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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

シラスバ
1976年 山形県
後輩の相馬清吉君は、小学校の事務などの手伝いをしていた。ある時、夜遅くなって小学校に戻ろうとするのだが、「しらすば」と呼ばれる場所に差し掛かると、どうしてもそこを通れず、何度引き返して出直しても、あたりをぐるぐる廻るだけで、学校にはたどり着けず、溝にはまったり、水田に足を突っ込んだりして、ついには引き返してお寺に泊まったという。

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ショウヅガババア
1985年 茨城県
昔雪の降った翌朝一人の女が寒さで行倒れになって凍死していた。この田の所を夜になって通ると、お化が出ると言って、子供は夕方になると通らなかった。又遅くまで遊んでいると、しよおづかばばあにつれて行かれると子供を驚ろかした。
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キツネ
1993年 岩手県 
話者18,9歳の旱魃の年の5月のある日、暗くなってから米を買いに出かけたら、神社の神様が牛のように見えた。きつねだなと思って友達の家に逃げた。暫く休んでまた歩くと、今度は井戸の脇のあぜ道で周りをふさがれて歩けなくなってしまった。もう帰ろうと思って山道を行くと、ニシという屋号の家の倉の横で火が燃えていて、山々や土沢の町がガラッと見えた。倉の横で火なんか危ないなと思うと、ウサギのような足音が通り過ぎていった。きつねが諦めて山に入ったのだろうか。
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ロウジン
1922年 三重県
ある時少年が行方知れずになり、3日ぐらいしてから呆然と畦道に佇んでいるのを発見された。顔面蒼白で非常に疲労していた。大熱に浮かされて5日ばかり寝こみ、ようやく回復して少年が言うには、夕方老人が現れ、あちこち連れて行かれ、帰ってくる時に今までのことを言ってはならないといって消えたという。それ以来少年は痩せ青ざめ、神経質になり、小学校の算術が出来なくなったと言う。
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カッパガミサマノミタラシイケ
1956年 宮城県
磯良神社,通称河童神様の御手洗池はどんな日照続きでも水の涸れることがなく,それが用水堀に続いていた。昔,近所の安彦甚之丞という者が,ある夏仲間と二人で用水堀をくぐって泳ぎ回っているといつのまにか水底から水の無い所に出た。そこには立派な家があり,窓から覗くと美しい娘が機織をしていた。「ここは人間の来る所ではない。早く帰りなさい。」「ここに来た事を三年経たぬうちは人に語るな。語れば必ず禍がある。」と言われたので,夢中で逃げ出すと何時の間にか元の用水堀に出ていた。一人はつい口を滑らせてしまい,原因不明の高熱で急死してしまったが,甚之丞はなかなか話さなかった。
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ヒトツメノオオニュウドウ
1996年 香川県
ある日力自慢の松吉が行方不明のなった。見つかった松吉を連れて帰ろうとしたら一つ目の大入道が川をまたいで立っていた。村人はその後そこに祠を建てた。それから一つ目大入道は出なかったが、祠のお参りを粗末にしたら、三つ目小僧が出たという。
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ネコ
1975年 静岡県
遠江国蓁原郡御前崎の西林院の僧が猫を助けた所、その猫が寺にいついた。ある時寺男が縁側で昼寝をしていて、猫も隣で庭を眺めていたところ、隣の家の猫がやってきて寺の猫を伊勢参りに誘った。しかし寺の猫は、住職に危険が迫っているからと断った。夢現で聞いていた寺男は不思議に思ったが、その夜、天井裏で大きな音がした。4、5日前から逗留している旅僧の雲水はその音にも起きてこなかった。翌朝天井裏を見ると、寺の猫と隣家の猫が血を流し倒れており、その傍らで雲水の服を着た大きな鼠が瀕死の状態でいた。
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テング,カミカクシ,アカイカオシタハナノタカイショ
1982年 新潟県
ある夕方に、9つくらいの村の子どもがお宮の木の下に下駄を脱いだままどこかへいってしまった。村の衆は神かくしだといって、マスの底を棒でたたいてその子の名をよんで探しまわった。2、3日して昼ころに泣きながら帰ってきた。どこへいったと聞くと、赤い顔した鼻の高いしょ(人)に連れられて山道を行くうちに分からなくなり、目をさますと、山奥の、朴の葉っぱをしいたとこで、それから、やっと帰ってきたといった。
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ヒトツメコゾウ
1962年 山梨県
昔、さかね沢というところの山小屋に太郎助という若い衆が大勢の村の人たちと木こりをして寝泊りしていた。その頃は12月13日には仕事を休んで家に帰ることになっていたが、太郎助だけが残る。夜中に山小屋の外の音で目が覚め、入口を見ると一つ目小僧がじっと太郎助を見ていた。一つ目小僧が「今夜の酒のさかなは何だあ」とどなるが、「お前のまなこ玉だあ」とどなり返すと一つ目小僧は逃げ出した。太郎助は夜が明けると家に帰ったが、それが元で死んでしまった。それから沓沢では鰯をもみやからたちの枝に刺して門口におくようになった。それは小僧がのぞいた時にその目を刺すからだという。
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ロウジン,タヌキ
1922年 三重県
ある時御師の家が取り壊しになり、門だけが残っていて、雨が降っているときにそこを少年が通ると門の中から老人が出て来た。老人にどことも知れず連れて行かれた。家では大騒ぎして探したが、3日後隣人が夜9時ごろ停車場で偶然見つけた。少年は大熱を出して寝こみ、老人に誰にも言うなと口止めされたと言う。永らく屋敷に住んでいた古狸が住処を失って、老人に化け、精神力の弱そうな少年を見込んで憑いたものであろうという。
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シンイ,(ヨチ)
1984年 長野県
ある年の夏、木曽山へ登った団体のうち一人がはぐれて行方不明になった。焦った先達が、探し回って木曽にちょうど泊まっていた清海に神意を聞いてもらった。すると不明の方は心配せぬとももう間もなく此処へ来られると予知された。するとその人が到着した。
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カッパ
1991年 滋賀県
梅吉という爺さんが住んでいた。ある日お坊さんが「この玉をあずかってください」といって出した5つの白い玉を預かった。しばらくすると子供がやってきて、その玉を欲しいといった。お爺さんは断ったが聞かない。河童が化けていることに気付き、「相撲をして勝ったらあげる」といって相手になり、その玉を隠そうと益田川の大井のところに行くと相撲をしていた子供が先に来ていた。うろうろしている間に玉は無くなっていた。子供は河童が化けていた。
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ウジガミサン
1965年 高知県
氏神さまを信仰したおかげで助かった人がいる。室戸から大きな漁船に乗ることになり、出立の朝にヤナギカケを作った。しかしその皿が引っくり返り、気持ちが悪いのでやめにした。次の日には、お宮の前で扇子を忘れたのを思い出して取りに帰った。出直して、またお宮の前でハンカチを忘れたのに気づいたが、そのまま出航した。しかしどうにも気持ちが悪いので、女房が引返すように電報を打ち、須崎から帰って来た。その船はそのまま行方不明になってしまった。
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タヌキ
1974年 愛媛県
夜、田に稲わらを干してあるのに雨が降り出した。おじいさんが稲わらをしまいに行くのを手伝おうと思って追いかけたが、歩いても歩いても追いつかない。気づくと谷間に入り込んでいたので、狸に化かされたと思って田まで引き返すと、おじいさんは稲わらをしまい終わっていたという。
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キツネ
1995年 滋賀県
昭和十七年の十月に、園町の人が海軍志願のため百済寺本町の小学校へ行った。十一時ごろ学校を出たが、同じところに出てしまい、二時間ほど帰れなかった。きつねの仕業。
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シンランショウニン
1979年 山梨県
水がわき出る場所をあてた旅僧は、婆さんに礼をいい、百ヶ日の行を終え七保地へ旅立った。そこへ爺さんが帰ってきて、あれは名僧に違いないから追いかけろというので、婆さんは急な山道を追いかけ、麻の前かけに字を書いてもらった。そのまま防さんは見えなくなったが、後にこの名僧が親鸞聖人であることが分かった。その後、この沢は、人々の行き来のたびにヅヅと音がするので、「ヅヅガ沢」という地名になった。
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シゲダ
1976年 山形県
後輩の安達富雄君は、「しげだ」と呼ばれる場所に差し掛かると、恐ろしい現象が起きたので、引き返して遠回りをして帰ったことがあるという。
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キツネ
1996年 愛知県
富貴中学校の前の道は松並木が続いていて、並松と呼ばれていた。この道に利口なキツネがいて、通行人を化かした。市原へ通じる分かれ道にあるお地蔵さんに油揚げなどを置くと化かされずにすんだ。ある人が婚礼の帰り道に、突然目の前に塀が現れて行き止まりになり、夜明けにようやく家に帰った。女房に言われて風呂に入ると、それは肥だめだった。朝、人が見つけて助け出したという。
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ジゾウ
2001年 奈良県
園生の森にお清という賢い親孝行の娘がいた。ある日、労咳の母親のために蜆をとりにいったが、帰ってこないので母親は娘を探しに出たが、見つけられずに死んでしまった。寺を造営する際に地蔵を集めたが、横尾の地蔵だけは動かなかった。娘が帰ってくるのを待っているのだという。
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オッサン,オジサン
1932年 石川県
明治初年頃、子供が夜中から居なくなった。7、8日目にその子供が猫岩という岩頭にボンヤリとたたずんでいた。おじさんが一緒に来い、いい所につれていってやると言われた、と言ったまま、子供は口をつぐんだという。
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タヌキ
1985年 愛媛県
中学からの帰り道、国領川の河原の狸に化かされた。親戚の家に寄りご馳走を持って帰っていた。一ヵ所川の中を渡らないといけない所があるが、何度も川に行き当たる。疲れて座りこんで考え、狸に化かされたと思い、「狸め出てこい」と叫ぶと灯が向こうから来る。組みつくと家の男衆であった。家に帰り着いて風呂敷包を置き、足を洗っているとなくなっていた。
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