ツユナシノサト 1956年 宮城県 今東照宮の立っている玉田ヶ崎のふもと、福沢の蜂屋長者の家に、1人の美しい女の召使がいて、毎夜長者の家を抜け出し、夜の明けないうちに帰っていた。ある日、長者にひどく叱られて家を出たきり帰ってこなかった。翌朝女が寝た跡らしい草むらに、一首の和歌を書いたものが落ちていて、「風も吹き雨の降るをもいとはねど今宵ばかりは露無しの里」とあって、それ以来福沢一帯に夜露がおりなくなり、女の寝ていたところを伏寝という。
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ロウバ,ホウソウ 1975年 京都府 慶應2年12月、孝明天皇が新築された東宮御殿にお渡りになった時に、老婆が来るのをご覧になり大いに驚かれた。以来高熱を発しついには疱瘡に罹病された。崩御の時には玉体が黒くなり、悪臭を放ったという。
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ダイジャ 1990年 鳥取県 日光地区は昔、大港だった。出雲の国造が勅命で上京の折は大洪水で困ったが、供の三女が海に入り水神の妻となると、沖から大波が来て港が閉まり、白砂の道が出来て国造は無事上京した。以後は数町歩の大池となり、竜神、魔物のすみかとなった。千年後、鹿野城主亀井武蔵守が日光池の干拓を行うと、雷鳴が轟き滝の如く雨が降り、海岸に大魚が打ち上げられた。これは池の大蛇に違いないという話になった。以後、武蔵守は体調が悪くなり、寝ていると枕元に美しい女官が立つ。占い師によると池の大蛇のなすわざという。そこで日光大明神の社を建立した。
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ジョウエンボウヅカ 1956年 宮城県 東照宮の下、東側の延寿院にある。東照宮別当仙岳院の僧浄円は足が速く、飯釜をかけて炊き上がらないうちに出羽の羽黒山に往復した。師の坊が重病で最上の豆腐を食べたいといったところ、即座に買ってきた。一生のうちに羽黒山に238回往復したという。元禄12年に76歳で示寂。鉄のワラジや大小のワラジが奉納してある。水疣が治るといわれ、お礼に酒や餅を塚に供える。
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オカリミヤチカクノカイカ 1956年 宮城県 夜更けに雨の中を菊田治助という者が東照宮御旅宮(東六番小学校の辺)の傍らを通りかかると,花京院通の四辻に燃えている杭が無数に撒き散らされて燃えていた。そのときはそのまま帰宅したが,後で考えると雨中で燃えていたのがどうも不思議なので翌朝早くそこを調べてみると,燃えさしの薪どころか炭片さえ落ちていなかったという。この辺りには怪異のことが多く,すべて狐の仕業らしいといわれた。
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イセオドリ 1973年 寛永元年の2月上旬から、諸国で伊勢踊が大流行し、泊舟伝馬人夫と号する神を、伊勢太神宮に送ってきた。吉田家に下問すると、鎮座以後、祭礼を怠っていないに、伊勢内宮・外宮の神が飛んでいくはずがない、これは諸民の児戯だ、と答えがあった。将軍家でなお詮議をし、以前に伊勢踊が流行った後に、大坂で兵乱が起き、徳川家康が死んでいるので、これは不吉の予兆であると評定がまとまった。その邪神を野外に送り捨てると、踊に関わっていた人馬の疲弊も止まった。
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トビフドウ 1956年 宮城県 弘法大師一刀三礼の作という。昔、堂が焼失したとき、不動はうしろの山の岩窟に飛んで避難したので飛び不動という。そのときの不動の火焔の痕が岩壁にあるといわれ、以後この本尊には光背に火焔をつけないことになった。享保16年(1731)9月7日の大地震に、うしろの山から巨石が落下して堂をつぶしたが、不動を安置した一間だけは根返りした大木がおおいかぶさって倒壊を免れ、村民は奇蹟に驚いたといわれる。
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アマザケジゾウ 1956年 宮城県 元和2年(1616)吉岡三万八千石に封じられた伊達河内守宗清(政宗の三男)は、ある日吉田川でオウガイ漁をして帰城の途中、梵天をかついだ行者に会った。面白半分で生臭さのオウガイを渡すと、行者はかたく断った。河内守は起こって無礼打ちにしたが、たたりをうけて奇病にかかり、35で他界。後に行者の埋葬地に石地蔵を立てて供養した。耳の病気のとき、竹筒に甘酒を入れて奉納すると治る。
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(シンポウガフル) 1977年 京都府 後土御門院の延徳元年3月に、京都の吉田山に太神宮が飛び移ってきたので、本当のご神体である神宝が光を放って降りたと吉田兼倶が密奏し、ここに神明社を建てた。
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オウゴンブツ 1973年 和歌山県 文政8年の春に、熊野本宮社に堤を築こうとして、境内にある大黒島という岩山から採石していた。作業者が休憩したら、巌上の土砂が崩れるが、作業中には崩れない。また多くの烏が集まってきた。心弱い人は逃げだしたが、強い人が作業を続けると、土中から甕が出てきた。その中には黄金の阿弥陀仏が入っていた。
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アマノジャク,コウボウダイシ 1958年 岐阜県 弘法大師が双六へ来たとき、アマノジャクと一夜でお堂を建てる賭けをした。朝までにお堂が建ちそうになったので天邪鬼が鶏の鳴き真似をし、「もう夜明けだ」とおどかしたので、弘法様は怒って積んであった材木を石に変えた。それが天然記念物の材木石。
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エイゾンホウイン 1956年 宮城県 栄存法印は高僧として衆人の帰依が篤かったが,笹町家当主新左衛門頼重が嫉んで讒訴を行い,寺領を悪田とすり替え,住民に神域を掠めさせた。遂に江ノ島に流罪された法印は,笹町家一味及び石巻湊町に対し呪詛の修法を勤行したので,湊町にはしばしば大火が起こった。但し法印を庇護してきた高橋某家のみは災いを免れた。3年後の天和元(1681)年二月,法印は「口に鰹節を挟み,湊町を望む地に身を逆さまに埋めよ」という遺言を残して死ぬが,島民がこれを守らなかったところ関係者が病気となり,島に不漁や凶事が重なったため,改めて遺言通りに埋葬し供養を行った。埋葬場所は現 栄存神社。一方,笹町家では法印の呪いによって当主頼重がしばしば栄存の幽鬼に襲われ,自分の肢を斬ったり息子彦三郎安頼や妻女を斬殺したりした上,発狂した。九族も死に絶えた。享保頃(1716~36),法印の赦免を請い,霊を牧山に移して長禅寺に栄存神社として祀った。今でも旧2月6日の命日を御縁日として祭を行う。
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ムジナ,ダンサブロウ,アヤシイモノ 1984年 新潟県 明暦年間に、佐渡奉行の地役人の中沢という人が、日が暮れてから酒に酔って団三郎ムジナの二ツ岩にさしかかると暗くて道がわからない。団三郎に提灯を頼むと、高張提灯があらわれ、昼のように明るく照らし、怪しい者が現れて親分を神さまとしてあがめるようにしてくれという。中沢は役人をやめて団三郎の棲家を麓の十二権現の末社とし、自分は神主になった。
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(フナカタノユウレイ) 1961年 静岡県 昔、船がたくさんこの地に入ってきていた頃、時化の時に人が死んだ。その死体に壊れた船の足伝馬をかぶせて現在の船着場の上の端に埋め、地蔵をつくってまつった。夜になると死んだ船方が、毎日、イソザキ(屋号)に来て田子へ行くからワラジをくれという。そこで地蔵をコザキへ移すと、出なくなった。それでその地蔵をコザキの地蔵という。
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オカゲドシ,オフダ 1916年 静岡県 御蔭年には不思議なことが起こった。不思議の始まりは酒屋が行燈を何かの拍子に焼いたとき「火之用心」という文字だけ焼け残った。それから火の騒ぎがいくつかあり、町中総出で神仏に参詣した。門前並木の大木の松が音もなく倒れた。そのうち御札が降ったという家が出てきて、祠を作って御札を祀り、祭礼のようにして騒いだ。
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ダイコクサマ,エビスサマ 1993年 岩手県 明治のこと。小菅家で紙漉き船の中から5㎜ほどの黄金色の大黒様と恵比寿様が出てきた。また土蔵を建てることにして木を切っていると、中から直径1㎝ほどの金の玉が出てきた。土蔵の大黒柱にお堂を建てて祀り、11月1日をお祝いの日とすると、家はたいへんに繁昌した。この日に3年続けてお参りした人には、ご開帳してくれる。ある人が「3年続けて行ったのに見られなかった」と文句を言ったので田植え時だが特別に開帳したら、その人は体が痛くなり、病院で見てもらったら肋骨にひびが入っていた。
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タヌキ 1974年 京都府 時化の夜に沖を船が通ると五色ケ浜は港町のように明るくなり、間違えて近づき岩礁に激突する船がしばしばあった。調べるとそれは狸のしわざであった。狸封じの地蔵尊を建立すると引原峠へ移ったが、そこでも夜道で人を化かしたので引原権助とよばれた。
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(シンボク),タタリ 1982年 京都府 享保11年8月、松原通西洞院天神社の二囲いほどある柳の神木が風もないのに急に折れた。一説には、先頃よりこの地で大江馬町住吉の神像開帳があった時に、神木の下で不浄の見世物があり、閉帳の日に倒れたとも言う。不浄の物の祟りかと驚愕した。
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(イセダイジングウノレイケン) 1977年 三重県 伊勢大神宮の霊験は著しい。この春に江戸の者30人ばかりが、大神宮にて神楽を行おうと松坂明野にやって来たところ、数人が病気もせずに死んでしまい、大雨が石を流して風が木を抜くほどだったが、それは松坂の南側だけだった。そして6月に杣入の行事がある時、大きな材木が必要な御戸木を、前回と同じく所々に探し尋ねたが、まったく見つけることができなかった。そこで神人が山に入ったところ、普段は見ることのできないほど大きな檜が立ち並んでおり、人々はこれを神異であると言った。
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オサキ,オサキミョウジン 1956年 宮城県 唐桑半島の突端。御崎明神が、白鯨を神使として白馬に乗って海上から下った場所。影向石と馬蹄石がある。明神はワラビをヨリシロとし、菅の莚に坐したので、村ではこの二つが禁忌である。
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