国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

レイジャ,コセン
1973年 北海道
文政6年6月のこと。松前領エサシの近郷、アヒノマ村の立之助の妻よすは、素朴で欲がなかった。文政6年6月に彼女は畑で古銭をぞくぞくと掘り出した。しかし畑仕事が疎かになるので、少しだけ掘り出して宿所に持って帰った。その帰路に小さい蛇が後ろから付いてきたが、門あたりで見えなくなった。それを聞いた立之助が銭の入れてある簣を見ると、小さい蛇がいたのでキセルで殺した。立之助はまだあると思い、かの畑を掘ったが何も出なかった。これは霊蛇を殺したからと思われた。

類似事例(機械学習検索)

ヘビ,シュギョク
1974年 東京都
文政9年頃、小石川三百坂に住む高橋千吉という14歳の子供が遊んでいるとき、15匹ほどの蛇が折り重なってわだかまっているのを見つけた。その中には古銭一文があり光っていた。千吉は腕をさしいれてそれを取った。周囲の者が殺せと言うが、仙吉は人に害をなしていないのにどうして殺すのか、と人々をいさめた。これは彼の祖母が蛇がたくさんわだかまっている時はその中に珠玉があり、それを得ると生涯金持ちだといっていたからである。
類似事例

ヘビ
1974年 宮崎県
阿州の二宮久太夫が日向国で宿を求めたところ、ある家に泊めてもらう事になった。しかしそこの亭主は病んでいて、首に細い2匹の蛇が巻き付き、その傍らに18、9歳の女2人が双六をしていた。主人が言うには、この蛇はこの女の執心で、1人が怒れば1匹の蛇が首を絞め、2人が怒れば2匹とも絞めるという。翌朝その家を出た久太夫は、お礼を言おうと数日後に戻ったところ家はなく淵になっていた。里人に聞けば、地震や風雨によって無くなったという。
類似事例

ムソロクブ
1919年 徳島県
ある年の暮れに、川の渕で庄屋が、前の晩に泊めた六十六部を殺して秘蔵の宝物である金の鶏と蚊帳を奪った。血まみれになった六部の足は川へと滑り込んだ。その頃庄屋の家で下男が餅をついていると天井から血みどろの足がぶらさがり、1羽の黄金の鶏が現れ米を食い尽くした。その後片足と鶏は六部の笑い声と共にどこかへ消え。その後も色々禍が続いたので庄屋の主人は墓を建立した。
類似事例

リョウトウノヘビ
1973年 東京都
文政7年11月24日の7時頃、本所竪川通り町方掛り浚場所で、卯之助という男が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。
類似事例

ダコツ
1973年 新潟県
越後の国頸城郡小丸山の辺にある柳が池に、本妻が供に命じて妾を沈めさせ殺した。その夜本妻とその時の伴の者が熱を出し、家の中を走り回った。加持祈祷をしたが、やがて取り殺された。その後も種々怪異の事があり家が絶えた。池でも夜、女の泣き声等があり、後に蛇身になった。数年後聖の教化で怪異は止み、後に池は荒れはてて、池の水も乾いて毒蛇の骨が出てきた。今は勝楽寺の宝物になっている。
類似事例

ダイジャ,ムスメ
1929年 長崎県
2匹の大蛇に困っていた農民たちは、島原城主に頼んで蛇狩りをして1匹を殺し、1匹に痛手を負わせた。島原城下の杏庵という医者のところに毎夜更けにくる女がいた。女は治療の末完治し、その後杏庵との間に子供ができた。ある時、正体が大蛇だとわかり、子供にくりぬいた片目を残し、去っていった。その後、寛政4年4月4日に眉山が崩れる地震が起きた。眉山の下の蛇町の人は大蛇に逃げ道を阻まれて家にいた人々は命が助かった。地震は蛇の崇りだといわれ、その責を負って島原城主は自害した。
類似事例

ネズミノモチツキ
1956年 宮城県
正直者だが貧乏な老夫婦がいて、爺は正直正兵衛といった。キノエネの大黒様のお祭が貧乏でできないので、おわびしながら拝んでいると、鼠が庭の角から出てきて「面白いところに連れていってやろう」と爺を連れて行った。細い道を抜けた奥に大御殿があり、そこの大きな旦那鼠が爺に酒を飲ませ、歓迎した。鼠の餅つきが行なわれ、爺はさまざまな餅をご馳走になり、鼠踊りなどを見物し、帰りに大判小判を婆への土産にもらった。その夫婦の隣に住んでいる慾深の慾兵衛老夫婦の婆が、火種をもらいにきたときにこの話を聞き、無理矢理慾兵衛を鼠の穴に突っ込んだ。慾兵衛は今回鼠たちが大判小判をいっぱいひろげたものを全部とろうと、猫の鳴き真似をしたところ、鼠が一斉に逃げ、真っ暗になったので、小判どころではなく命からがら帰ってきたという。
類似事例

ヘビ,タタリ
1973年
文政8年4月27、8日のころ、2人の火消仲間が交尾している蛇を殺した。ひとりは5月8日に発病し15日に死んだ。もうひとりは同月20日に病気になり蛇のことばかりを口ばしり、狂いまわった。修験者に見てもらったが、6月1日に死んだ。また蛇を殺すのを手伝った者も病気になった。
類似事例

(コソダテユウレイ)
1965年 兵庫県
夜、同じ時刻に女が1厘銭を持って菓子を買いにくるので、不審に思って6日目の晩に店の主人が後をつけると、墓の前で消えた。墓を掘ってみると、女が墓中で赤子を産んでいた。それで、死んだ人には6文銭を持たせるという。
類似事例

ミズウミノヌシ,ダイジャ
1928年 東京都
昔のある日、漁夫は船に一杯の魚と引き換えに、湖の主の大蛇に三女を嫁にやることになった。蛇が迎えに来たとき、娘は鳩になって富士山の山頂に逃げた。そこにいた事代主命は娘を連れて大島から三宅島に逃げた。そこにわなを仕掛けて大蛇を酔わせ、火之迦土に作らせた霊剣で、差出命が大蛇を斬り殺した。蛇は3つに斬られ、尾は大島に、頭は八丈島に飛んでいった。だからそれらの島では蛇が多いのだという。
類似事例

ヘビ,メイギョク
1974年 東京都
文政9年の6月25日の昼過ぎ、小石川三百坂の道路上に、蛇が15匹ほど集まり、つるべ縄をわがねたように折り重なっていた。そこに高橋千吉という子供が空間に腕を入れると、中には古銭があった。彼は古老から蛇がこのように集まっている中には名玉があり、それを得ると生涯金持ちだと言われており、それを使用していた。
類似事例

リュウジン
1928年 徳島県
王余魚谷に住んでいた貧しい猟師はある日、深山で美しい妙齢の婦人に出会った。婦人は竜神から紀州の那智の瀧と、この王余魚瀧に住めといわれ、来てみたところよい住処なのでここに住むといった。そして、自分がここに住んでいることは誰にも言うなと猟師に口止めをした。旱魃の時には雨乞いに霊験を顕したという。その後、洪水で社が流されたが、漁夫に発見されたときには何の破損もなかったと伝えられている。
類似事例

オセンガフチ,ダイジャ
1987年 長野県
昔,この村に何処からともなく三人の姉弟が移り住んできた。上からお仙,庄兵衛,金次郎といった。ところがその後,これまで平和だった村で毎晩のように家畜が盗まれるようになり,後には大蛇のものと思われるような蛇のうろこが落ちていた。三人兄弟が実は大蛇の化身で,盗みの犯人だとわかり,村人達は退治の相談をしたが,大蛇のたたりを恐れ,三人を神様として祀って封じ込めることにした。お仙はお仙ヶ淵,庄兵衛は築地原の菖蒲池,金次郎は金次郎池に祀られ,年に一回ずつお祭りを行った。するとその後,家畜が盗まれることはなくなったという。
類似事例

ヘビ
1985年 山形県
目の良く見えない坊主が山の中で道に迷い、山中の洞の中で泊った。退屈なので持っていた三味か琵琶かを弾いていると、若い娘がやってきた。聞かせてくれと言う。一通り語り終わり、娘に正体を尋ねると蛇だという。子分の蛇もいて、食べ物がないので洪水を起こして村を全滅させて村人を食うつもりという。村に下りてから村人にそれを告げ、村人は対策を講じて蛇は死んだという。坊主は告げ終わると死んでしまったので、それを祀った。
類似事例

タタリ,キダン,キカイ,ヤマノカミ
1974年 京都府
文政11年、鳥辺野の地蔵山から土砂を採っていたところ、山の神といわれる所まで掘り進めてしまった。大きな壺に掘り当たり、怪しいと思ったけれども、周りや底のほうへ掘り進めた。すると突然土中が鳴動して、壺がすり落ちる音に驚いて人足が死んでしまった。そして世話人の数人もことごとく大病にかかり死んでしまった。老尼の祈禱者に頼み神おろしをしてもらうと、絶入の形になり、幣を持たせると居直って、にらみつけて、自分は明智の一類であり、山に葬られ、山の神と言われていたが、理不尽な振る舞いの鬱憤が晴れないと言う。後も地蔵を穴に納めて供養したり読経をしたりしたが死人が出た。
類似事例

キヨヒメ,ヘビ
1981年 和歌山県
安珍という山伏が那智へ行く途中、真砂の庄に泊まったら、そこの娘の清姫に見初められた。安珍が座っていると清姫の髪が外から障子に当たるので安珍は怖くなり、日高川を船で渡って逃げた。清姫は追ってきて日高川を蛇になって渡った。安珍は道成寺に逃げ込んで釣鐘の下に隠してもらったが、草鞋の紐が出てしまった。紐を中に引き込もうとしたが、草鞋の先の結び目が邪魔になって隠し切れずに、見つかった。清姫は鐘を7巻半巻いて溶かしてしまった。溶け残った清姫の死骸は蛇だった。そのようないわれで、草鞋の紐の先は結ばないという。
類似事例

ネズミニコロサレタハナシ
1956年 宮城県
享保の頃(1716~1736),仙台城下での話。享保5(1720)年4月新妻胤信より採集。伊藤氏の家来の六兵衛が鼠の妖災によって病に臥し,危篤になった。ある夜亥の刻頃,伊藤氏の義兄新妻胤信が様子を見に行くと,六兵衛は毎夜安眠できずすっかり疲労していると嘆いた。胤信が慰めていると,何処からともなく大小の鼠が6,70匹ばかり現れ,寝床の辺を這い回る。六兵衛がいくら追い払っても効果がなく,家人が来てようやく追い払った。六兵衛の話では,毎夜このような状態で医師も祈祷も効かず殆ど寝られないという事であった。間もなくして六兵衛は死んでしまった。鼠の祟りか何か,その辺の事情は不明である。
類似事例

ヘビ
1981年 東京都
昔、里にたくさん蛇がいて困っていた。そこで1人の若者が遠くの神様のもとに行き、一心不乱に拝んだ。帰りに1人のお坊さんがついてきた。宿を請うので泊めると、翌朝布団の中には1枚のお札が残っていただけだった。若者がこの御札を懐中にして田に行くと蛇に襲われたが、蛇はお札があるので呑み込めなかった。そして大勢の村人によって蛇は退治された。
類似事例

テング,カミカクシ
1928年 富山県
大正6年に農家の嫁さんが神隠しにあった。2晩も寝ずに村中で探し回った。3日目の朝に見つかった。
類似事例

ヘビ,イケノヌシ
1965年 高知県
赤泊の池の主は夫婦の蛇だった。その池に庄屋が鴨撃ちに行ったとき、下男が小刀を池に落してしまった。小刀は蛇の側に落ちた。その夜庄屋の夢に蛇が出て「小刀を取ってくれ」と頼んだが、庄屋は取りに行かなかった。数日して下男が大月の神社に参ろうとして出かけると、途中で遍路姿の夫婦者に「参る必要がなくなったから帰れ」と追い返された。下男が帰ってみると、庄屋は死んでいた。それから家の者も次々に死んでしまった。庄屋は死に際に「祀ってくれたら村の暮らしを楽にする」と言い残したので、庄屋の墓に祠を作って祀っている。赤泊の池は今では田圃になってしまった。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内