キョジン,ダイトクボウ 2003年 福島県 昔、大徳坊という巨人がいて、タンガラ(背負籠)で土を運んできて平地にあけた。それが今の信夫山である。タンガラの底に少し残っていた土を捨てたのが今の一杯森(福島市森合)であり、草鞋の裏についた土を払ってできたのが石ヶ森(福島市鎌田)であるという。
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シナイヌマ,ダイダラボウ 1956年 宮城県 ダイダラ坊という巨人が大昔、タンガラに土を入れて運び、七ツ森を造ったとき、土を取った跡が品井沼となったという。
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ナナツモリ,キョジン 1956年 宮城県 朝比奈三郎はタンガラを七度ゆさぶり、その土が七ツ森となった。足駄の歯にはさまった石を降り飛ばしたら、加美郡色麻村の小栗山におちて男石となった。しまいに土を全部投げ出して出来たのが同郡西小野田の薬莱山、捨てたタンガラにくっついていた土が残って出来たのが薬莱山のタンガラ森である(加美郡色麻町小栗山)。
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オトナ 1920年 徳島県 稼勢山という山がある。その昔この辺りに巨人が住んでいて、もっこう(土を運ぶ道具)に土をいれて運んでいると、その綱が切れて土が積まれて山になったという。近くに巨人が米を搗いて、その糠を捨ててできたという小山もある。
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データラブチ 1992年 群馬県 昔巨人が榛名富士を作ろうと土を運んでいた途中で夜が明けたので土を掘り出して帰った。その土がひともっこ山である。
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ヨシダガワ,ダイダラボウ 1956年 宮城県 ダイダラ坊という巨人が、タンガラに土を入れて品井沼から何度も往復して七ツ森を造ったとき、その跡が吉田川となった。
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オニ 2003年 福島県 昔、福島盆地が湖水であった頃、鬼がタンガラ(背負籠)を背負って吾妻山から土を運び、湖水を埋めようとした。しかし作業の途中で夜明けが来たので鬼は姿を隠した。そしてできあがったのが信夫山であり、ダンガラについた土を落としたのが一杯森(福島市森合)であるという。
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ダイダラボッチ 1992年 静岡県 昔巨人が富士山のような山を千頭に作ろうと土を運んでいた。夜明けが近くなったので土を掘り出して行った。その土が丘となって残っている。また大井川を一跨ぎにして水を飲んだ時の足跡が遠州と駿河にそれぞれ足窪と名づけられ残っている。
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(チャボウズトイヌノイシ) 1984年 新潟県 長者ケ原に住む犬神長者は佐渡島のできはじめたころ、真野湾一帯に多くの田んぼを持ち、小木湾をその苗代にしていた。ある大田植えの日、その日じゅうに植え終えようとしていたのに、日が傾いた。長者は、鉄の扇で太陽はその場に止まらせ田植えを終わらせたが、それ以降不吉なことが続き、佐渡を去らねばならなくなった。長者を慕う茶坊主と犬が後を追いかけたが、間に合わず、悲しみのあまりそのまま石になった。今でもその石が沖のほうを向いてたっている。
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センチョウギ,キノセイ 1989年 山梨県 ミノヒキ山は、1本の木で千丁の薪がとれるので、千丁木という。朝、山へ登っても切り終えない。帰って、また翌朝行くと、切った跡が元通りになっている。何回かそんなことが続いたので、木こりが残って隠れてみていると、夜中の12時か1時ころになった、この辺の山のあらゆる木の精が集まって、話していた。木の精の首領が切りくずを焼かれてしまったら駄目だといったのを木こりの責任者が聞いて、切りくずがでるとそれを燃やしてしまった。それで千丁木は切られてしまい、今では地名だけが残っている。
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センチョウギ 1989年 山梨県 千丁木といって、大きいその木から角材が千丁採れた。昔、そま師が毎日幾人かの人を連れて山へ行った。朝に行くとヨキで切ったところがふさがっていた。
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アマノジャク 1990年 長野県 天の邪鬼が上松に来たとき、手に一握りの砂を握って台ヶ峰に登った。その砂を付近の小山にまくと、初めは細かなものだったが年が経つにつれてだんだん大きくなった。今ではそこを岩屋といい、大石が石垣のように連なっている。
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イヌガミチョウジャ 1984年 新潟県 長者ケ原に住む犬神長者は佐渡島のできはじめたころ、真野湾一帯に多くの田んぼを持ち、小木湾をその苗代にしていた。ある大田植えの日、その日じゅうに植え終えようとしていたのに、日が傾いた。長者は、鉄の扇を広げて「日の神よしばしとまれ」とあおぐと、太陽はその場に止まり、田植えを無事に終わらせたが、それ以降不吉なことが続き、長者は佐渡を去らねばならなくなった。長者を慕う茶坊主と犬が後を追いかけたが、間に合わず、そのまま石になった。
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イミダ,エンギダ,イワレノタ 1968年 群馬県 忌田には、エンギダ・イワレの田などの呼び名がある。石塚には2ヶ所あり、両方とも2反くらいの広さである。かつて持ち主の1人は供養のために地蔵を建て、他の1人は樺山大神を祀った石碑を建てた。この石碑を建てたA氏はこの地の開墾者だったが、この田を所有して不吉な事件が続発して主人が交通事故にあったり、病気をしたりしたため、安い値段で現在の所有者に売り渡した。するとA氏は平穏になったが、現在の土地の所有者には不吉なことが起った。
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セノタカイオトコ,キ 1978年 和歌山県 若い男が一人で山道を歩いていると、背の高い男が相撲を取ろうという。何回投げ飛ばしても起き上がってきて、2時間ほどして疲れて帰った。翌日その場所へ行くと一本の木があった。男はその木と相撲を取っていたのだった。
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ゴリンイシ 1972年 岐阜県 多士の森は昔、お城がたくさんあったという。そこには五輪石があり、侍の墓だと言われている。大正の初め、山本利左ェ門という人がその辺りを田にしようとして木を切ったところ、突然雷や雨が降った。それでも実行すると、五月なのに雹が降って、掘った場所からカツタイのような小さな石像が出てきた。それを家の門口に置いておいたが、いつの間にかなくなったという。
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オフデムロ,モリヨシシンノウ,モリナガシンノウ 1956年 宮城県 護良親王が鎌倉を脱して宮戸島月浜に着船し、大浜で仮住居した時、嵯峨渓海岸の御番所山の中腹で、室の木の枝を筆とし、これを地に挿したところ根が生え大木となる。
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コイシ 1967年 福島県 波立薬師のお堂の前は小石の浜で、この小石を持ち帰ると、帰りたがって夜に泣くという。そしていつの間にかひとりでに帰るという。ある人がこの砂利を運んで庭に築山を造ったところ病気になり、石のためだということになり元の所へ返したという。
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イヌガミチョウジャ 1984年 新潟県 長者ケ原に住む犬神長者は佐渡島のできはじめたころ、真野湾一帯に多くの田んぼを持ち、小木湾をその苗代にしていた。ある大田植えの日、その日じゅうに植え終えようとしていたのに、日が傾いた。欲張りでわがままな長者は、鉄の扇を広げて「日の神よしばしとまれ」とあおぐと、太陽はその場に止まり、田植えを無事に終わらせたが、それ以降不吉なことが続き、長者は佐渡を去らねばならなくなった。
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エノキ,ヤマノキタチ,モミジ,マツ,スギ,ケヤキ,ホウ,サルスベリ 1982年 新潟県 折渡に6戸しかなかった昔に、何百年もたったエノキがあった。折渡の大尽だった一左衛門が殿様に献上するために切ることにしたが、伐った次の朝になるとえのきの斧くずはなく、元に戻っている。ある晩、一人の六部がエノキの下に泊まっていると、山の木たちがエノキの見舞いにやってくる。エノキは、人間はバカだから気づかないが、斧くずに灰をつければもと通りにならんのにという。よく朝六部はそのことを話し、その日からえのきの斧くずに灰を混ぜたので、エノキの木は切られてしまったという。
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