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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ナカジマハチロベエ
1980年 福島県
天明6年(1786)閏10月の或る夜、夢に家臣の中島八郎兵衛が出てきて、「末期の願い」と叫んでいた。ふと目が覚めると、側近が大目付からの封書を持ってきたので読んでみると、中島の家督継承に関する嘆願であった。翌日に医師を呼んで聞くと、中島は昨晩に中風で急死したという。

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レイコク
1978年 栃木県
八木主税之介信之という人物が野州日光山に詣で、幸運長栄を祈って通夜していたところ、霊告があって夢の中で元禄・宝永の世のさまをまのあたりにしたという。
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レイカウ,オトコヤマハチマン
1978年
秀吉在世の頃家康が男山八幡宮に参詣して祈願した夜に霊夢を見た。僧に判じさせたところ徳川家の行く末を示していた。
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(ナカヒラソウベエノボウレイ)
1964年 高知県
検地役人をだました義民・中平宗兵衛が首を討たれたとき、霊が告げ口をした橋の番所夫婦を夢で取り殺した。
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レイコク,エト
1978年
秀吉が在世中、家康が男山八幡宮に参詣し祈願したところ、その夜霊夢を見た。僧にその内容を判じさせたところ、六代目に移るのが容易でないといわれた。確かに綱吉の時に天下が乱れた。
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ニワトリ,ビジョ
1974年 東京都
相馬出羽守の家臣である富田作兵衛の夢に美女が現れて、殺されそうになっているので助けてほしい、助けてくれたら長くお守りすると訴えた。起きてみると同輩等が雌鶏を絞めようとしていたので、強引に貰い請けて放してやった。それを主君の母が聞いていて、作兵衛に樽肴を与えた。その後もたいした手柄を立てていないのに、250石もの加増を受けたという。
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シロギツネ
1976年 長崎県
肥前島原の弓術の名人の夢に狐が白髪の翁になり現れ、明日国主の前で御覧の狩がある。その時助けて欲しいと語った。当日獣を助けず射殺した。酒宴の席で夢の事を語ると、国主はひどく悲しんだ。弓術の名人はその後貧窮して子孫は絶えた。
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フドウミョウオウ,テンジン,ハゴロモ
1967年 福島県
三浦左近国清という人が太田村別所に住んでいた。世継ぎが無いことを憂い、馬場村の滝不動に美しい妻が得られるようにと祈願した。すると夢に不動明王が現れ、現世には配すべき女がいないので、五台山の奥の池で天人が水浴びをしてるゆえ、その羽衣を取れと言った。国清はその通り山に登り天人の羽衣を取って家に帰った。やがて天人は気付き、国清の家に行き羽衣を返して欲しいと願ったが返されず、ついには夫婦になった。二男一女をもうけたが、やがて子供たちが大きくなったから別れても立派に育つと言い残し、天女は羽衣を着て天に昇った。国清は悲しんだが、娘はそれにもまして悲しみ、ついには池に身投げして死んだ。中太田に姫塚と呼ぶ塚があるが、この姫を祀ったものといわれる。
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タロウイナリ
1983年 東京都
立花左近将監が朝鮮出兵の際、石田三成の讒言によって豊臣秀吉の勘気を蒙った。その時立花は本国に帰らずに、江戸の浅草観音の前に移住すること8年に及んだ。そしてある夜の夢に白髪の老人が現れて、白木の三方に祇園守を載せて与えた。この老人が太郎稲荷であった。その翌日に徳川家康から召状が届き、本領を安堵されたという。
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ムチュウノタクセン,エイタイジマハチマングウ
1974年 東京都
寛永元年頃、長威法印が夢に八正宮を拝んだところ、永代島に鎮座せよという託宣を受け、それ以後たびたび同じような霊夢をみたという。
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ネコ
1974年 東京都
江戸の中橋牧町に住む中島五兵衛という者の下女が病に伏していた時に、どこからともなく老いた猫がやってきて枕元に居続けた。人々は追い払おうとしたが一向に離れなかった。その下女が死ぬとどこかに行ってしまった。
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アクム
1977年 滋賀県
信長が安土において、正月2日の夢で、土の鼠が木の馬の腹を食い破り、馬が死ぬのを見た。この年、甲午の生まれの信長は、戊子の生まれの明智光秀に殺されたので、真の悪夢である。
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ハチメンダイオウ,(ユメノオツゲ)
1990年 長野県
八面大王を征伐しにきた坂上田村麻呂将軍はそれを攻めあぐね、牧の満願寺の観音堂で一心に祈った。満願の夜、観音様が夢に現れて、「甲子の年、甲子の月、子の刻に産まれた男子が三三ふしの山鳥の尾を矢にすればきっと退治できる」と告げた。将軍は山鳥の尾を探すよう、国中に命令した。
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(ユメノオツゲ)
1940年 山梨県
六左衛門という財産家は、大水害にあった後、家運が衰えていた。彼には玉吉という20ほどの一人息子がいたが、玉吉は不精者で始終家でのらくらし、体も不健康であった。ある晩玉吉が眠っていると地神が夢枕に立ち、万年橋の下の蛇籠の間に地神の魂である扇がはさまっているので、拾ってきて仰げば諸病が治ると告げた。
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モリカワイナリ,コウキチ,サンコウインイナリ,コシカケイナリ
1983年 東京都
文政10年2月11日の初午祭の前日夜に、新道一番町で小侍幸吉が主に向かって、自分は同所に住む稲荷であるという。翌日主人が起き出して扉をあけると、稲荷の木像がどこからか来ていた。それ以後は幸吉にのみ神の示現があり、願い事は幸吉が取り次いだという。3月1日に当主や若殿が神前に神酒を奉ると、暫くして酒はなくなり、お供え物も半分無くなっていた。これは三光院いなりや腰掛稲荷が客として来たからだろうという。
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イサオドリ,チョウジロウ
1984年 愛媛県
天明元年頃、庄蔵と浅之進という兄弟が、毎年行っているいさおどりを取り止めにしようと相談していた。それを恨みに思った亡霊の長次郎は、浅之進に取り憑いていさおどりの継続を訴えた。浅之進の祖父がそれを承諾すると、浅之進の急病は全快した。
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ハレモノ
1974年 和歌山県
ある人の夢に、勧学院の検議の問者を嫌がり辞退した僧と、高野明神と大師が現れ、我々が協議して選んだ問者なのに背くとは許せないと明神が僧の背中を弓で射った。目覚めてその僧を訪ねると背中に腫物ができていて、数日後に死んだ。
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(ナカヒラソウベエノボウレイ)
1964年 高知県
検地役人をだました義民・中平宗兵衛が首を討たれたとき、霊が家に立ち寄り、茶漬けを三膳食った。声だけだった。
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ムシノシラセ
1936年 鳥取県
佐世保で軍艦須磨に乗っていた時、夢の中に病中の母が顔色が良くなって私を訪ねて来た。しかも着物は時節外れのものだった。すると母危篤という知らせがきた。急いで帰ったが、既に死んでいた。夢を見た時丁度死んだということだった。
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ウマ,ストウ,ヘイサラバサラ,ユメ
1973年 埼玉県
石原に増田半蔵という義侠心のある者がいた。文政4年の春に、彼の夢に馬が現れた。その馬はかつて諸侯の乗馬だったが、後に農家の駄馬となり、死しては野ざらしとなっているので、我が身にある玉を与えるので埋めてくれと頼む。実際に亡骸があり、玉もあった。その玉は鮓答またはへいさらばさらと言い、雨乞いに使う。
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アミダブツ,オニ
2002年 大分県
豊後の国高田の水川というところの男が、中風になり、足も萎えてきて大小便も居ながらにするようになり、誰も寄り付かなくなった。3年になった時、夢に鬼が2人出てきて連れて行こうとするので、阿弥陀仏を一心に念じると阿弥陀仏が光を放ってやって来た。さらに念じると、男の胸に光をさしかけなさった。鬼たちは「この男は高家の者だ」といって失せた。その後この男は立てるようになった。
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