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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ゴンゲンサン
1937年 秋田県
保呂羽山権現の社殿の戸は幕府時代には5寸釘で打ち止めてあった。正月の参詣で人々が大挙して訪れた時、押し合いの群集はほとんど裸体であったのに、怪我人が出なかった。

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フジョウノバツ,マサユメ
1937年 秋田県
保呂羽山権現の元宮の別当の家で火事があり、参詣者でこの家に泊まっていた多くの人が焼死した。これは別当家の老婆が死んだのを秘していた不浄の罰だという。その夜、別当家より他家へ嫁いだ嫁が火事の夢を見ていたという。
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カミガカリ,ノロイ
1928年 愛知県
明治の少し前、横山の村に塩田某という豪家が衰運になったころの話である。村の名主だった主人が3年越しで患っていた。原因はわからないが、日々衰えて行く様子であった。そのとき、末娘が白鳥六社を祀った氏神に裸足参りをしていたが100日目に神がかりになり、主人の病気が氏神の鳥居脇の杉の木に打ち込まれた釘のせいであることがわかった。
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ホロワヤママイリ
1937年 秋田県
正月3日に保呂羽山へ出かけるとき、肉親に忌のあるもの、不浄のものは懈怠を起こして歩行が出来なくなって、気を緊めても骨が抜けたようになり、村はずれから帰らねばならない。
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ゴトバイン,シンレイ
1974年 大阪府
文禄の頃、石川五右衛門という盗賊が後鳥羽院の神霊を祀った水無瀬殿に押し入ろうとした際、後鳥羽院の神霊の所為だろうか、五右衛門の身体がたちまち縮み、中門から内に入る事ができなかったという。
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ホロワヤママイリ
1937年 秋田県
保呂羽山参りをすれば身体が頑健になる。
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ウシノコクマイリ
1985年 愛媛県
筆者の祖父が、変な音がするので社務所から覗くと頭にろうそくを灯した枠をいただいた白衣の女が槙の大木に釘を打っていた。明治中期の話である。
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テングノマ
1978年 滋賀県
(比叡山)横川の大師の拝殿には天狗の間というものがあり、4面を釘で板囲いしている。時々その囲いの中から羽音がすると衆徒が語っていた。
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ゴンゲンサマ,タタリ
1950年 秋田県
八沢木にホロワサン(保呂羽神社か)という霊験あらたかな権現様が山の上にある。この山の麓には宿坊が2軒ある。その内1軒で身内が亡くなったのを知らせないまま参拝人を泊めた。するとその晩、物凄い轟音と共に窓から家の者と参拝人が放り出され死んだ。これは権現様の仕業だという。
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シングン,ヤノネイシ
1974年 山形県
出羽国庄内飽海にある大物忌を祀った社の境内では、一年に一度神軍ということがおきる。これは一時二時の間に暴風雨や雷があった後に、石で造ったような矢の根があちこちに落ちているという。人々はこれをお守りにするという。
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マモノ
1983年 香川県
マショウノミチにはマモノが出るので怖れて誰も近寄らない。そこでは村の人がマモノが出ぬように地蔵さまを祀ったが、いつの間にか袈裟懸けに割れていたという。
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ミガワリニョライ
1973年 東京都
文政7年の秋、ある人が群集の中で転倒した際、後ろの侍も転倒し、ある人の上に倒れた。侍の脇差が抜けその人に当ったが、風呂敷が切れただけだった。家に帰ると掛けていた阿弥陀像が落ちており、よく見ると刀で切られたように切れており阿弥陀の肩から血が流れていた。
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ヤクジン
1976年 東京都
天保8年2月下旬、次女の乳母が日暮れに急に寒気立ち、夜着を被って打ち伏せていたところ、翌朝になり、昨夜より風呂敷包みを背負った男が側にいると言った。これは疫神かと、種々の札を枕元に掛けたところ、男は立ち去ったといって全快した。ところが上野の祭礼に主人とせがれとで行ったところ、急に歯が痛くなり、家に帰ると治った。すると乳母が再び寒気を訴えた。そこで刀を抜き乳母を峰打ちにしたところ、男がすぐに立ち去るので、障子を開けて欲しいと言った。障子をあけると乳母はそこで倒れたが、そのまま起き上がり正気となった。早く塩をまいて箒で掃き清めよ、と言った。
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センタイノブツゾウ
1935年 鳥取県
文徳天皇の時代、因幡国金屋千賊谷に多数の強賊が立て籠って里人を脅かしていた。その頭目がそこの日の出の長者、鳥越長者の娘と仮装して通じたが、乳母に見破られ姫は恥じて自殺するに至った。頭目はますます毒牙を逞しくした。その時勅命で因幡国に下在業行平朝臣が下向し、何度も討伐に向かったが叶わず、朝廷に召還された。行平朝臣は神護を祈り、千体の仏像を作ってこれを祀ったところ遂に平定することができた。その仏像の余材を使って12本の羽子板を作り朝廷に献上したという。
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オニビ,アシオト,ハナシゴエ,ダイオンキョウ
1973年 愛知県
尾張高野山岩屋山奥之院は、今昔を問わず修行道場として多くの人が来る。行者はいずれも三日ないし七日間断食又は火のもの断ちして、毎夜十二時から一時にかけて樹木の生い茂る真っ暗がりの堂外の諸仏を巡拝するのだが、その時、大牛が道に横たわり前進を妨げたり、幾十もの鬼火が現れたりして行の邪魔をする。また、数十人の足音や話し声が聞こえたり、屋根に大石が落ちるような大音響などがして、修行の途中で逃げる者もいる。
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オウゴンブツ
1973年 和歌山県
文政8年の春に、熊野本宮社に堤を築こうとして、境内にある大黒島という岩山から採石していた。作業者が休憩したら、巌上の土砂が崩れるが、作業中には崩れない。また多くの烏が集まってきた。心弱い人は逃げだしたが、強い人が作業を続けると、土中から甕が出てきた。その中には黄金の阿弥陀仏が入っていた。
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アワモチジゾウ
1948年 静岡県
南北朝時代、毎夜火を灯して奥山城の前に立っている者がいて、不思議に思った家来が見に行ったが、待っているうちに眠ってしまった。ふと目を覚ますと目の前に立っていて、家来は忍び寄り、切り下げて逃げ帰った。翌日その場所に行くと、地蔵が肩から切り下げられ、二つになっていた。この地蔵は猪を防ぐために建てられたものだが、家来が切って以来、火を灯して辻に立つことはなかった。地蔵尊を新しく作ったが、また同じように二つになってしまった。それ以来、何回作り変えても同じようになるという。
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タケコマイナリ,キツネ
2003年 福島県
昔、鎌田村の竹駒稲荷に加茂左衛門という男が奉仕していた。加茂左衛門は竹駒稲荷の神位昇叙の際に手を出し、自らの手に正一位の印を押されてしまった。竹駒稲荷の宮司は加茂左衛門に永久に社に仕える事を要求したが、両親に会いたくなり帰宅する。しかし加茂左衛門はいつの間にか口裂け眼光りの狐になってしまっていて、自宅から追い出される。信夫山の狐である権坊に助けを求めるが、村に戻った加茂左衛門は村人から恐れられ法印の祈祷によって石ヶ森の岩窟に封じられた。
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ゴニンシュウ
1975年 愛媛県
四国征伐の際に家老の妻子5人が敵に殺害され、村人は供養塔を建てて「五人衆さん」と呼んでいた。後に光生寺の光範上人が駕籠でここを通ろうとしたところ、駕籠から落ちた。その後も馬で通ろうとすると落馬する。因縁を察した上人が、荒れた五人衆の墓を発見し、村で一番最初に施餓鬼供養を行う事を約束すると、以後はおこらなくなったという。
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オオヒト
1929年 青森県
嶽の湯に湯治に行った大叔母の入っていた湯が、どんどん熱くなった。冷まそうとして外から水を入れようとしたが、塞がれてしまう。大叔母が外を見ると、大人が湯を浴びにきていた。驚いた大叔母は、裸のままで宿舎へと逃げ帰った。このようなことが何度かあって、人々はその湯に行かなくなった。
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(レイイ)
1974年 和歌山県
寛文6年5月20日、越前からの女巡礼が高野山に登ろうとした。道掃除の者が見咎め注意したが止めようとしなかったので、夜引き裂いて松にかけた。僧が丁重に弔ったので何も起こらなかったが、道筋がよく崩れたという。
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