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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

シシャ,シュッサン
1913年 東京都
吉良賴康の妾である常磐が不義のために、妊娠中に殺害されたが、男子を生んだ。

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トキワゴゼン
1973年 奈良県
常磐御前は奈良の不自由寺で牛若丸を生んだという。
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ワカミヤ
1977年
謀反の罪に問われた井上内親王の母は、妊娠中にもかかわらず、押籠の刑にされ、そこで男子を出産した。そこは大岡郷小山と言ったが、それから産屋が峯と言う。その御子は名を雷神といい、成長して井上内親王達の一件を聞き、ふかく恨んで、怒りのあまり死んだ。霊は雷となって都を襲ったので、霊をなぐさめるために、神に祀り若宮と名付けた。
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タイジ,オンネン
2000年 東京都
男が、孕ませた下女に堕胎薬を飲ませて死なせてしまう。下女が、生まれることの出来なかった胎児の怨念を重ねて、男への恨みとともに泣き叫び、怨霊となって祟る。
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サル
1939年 和歌山県
猿屋が許してくれと拝む猿を撃ち殺したところ、妻が猿の子を産んだ。
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ヒメタニイケ,ヘイシノヒメギミ
1939年 奈良県
平氏の娘が落ち延びた先で残党の勇士とで出会い懐妊するが、夫は敵襲で死んだ。姫は池に飛び込んで自殺し、以後、姫の亡霊が通行人を池に引き込むようになった。
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コソダテジゾウ
1956年 宮城県
西村大助という者が荒谷の鳥蔵に殺され、妻も斬られて死ぬ。そのとき傷口から女の子が生まれる。地蔵が親となって育て、成長ののち、地蔵が助太刀して敵討ちをさせた。人肌地蔵と子育地蔵と二体立っていたが今はない。幼児の夜泣きをとめるという夜泣地蔵が立つ。
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アオ,ウマ
1935年 群馬県
塩原多助という豪農の息子がいた。父の死後家を相続し一心に稼いでいたが、継母お亀が浪人者兄弟を引き入れて不義を働き、多助を邪魔にして虐待するので心を決し家出した。その時愛馬青と別れを惜しみ、涙を流して月をも曇らせたという。江戸に出た多助は努力して分限者となった。一方青は主人の家出後、お亀が娘と浪人者を祝言させようとした時にその婚礼の席に躍り込み、花嫁花婿を食い殺したという。
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チゾメノサクラ
1961年 岐阜県
足利義視は赤坂の長者の女蟹氏の局との間に一子をもうけたが、乳母があやまってその子を井戸に落としたので、乳母を斬って井戸に投じ、その井戸を埋めて桜を植えた。その桜は毎年血のような花が咲く。
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(オキクノタタリ)
1982年 群馬県
国峯城主の小幡公が侍女の菊ばかりを寵愛したので他の侍女が妬み、公の御飯に針を入れて、菊の仕業とした。菊は蛇責の刑となり、桶に入れられて宝積寺の池に沈められた。日野村の小柏源六が通りかかった時に桶を開けると、大量の蛇と瀕死の菊が出て来た。菊は「このご恩にお家に蛇の害は無いように致します」と言って亡くなった。お菊の母が「お菊が無実なら芽が出ろ」と池の辺に炒りゴマをまいたら、芽が出た。お菊の祟りで小幡家に戦死や切腹の沙汰が続いたので、宝積寺に碑を建てて供養した。
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サルトラヘビ
1987年 岐阜県
高賀山の化物に偉い人の子供が殺された、その血が流れた場所には、草が生えない。
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カタメノオシズ
1949年 福井県
柴田勝豊が築城する際、片目のお静という女性を人柱にした。お静は遺族を侍にしてくれるよう頼んだが、勝豊はこの約束を反故にしたので病死した。毎年4月半ばにお静の命日になると春雨が降ってお壕の水が増水した。
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オカマジゾウ
2001年 愛知県
弘仁の頃に丹羽郡小折村に若夫婦があった。一子を預け給えと信願すると、男の子を授かり、常丸と名付けた。妻はある日帰らぬ人となり、夫は再婚したが、継母は常丸を虐待した。夫が行商に出かけた折に継母は常丸を煮殺そうとする。夫は胸騒ぎがして引き返し、子供から一部始終を聞く。地蔵様が湯から引き上げてくれたという。これを聞いた継母は改心し、釜と地蔵を貰い受けて尼となった。これより名付けてお釜地蔵という。
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ヤシャガイケ,ダイジャ
2002年 滋賀県,岐阜県,福井県
越前の北の方に伝わる話。美濃国安八太夫の娘お里が身につけていた針の鉄分のため大蛇は病気になったのでお里は実家へ返される。これを聞いた越前の長者は越前側に水を流してもらいたいため娘を後妻として夜叉ケ池に嫁入りさせた。これを知ったお里は怒って夜叉ケ池で大喧嘩が起こったが、長者は男を雇ってお里を弓で射殺してしまった。
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オニ,(オニカゲユ)
1982年
中村勘解由に男子が生まれた。乳母をつけるが皆すぐに止めていった。ある乳母に理由を聞いたところ、夜になると男子に角が生え、目は日月のように光り、口は裂け、行灯の油を舐め、その姿が恐ろしいからだと答えた。勘解由が夜それを確かめたところ、話の通だったので男子を斬り殺した。中村勘解由が鬼勘ヶ由と称されるゆえんである。
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(タタリ)
1974年 神奈川県
延宝7年、相模国本目浦に八郎兵衛という大工がおり、その甥は悪人であった。扱いに困った八郎兵衛は、彼を縛って海に沈めた。その翌夏に妻が子供を産んだが、それが額に角があって甥の顔に似ていたのでまた殺したところ、死体はむくむくと持ち上がったという。そこでその遺骸を神子の口寄せにかけたところ、私を殺した恨みを子供になって晴らそうとしたができなかった。この上は火難に遭わせてやると言った。すると程なく八郎兵衛の網だけ燃え上がって焼失したという。
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ユウレイ
1941年 岩手県
些細な誤解がもとで、男は恋を打ち明けてきた娘を殺してしまった。それでも男への愛情は変わらず、女は幽霊となって通い続けた。そのうち、女の幽霊は男の子ができ、女はその子を養育していくのであるが、やがて幽霊界へと帰っていき、男の子は今度はある僧に育てられ、通幻禅師という高僧になった。
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イノシシ
1928年 愛知県
豊田という家に子供のときから世話になっている女がいた。同じ郡内の島原某という狩人の女房になった。ある時、狩った猪の臓腑を抜こうとして山刀を突き通すと猪は一声「痛や」と叫んだが、気にとめずに料理してしまった。そのとき女は臨月であった。その後、女は子供を産み落としたが、その子は胸から腹にかけて腹を裂いた猪と同様に一太刀割られた姿であったという。女はその後離婚して旧家へ戻り、奉公していたと言われている。
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ダイジャ,オキクノミズ,クマ,サル,ライジン,タタリ
1914年 岩手県
ある時、猟の名人が孕んだ猿を殺した。やがて産まれた子供は熊の手足に猿の顔の奇形児だった。4度目に玉のような娘が生まれ、菊と名付けて寵愛したが、21になったある日、昔殺した五郎沼の大蛇の生まれ変わりであることがわかった。娘は明玉を渡し、飢渇の際は舐めればよいといって飛び去って行ったが、雷神の怒りに触れ、北上川で殺された。この時の洪水をお菊の水と呼ぶ。
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キツネ
1976年 岐阜県
美濃国である男が野の中にいた女を妻にした。やがて男の子を生んだ。ある時家の犬が子を生んだがその仔犬が女を喰おうとした。すると女は正体を現し野干になった。
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〔オニゴ〕
1977年
獅子谷で鬼子が産まれたので、父が嫡子を呼んで、よこ槌を持ってこいと言ったところ、鬼子がそれを聞いて、父の手に噛みついたので、槌で叩き殺した。
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