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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

シカ
1983年 京都府
将軍・坂上田村丸が鹿を猟した時に賢心と会って翁の話を知った。その話を聞いた妻は、病を治すため多くの鹿を殺生してきた自分たちの罪は深いので、その教え通り大悲の像を安置しようと言った。すると仏殿を建てようとした場所に多くの鹿が現れ、その場を平地にしたので、仏殿を建て像を安置した。

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ユメ,コンジキノヒカリ,ハクエヲチヤクセルオキナ
1983年
賢心という僧が夢の告げに従って淀川の辺に行くと、一つの流れに金色の光があった。その源を探して遡ると一流の滝に着き、不思議に思って側を見ると庵の中に白衣を着た翁がいた。200年そこに住んだというその翁が大悲の応現だと悟った賢心は、翁の願い通り大悲の像を安置することを決心した。
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ダイドウヤシキ,オオカニ
1956年 宮城県
坂上田村麻呂が蝦夷を平定して京へ還るとき、玉浦の原野を荒らして人を害する何万という大蟹を、軍兵に命じて、原の一方を立て切り、火を放ち、逃げ惑うのを熱湯を浴びせて退治した。東衛という者に観音堂を建てさせ、軍旗に観音像を描いて与えた。大蟹の倉といった地名が岡二ノ倉に変わった。
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トリ,ネコ,(オンガエシ),(ユメノツゲ)
1956年 宮城県
元禄(1688~1704)末頃,伊達宗重の家臣坂本宇兵衛は子供がなく,飼猫と鶏を可愛がっていた。ある秋の夜更けに鶏がトキを作ったので,主人は不吉だといって鶏を殺し近くの川に捨ててしまった。同夜,この鶏が坂本家菩提寺の住職の夢枕に立ち,「自分は坂本家の飼鶏であるが,同家の猫は毒を以って主人に害をなそうとしている。夜中に鳴いて知らせようとしたのだが,主人は私を殺してしまった。和尚様から委細を話していただきたい。」と言う。住職が翌朝早く坂本家を訪ねると,丁度主人が汁椀を手にとろうとしていた。その時,同家の猫が外から飛び込んできて,椀の中に何か落としたまま走り去っていった。主人が気にも留めず椀に口をつけようとしたので,和尚は慌ててこれを止め,夢の知らせを語って聞かせた。椀の中を見ると黒じみた油と毒蜥蜴の頭が入っていたので,驚いた主人は猫を斬り捨てようとしたが,猫はそれきり現れなかった。宇兵衛は鶏に対して自らの不明を恥じ,懇ろに鶏を供養した。
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ウマ
1967年 福島県
坂上田村麻呂が大滝根山の石窟に住む大多鬼丸という夷賊征討の出発に際し、清水寺開祖といわれる延鎮上人が仏像を刻んだ余材で鞍馬100匹を刻み田村麻呂に贈った。田村麻呂はこれを鎧櫃に納め戦に出たが、苦戦状態の時どこからか鞍馬100匹が陣営に走りこんだ。兵士たちはそれにまたがり大滝根山に攻め込み勝利した。ところが凱旋の時には鞍馬は皆消えていた。翌日1匹の木馬が三春近在の高柴村で汗まみれになっているのを杵阿弥が見つけ、延鎮上人の鞍馬に違いないと、残りの99匹を自ら刻み補った。3年後には見つけた1匹も行方不明になり、99匹を子孫に伝えた。杵阿弥の子孫は木馬を模作し村人に与えたところ、それで遊ぶ子供は強健に育ち、病気も軽くなったので子育駒の名がたった。
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カンゼオン,ビシヤモンテン,ヂザウボサツ
1983年 京都府
田村丸が詔を受けて東夷征罰を行った時、自ら建てた仏殿の本尊に祈ったところ、観世音・毘沙門天・地蔵菩薩が戦場に現れて、敵をことごとく退治した。そこで田村丸は、宣旨を受けてこの地に伽藍を建立し、数箇所の寺領を寄せ、大同2年にさらに再興して、その寺を清水寺と号した。
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アクリョウ
1977年 東京都
忍ばずの池の端に住む山名勘十郎の母は生首を見ないと食事が進まず、いつも死骸を側に置いていた。この母がある時乗り物を担がせ乗り込み、山王の西の池辺に降ろさせて下人を帰させた。下人が戻ってみると女はいなかったので家に帰ると、彼女は馬で帰ってきてそのまま忍ばずの池に入った。馬の持ち主がいうには、山王の西の池から女が出て来て馬に乗り、池の主になろうとしたが先に鯉がいてだめだったといった。その後怪異が起きたので、勧学院の了翁僧都が悪霊を鎮めるために島をつくり、弁財天を安置した。鐘楼が地震で倒れて鐘は沈んだ。この霊が鐘を取ったと言われた。一切経を島に安置すると怪しいことも絶えた。
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ウナギ
1984年 愛知県
大うなぎが旅人を食ったりして付近の人たちを悩ませていた。坂上田村麻呂がうなぎを退治するも、その池の水を飲んだ人が次々と死んだので、池を埋めて祠を建ててまつった。
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ミツミネグウ
1956年 宮城県
昔、武芸の心得があった幸蔵という者の家に一匹の狼が台所から入ってくる。女房がやせ犬と思い気にもとめず、3人の子を置いて外出する。幸蔵が畑から戻ると、いきなり飛びついたので拳で何度もなぐったが屈しない。そこで両耳をつかんで叩きふせ、小川に頭を突っ込んで殺して流したが、元のところへ戻る。女房が不思議に思って占いを立てたら、「幸蔵が武芸を鼻にかけているので、懲らしてやろうと百里先から来たが負けた。霊験を与えるから葬ってくれ」とあったので祠を建てた。祠の前で、くらん返り(でんぐり返し)をすればオコリが落ちるという。
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ハチメンダイオウ,(ユメノオツゲ)
1990年 長野県
八面大王を征伐しにきた坂上田村麻呂将軍はそれを攻めあぐね、牧の満願寺の観音堂で一心に祈った。満願の夜、観音様が夢に現れて、「甲子の年、甲子の月、子の刻に産まれた男子が三三ふしの山鳥の尾を矢にすればきっと退治できる」と告げた。将軍は山鳥の尾を探すよう、国中に命令した。
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オキクギツネ
1989年 愛知県
長兵衛とお菊狐という夫婦の狐がいて、漁師や魚屋から魚をまきあげていた。お菊狐を捕えようと待っていた喜左衛門という頓智の利いた男のところにきれいな娘が魚を買いに来たが、それを見抜いた男は逆に狐をだまして捕まえた。その後、仏壇の阿弥陀に化けた狐をさらにだまし、最後は千石船に乗せて連れて行った。
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オハナカンノン
1967年 岡山県
新見の洞谷山雲居寺には、お花観音という等身大の千手観音がある。この観音は男女の悲しい願い事やしもの病気に霊験あるという。江戸時代、新見藩主関長治侯の時代、家老職の大橋某の屋敷にお花という女中が奉公していたが、家老の目にとまり寵愛を受けた。これを知り嫉妬に狂った奥方はお花を殺害し、古井戸に投げ込んだと言う。以来、障子お花の霊に悩まされ、奥方は病む身となった。その後大橋家では菩提寺である雲居寺に千手観音を建立しお花を供養したという。またお花殺害に使った刀を手にしたものは必ずその奥さんが病気になったという。
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キツネ
1999年 滋賀県
昔、牧のオンバのキツネ谷に村の女達が柴を刈りに行くと、悪い狐がいて騙して困った。そこで小祠を設け、稲荷さんを祭祀すると狐の気が納まったのか、それっきり騙さなくなった。
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コウボウダイシ,オニ
1930年 岡山県
昔、この辺りに鬼が住んでいた。弘法大師が通りかかったとき、鬼が退去を拒んだ。そこで大師は鬼に小さな木像を与えた。しかし鬼は木像の有難味が分からず、転がしていた。その木像を盗んだ者がおり、船で去ろうとしたが動かず、木像を海に捨てて去った。鬼はこの話を聞いて木像の尊さを知り、海中から拾い上げて祀った。
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(オキクノタタリ)
1982年 群馬県
小幡の殿様が侍女の菊を寵愛したので奥方や侍女の恨みを買い、殿様に差し上げる御飯に針を入れられた。殿様は怒って菊を責め、蛇の入った樽に入れ、宝積寺の池に投げ込んだ。小柏源介という侍が悲鳴を聞いて樽を開けると、瀕死の菊が出て来た。菊は「このご恩にお家に蛇の害は無いように致します」と言って事切れた。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池の辺に炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで小幡家に怪異があったので、宝積寺に碑を建てて供養した。小幡家では菊は植えない。
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(オキクノタタリ)
1982年 群馬県
小幡の殿様が妙義で見初めた菊という女を侍女にし、寵愛したので他の侍女や奥方から恨みを買い、お菊が殿様に差し上げる御飯に針を入れられた。殿様は怒ってお菊を責め、お菊は宝積寺の山門まで逃げてかくまってくれと言ったが、寺は門を開けなかった。お菊は追手につかまり、蛇とムカデの入った樽に入れられ、宝積寺の池に投げ込まれて死んだ。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池のほとりに炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで宝積寺の山門は何度建てても焼けてしまう。
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セイカンゼオンボサツ
1972年 愛知県
慶長年の頃一人の賊が奥之院本堂から尊像を盗み取り、逃走して久村浜から船で運び出そうとしたのだが、不思議にもその船は少しも動かず大地に釘付けされたようである。ふとその時賊の心に閃いた霊感があり、元の奥の院に尊像をかえし、ついに発心し出家した。
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クビナシウマ
1984年 愛媛県
奥の城城主河野通存は、息子の通賢が東野に住む娘の元へ通うことを快く思わず、東野で馬の首を刎ね、更に通賢をも殺害した。以来、毎夜首なし馬が現れるようになったので、村人は祠を建てて祀った。東野でお茶屋を営む久松定行は、陰火の飛ぶのを忌んで、この故事のあることを知り奥城八幡宮を再建し、鎮魂した。これが現在の東山神社である。
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ヘビ,イケノヌシ
1965年 高知県
赤泊の池の主は夫婦の蛇だった。その池に庄屋が鴨撃ちに行ったとき、下男が小刀を池に落してしまった。小刀は蛇の側に落ちた。その夜庄屋の夢に蛇が出て「小刀を取ってくれ」と頼んだが、庄屋は取りに行かなかった。数日して下男が大月の神社に参ろうとして出かけると、途中で遍路姿の夫婦者に「参る必要がなくなったから帰れ」と追い返された。下男が帰ってみると、庄屋は死んでいた。それから家の者も次々に死んでしまった。庄屋は死に際に「祀ってくれたら村の暮らしを楽にする」と言い残したので、庄屋の墓に祠を作って祀っている。赤泊の池は今では田圃になってしまった。
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ソウゼンジンジャ
2001年 青森県
階上に馬の守護神として祀られている蒼前神社にまつわる伝説に、「藤原有家卿物語」というものがある。源平合戦の昔、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の大将・藤原有家卿は、名馬「白馬龍」に跨ったまま海に飛び込み、岩手県種市町の有家に辿り着いた。そこで観音様を拝んだところ、西の方へ行くようにとのお告げがあり、それに従って旅立った。だが、妙野(今の蒼前平)まで来たところで馬がとうとう倒れてしまった。藤原卿は悲しみ、愛馬を手厚く葬り、槻の木を植えた。その後、村人達がそこにお堂を建て、蒼前神社として祀った。
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ヤ,サカノウエタムラマロ,タカマル,タケ
1930年 宮城県
坂上田村麻呂は、高丸を箆嶽に追い詰めて射殺した。その胴を丘の上に埋め、残りの箭を槌に刺した。そして、また東夷が起きることなければ、この七日七晩の間に活きて枝葉を出すだろうという誓いを立てた。すると、誓いどおりに矢竹が繁茂し、正月二五日にはこの竹を切って箭を作る。
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