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検索対象事例

リョウマ
1987年 山形県
山の頂上で白い馬が跳ねていたので、龍馬山というようになった。

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リョウマ
1987年 山形県
1235年ごろのこと。大雨で神室山から土が落ちて、7日7晩水が流れて山になった。その上を白い龍馬が歩いていたので、龍馬山というようになった。
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リョウマ
1987年 山形県
龍馬山には白馬の龍馬がいて、日露戦争の頃には姿を見せた。神様が鉄砲で撃ち、それから龍馬は出なくなった。
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リョウマ
1987年 山形県
龍馬は杉沢集落で生まれて、狭いので棲むところを探して不動山に登った。明採にそのときの足跡が残り、石の鳥居で昼寝をした。龍馬が住み着いたので不動山を龍馬山というようになった。
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フナ,リュウ
1941年 朝鮮
黄海道安岳郡文山面金岡里に五龍山という高い山がある。昔この山に小池があって、5匹の鮒が棲んでいた。それらが大鮒になると池も広さや深さがまして、底が黄海に続いていると言われるまでになった。ある日、竜巻が起こり池の水が巻き上げられるとき、5匹の龍が昇天していくのを見た。後になって鮒がいなくなっていたので、龍はこの鮒の化身であったことが判った。これが五龍山の由来である。
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リョウマ
1987年 山形県
龍馬山には白馬の龍馬がいて、60年に1度姿を現した。新庄の殿様が鉄砲で撃ち、それから龍馬は出なくなった。杉沢集落に行く途中の山に、龍馬の蹄の跡のついた岩がある。
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リョウマ
1987年 山形県
龍馬山には龍馬がいた。龍馬は頭が龍で体が馬の生き物で、60年に1度姿を現した。新庄の戸沢公が「そんな生き物がいるはずがない」と言って見に来たら姿を現したので、鉄砲で撃った。それから龍馬は出なくなったという。
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リュウ
1932年 長野県
臥龍山という山がある。昔、海があったが地球の変化によりもち上がり陸になった。その時龍が現れた。それは今の臥龍山である。
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ハネノアルコ,リョウマ
1941年 朝鮮
中和郡水山面木里の傍の三月山の麓のある農家に、脇の下に羽根のある男の子が生まれた。そのような子は天子の位につくといわれているので、後難を恐れた両親が羽を焼いてしまったら、その子は死んだ。また羽のある人が生まれると、龍馬という駿馬が出てきて乗馬になるというが、龍馬が農家の裏に現れ、3か月鳴き続けて姿を消した。それが三月山の由来である。
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タツノコマ
1992年 宮崎県
冬には、龍房山の西麓の秋切集落の龍之玉という石神の水流に、龍房山の神馬「龍の駒」が水を呑みに来たと言う。
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シカ
1988年 奈良県
新笠置街道沿いの山の北側岩壁に大きな足跡が2つある。これは春日明神が鹿島からやってきたときに乗っていた白い鹿の足跡だという。
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ハクバ,アラウマ,シンメ
1980年 山形県
岩野村登山口の獄山には、古くから山神さまがいて信仰されていた。天正年間、獄山の神がふとしたことから怒り出し、山崩れを起こして土砂を流し、村を埋め尽くした。そして、白馬が現れ、天に飛翔したという。
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マノカミ,ウマノカミ,ハクバ
1980年 山形県
山の内村の間の上(まのかみ)の白馬は、山崩れを起こし、土砂で小沼を埋め尽くして、葉山の北方へ飛翔したという。
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ハクバ,アヤシイモノオト
1998年 宮崎県
カツ、カツ、カツ、という怪しい物音の正体を村の若者がつきとめようと、朝早く物陰に隠れて待っていると、実に見事な逞しい白馬が朝靄の中から忽然と現れた。以後白馬の姿は評判となり、山奥に姿を消すことから山の神馬だと言われた。
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トウバンサン
1951年 広島県
石橋の渡り口に石があり、牛馬が通りかかると必ずつまずいて川に転落死してしまう。何かが宿っているに違いないというので山に運び、山の神様とした。だから山の神は牛馬の神でもあり、トウバンサンと称している。
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タテヤマトハクサンノセクラベ
1973年 富山県
立山へ登る途中、川で小石を拾って立山山頂に供える。これは立山と白山が背比べをした時、立山が馬のクツ(馬わらじ)の厚さだけ低かったので高くするのだという。
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シロイワタミタイナモノ
1989年 鳥取県
馬場の山の中腹を白い綿みたいなものがスーッと通った。
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リュウジョ,ダイジャ,コマヅカ
1976年 兵庫県
康保4年の冬、源満仲が能勢の山で猟をした時、夢に竜女が現れて、礼に竜馬を与えるので川下の大蛇を退治して欲しいと願った。目覚めると1匹の馬が傍にいた。満仲はその馬に乗り大蛇を退治した。満仲の死後も馬は生きていたが、やがて死に、家臣の者が馬を山岳に埋めてその上に堂を建て、駒塚山堂と名付けた。その後文明2年3月18日から毎夜駒塚が発光した。慈光山普明寺の住僧が塚で普門品を誦したら、たちまち雷鳴して馬の頭が出現した。住僧はそれを持ち帰り竜馬神と名付け金堂に納めた。
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リョウマ
1987年 山形県
宮集落のある家が山に放し飼いにしていた馬に龍馬が種付けして子が生まれた。その仔馬は垣根の上を猫のように歩いたりできたので、新庄の戸沢公に飼われた。戸沢公がその馬に乗って江戸に行ったら、大火事で領国橋が落ちたときに殿様を乗せ、家来を尻尾に掴ませたまま隅田川を飛び越えて逃げた。それで怪我をして厩で寝ているときにも、半鐘の音がしたら殿様を乗せて逃げようと動き出すほど忠義な馬だった。
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リョウマ
1987年 山形県
宮集落のある家が放し飼いにしていた馬に龍馬が種付けして子が生まれた。その仔馬は屋根に上ったり、杭の上を猫のように歩いたりできたので、新庄の戸沢公に飼われたという。
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タテヤマトハクサンノセクラベ
1973年 富山県
立山へ登る途中、布施川で石を拾って立山山頂に供える。これは立山と白山が背比べをした時、立山が馬のクツ(馬わらじ)の厚さだけ低かったので高くするのだという。
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