヅカ
1956年 宮城県
在中将藤原実方は長徳元年(995年)3月、東山の桜狩りに「桜狩り雨はふり来ぬおなじくは濡るとも花の蔭にかくれむ」と詠み、絶唱と称えられたが、衆の前で藤原行成に「歌が美しいがおこの者なり」とけなされ、実方は怒って行成の冠をつかみ、紫宸殿の廊下に投げる。一条天皇の怒りにふれ、陸奥の歌枕見て参れと陸奥守に遷され、多賀国府に下る。同4年11月、出羽に阿古耶の松を訪ねての帰途、名取郡笠島の道祖神の社前を通り、邪神として乗り打ちしたところ、馬が棒立ちとなって落馬し、今、仮宿と称する民家で死ぬ。享保7年(1722)11月4日五代藩主吉村が詣で塚を修築。
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ワカノトク,クマノミョウジン
1974年 和歌山県
和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。和泉式部が熊野詣に行った際、月の障りで参拝できなかったので、「晴やらぬ身の浮雲の薄靡て月の障りとなるぞ悲しき」と詠んだ。するとその夜霊夢があり、「元よりも塵に交わる神なれば月の障りは何か苦しき」と詠まれた。その日に社参したという。
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ワカノトク
1974年 福岡県・滋賀県
和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。宰府天神の飛梅、江洲唐崎の松が枯れようとした時、詠歌によって緑が青々と戻ったという。
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ヤマンバ,アオビ
1961年 神奈川県
福田の姥山に住む鬼のような山姥が村人を悩ませたので、満開の桜の下で毒酒を飲ませて殺した。すると亡霊になった姥が夜な夜な現れ鬼火となり燃え上がるので姥山を通る人がなくなった。徳川家康がここを通った時に和歌を詠んで姥を鎮めた。
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ジャンジャンビ
1928年 奈良県
豊臣時代大和郡山の城主は秀吉の弟であった。その家老の忰に亀井式部という若武士がいたが、深雪という百姓娘と恋に落ち、打合橋であいびきをした。そのことが洩れて式部は斬首となったが、懇願により打合橋で斬首となった。6月7日であったが、首は血を引いて橋の下に飛び、橋の下では深雪が式部の首を抱いて自害していた。それから6月7日の夜には2つの大きな人玉が東西から飛んできて打合橋の上をもつれ合いながらジャンジャンと音を立てて舞った。これを見た村人達は霊を慰めるために橋の袂で踊った。今日残るジャンジャン火である。
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アマミツミカミ
1980年 群馬県
京都で事業に失敗した男が関東への夜逃げを考え、出発前に長年信仰してきた北野天満宮に参拝したところ、夢うつつの状態である和歌の下句だけ思い付いた。その後に木曽路の途中のうすい峠のほとりの駅舎に数日泊まっていた時、同駅に和歌の上句だけ思い浮かんでいた諸侯がおり、両者の句は一致した。諸侯は天みつ御神の霊験として嘉し、信心篤い男を家臣に加えた。
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ワカノトク,タイケンモンイン,(アメドメ)
1974年 和歌山県
和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。待賢門院が紀州の玉津島に詣でた時、大雨が降って止まなかったので、「天下る名を吹き上げの神ならば雲晴のきて光りあらはせ」「苗代に塞下だされし銀河とむるも神の心なるべし」と詠んだところ、やがて西風が吹いて雲が晴れ、社参が叶ったという。
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ヤマバト,ハチマンダイボサツ
1974年 東京都
寛永13年ころ、徳川家光の弓大将であった松平新五左衛門尉直次に与力すべく、人々がある場所で弓の稽古をしていた。人々は徳川家の氏神である八幡大菩薩が弓矢の守護神だったので、同地に八幡宮を勧請することにした。彼らの願いは叶えられたが、その時山鳩が3羽松の枝にとどまったといい、人々は八幡大菩薩の影向と受け止めたという。また将軍家に若君が生まれたのは、社僧が受けた八幡大菩薩の夢告に少しも違わなかった。他に神前で風流の踊りをしていると、亥の刻あたりに神木の松の梢から、提灯ほどの光るものが出てきて、社の上に落ちた。
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クビ
1996年 神奈川県
三浦の跡を継いだ息子を北条早雲が攻め、首を切ると、居神さんのところへ飛んできた。居神さんの木の枝に首があったが、偉い坊さんがお祈りすると落ちた。
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テング
1932年 群馬県
上総の千葉左衛門経政は、一子相満を船尾山水澤寺にあずけた。相満が14歳になったとき、行方不明になった。経政は息子を和尚が隠したと思い寺に火をつけた。炎の中に白髪の老人が現われ、背後に息子の姿が見えた。息子が天狗にさらわれた事を知った経政は谷間で自害した。村人は憐れんで経政神社を建てて、その魂を祀った。
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エイゾンホウイン
1956年 宮城県
栄存法印は高僧として衆人の帰依が篤かったが,笹町家当主新左衛門頼重が嫉んで讒訴を行い,寺領を悪田とすり替え,住民に神域を掠めさせた。遂に江ノ島に流罪された法印は,笹町家一味及び石巻湊町に対し呪詛の修法を勤行したので,湊町にはしばしば大火が起こった。但し法印を庇護してきた高橋某家のみは災いを免れた。3年後の天和元(1681)年二月,法印は「口に鰹節を挟み,湊町を望む地に身を逆さまに埋めよ」という遺言を残して死ぬが,島民がこれを守らなかったところ関係者が病気となり,島に不漁や凶事が重なったため,改めて遺言通りに埋葬し供養を行った。埋葬場所は現 栄存神社。一方,笹町家では法印の呪いによって当主頼重がしばしば栄存の幽鬼に襲われ,自分の肢を斬ったり息子彦三郎安頼や妻女を斬殺したりした上,発狂した。九族も死に絶えた。享保頃(1716~36),法印の赦免を請い,霊を牧山に移して長禅寺に栄存神社として祀った。今でも旧2月6日の命日を御縁日として祭を行う。
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ウシオニ
1966年 三重県
五ヶ所城城主愛洲重明が、山で日向ぼっこしていた牛鬼を一矢で射殺した。川は血に染まり、牛鬼は滅んだ。その後、北畠氏の出である奥方がテンケイ病を患ったとも、祟りで重明が奥方に嫌気がさし、京都からきた女を愛するようになり、北畠氏と仲が悪くなったともいう。そして奥方は世をはかなんで死んでしまった。
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テングベエ,ダイコクテン,エビスサブロウ,ホテイ
2001年 京都府
そのころ盗人の大将に天狗兵衛という者あり、手下を引き連れ左近丞の家に押し寄せる。大黒天が天狗兵衛の頭を割ると、首は同へ収まってしまう。えびす三郎は釣竿を振って盗人の手下のきつね兵衛の鼻にかけ、生け捕りにする。布袋は座禅の最中で微動だにしない。かくて盗人は退散し、福の神たちは昼夜の酒宴を行い、管弦に興ずる。
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レイム
1929年 岩手県
宮古町本町の西方に郷社八幡宮には歌碑がある。寛弘元年一条天皇の頃、阿波の鳴門で争いが起こり朝廷令を諸道に伝えて之を鎮静しようと試みた。たまたま横山の祠官某がある夜霊夢によって神歌を得た。急いで阿波へと出立して、その歌を誦えると忽ち鎮静して海面は鏡のようになった。
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マツノキノセイ,アコヤノマツ
1967年 福島県
信夫の郡司藤原豊光に阿古耶姫という娘がいた。ある晩、緑の衣に黒の袴をはいた少年が娘の枕元で「われは十八公の長で千歳山に住んでいるが、近いうちに斧の災を受ける。ついてはそなたの引導に預かりたい」と訴え消えた。その後この国の名取り橋の修理をするため千歳山の老松の大木が切られたが動かない。夢の少年が松の木の精だと気づいた阿古耶姫が声をかけると、軽々動いた。松の苗を切り倒したあとに植えて弔ったが、それが阿古耶の松といわれるようになったという。
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タケベラタロウ
1956年 宮城県
昔、巡礼の和尚さんがある村に入ると、1人の娘を真ん中にして家内中泣いている家があった。毎年秋の稔りのとき、向こうの山の神様に若い娘を人身御供として供えねば、田も畠も荒らされる、今年はこの家の番だという。和尚さんがその山の社に隠れていると、夜になって大勢の者がやってくる音がして「あのことこのこと聞かせんな。竹箆太郎に聞かせんな。近江の国の長浜の、竹箆太郎に聞かせんな。」と歌う。和尚さんは近江の国へ捜しに行くと、竹箆太郎とは小牛のようなブチ犬だった。和尚さんは竹箆太郎を連れて帰ってきて娘の身代りに長持の中へ入り、やってきた者たちと対決した。翌朝村人たちが行ってみると多くの猿が死んでおり、針金のような毛をした一番大きな猿が竹箆太郎にのどを深く噛み切られて死んでいた。それからはみんな安心して暮らすことが出来た。
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ワカノトク,スミヨシミョウジン
1974年 大阪府
和歌は天地を動かし、鬼神を感応せしめる。昔ある者が住吉へ行幸した際、「我見ても久しく成ぬ住吉の岸の姫松幾世へぬらん」と詠むと、明神が現れて「むつましと君はしら波瑞籬の久しき世よりいはひ初めてき」と詠んだという。歌に感得があり、明神が現れたのだ。
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