ウトジングウ,ヒバシラ 1992年 宮崎県 沖で悪天候にあい、針路を失った。鵜戸神宮と榎原の神様に一心に願掛けをしたら、自転車の車輪大の火柱が、鞍先灯台方面と水島方面に灯り、それに力を得て船を進め、難を逃れることができた。
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イナリマルノソウナン、フナダマサマ、モウレンブネ 1956年 宮城県 明治43(1910)年旧暦8月21日女川町塚浜を出帆した木村幸吉所有の大型船稲荷丸は,23日金華山沖で時化に遇い転覆,乗組員は海に投げ出された。船霊様に供える昼食を炊いていたカシギ(炊事係)の養八は,海に放り出されても夢中で釜を離さずにいると,誰かが後ろから押し上げて船に寄り付かせてくれた。一方,22日の朝食時に後輩丹野甚吉に対し仏前に供える一杯飯のように箸を突き立てた山盛飯を差し出した米倉悟,そしてその仕返しとして夕食時に一升近い飯に箸を突き立てて悟に差し出した甚吉の二人はいずれも行方不明となってしまった。
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(ヒデヨシノイン),リュウシン 1974年 静岡県 むかしから遠江洋に武具や馬具を乗せていく船は必ず壊れてしまうという。天正18年の豊臣秀吉による小田原征伐の際、同じように逆風が吹いて船が転覆しそうになったが、秀吉が竜神に宛てた書を海中に入れるとしばらくして波が穏やかになったという。
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ゴシンタイ,コトラ 1939年 新潟県 船が難破したが、船長が金毘羅に祈ったときの心が通じて、嵐はおさまり、船も無事であった。
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カミノカンオウ 1976年 長崎県 長崎で寛政10年にオランダ船が難破し、修理するために船を曳航することになったが、風が吹かない。村井喜右衛門という者が信心していた住吉大明神に祈ったところ、たちまち順風が吹いて、船が浜へ着くと同時に止んだ。
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フナガミ 1980年 鹿児島県 種子島の平山世伯という人が、京に行こうと船に乗ったところ、大隈国の内浦あたりで暴風雨に遭い、船は漂流した。そこで船神に祈り、12の方角を書いた紙を結んで神前に置き、念珠の房で探ると西南と出たのでその方角に舵を取る。途中不安になったが幾度試しても西南と出るので、信じて進むとやがて陸地が見えて一行は助かった。
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イナリマルノソウナン、フナダマサマ、モウレンブネ 1956年 宮城県 明治43(1910)年旧暦8月23日におこった稲荷丸の遭難についての体験談。「海の掟」を守らず不吉なタブーを弄んだ若者は水死し,釜神様に供えるための飯の釜を離さなかった少年は助かった。また,その帰途に亡霊船(モウレンブネ)が稲荷丸に向かって突進してきたが,船長が一喝すると消え失せた。生存者は今でも健在で,「海の掟」と亡霊船の存在を信じている。
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カン,タユウ,シンカン 1982年 島根県 昭和19年、フィリピンの沖合で、乗り組んでいた駆逐艦を撃沈されたF氏は、陸に向かって泳いでいた。日が暮れると、はるか遠くにぼうっと軍艦の灯が見えた。軍艦には太夫(神官)が立っていて、右手に持った笏で「来い、来い」と言うので、それに向かって懸命に泳ぐが、いっこうに軍艦は近づかない。しかし夜更けまで泳ぎ続けると陸に着いて助かった。
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ウトジングウ 1992年 宮崎県 沖で暴風に遭い、気力が滅入って諦めかけたとき、古風な神様が晴れ晴れしいお姿で頭上を通り過ぎた。それで我に返り、仲間を励まして船を神様が去った方角へ漕ぎ進め、帰港することができた。
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ウジガミサン 1965年 高知県 氏神さまを信仰したおかげで助かった人がいる。室戸から大きな漁船に乗ることになり、出立の朝にヤナギカケを作った。しかしその皿が引っくり返り、気持ちが悪いのでやめにした。次の日には、お宮の前で扇子を忘れたのを思い出して取りに帰った。出直して、またお宮の前でハンカチを忘れたのに気づいたが、そのまま出航した。しかしどうにも気持ちが悪いので、女房が引返すように電報を打ち、須崎から帰って来た。その船はそのまま行方不明になってしまった。
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オオアワビ 1984年 新潟県 佐渡に配流された日蓮が松ヶ崎に渡る途中に暴風雨に遭い、船底から浸水したとき、春日神社に加護を祈ったところ、大鮑が船底をふさいだ。
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コウシン 1960年 神奈川県 昔漁師が暴風雨に遭って難破したが、しばらくするとまっくらな空に庚申の星が出て、その位置で方角が分かり、命が助かった。
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コウシン 1963年 新潟県 漁に出たが悪風にあって流され、途方に暮れて一同は庚申さんに一心に立願した。すると烏が飛んで来てまたどこかへ飛んでいった。日が明けると、300石積の船が見え、助けてもらった。
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オオクラヌシ,ツブラヒメ 1940年 福岡県 景行天皇が崗浦に船を浮かべて海上に出たところ、大倉主と菟夫羅媛によって船を動かなくされた。先導役の熊鰐は困り果てたが、天皇が伊賀彦を以って2人の神に奉仕させ、自らも祈祷を行ったため、船は再び進むことができた。
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マキドマ 1982年 愛知県 愛知の渥美外海で漁船が遭難した中で助かった者、一番年少の鳥居鶴松氏は巻苫(まきどま)につかまり、波にもまかれず、難なく上陸した。この苫というのは、昔当地漁民間では竜神の加護物と信じられ、非常に縁起のよいものとされていた。
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(フナダマ) 1979年 天平宝字7年8月、初めて高麗に遣使を送った際の帰朝の時、海が荒れたので祈ったら、船霊の力で平安に国に帰れた。
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キノタタリ 1982年 宮城県 歌津から出航した13,4人乗りのカツオ船が行方不明になってしまった。オガミサマに拝んでもらったら、ご神木のような使ってはいけない木を使ってしまった、その祟りと言われた。
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ヤクドシノヒト 1960年 愛媛県 朝鮮へ行っていた人が舟を作るために日本から大工を呼ぶために使いをやり、船便をやった。しかしいつまでたっても連絡がないので占ってもらうとその船に厄年の人が乗っていたために沈没したという。その船は運良く島根県の沖で他の船に救助されたが、やはりその船には42歳の厄年の人が乗っていたという。
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カメ 1934年 兵庫県 水戸の龜屋という穀物問屋の主が、眼病を患いついに失明してしまった。主はたまたま人丸塚の事を聞いて参篭し、不思議な夢を見た。大きな龜が主を乗せて、清水の側に下ろしたという夢で、実際に清水があったので、神のお告げと思い、その水で洗眼すると視力が回復した。
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ユウレイ,ヒノタマ 1956年 東京都 昭和初年、三重の商船学校の練習船が難破して7人が亡くなった。その附近で夜、イカ釣りをしていたら火の玉が沖から転げてきた。その霊だろうと思って水とご飯をくれてやったら、火の玉は消えて、後ろから照らすように見えた。
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