国際日本文化研究センター トップページ
怪異・妖怪伝承データベース
データベース検索ページ 更新情報 お知らせ 怪異・妖怪とは データベース検索 異界の杜 製作者
データベース検索ページ

検索対象事例

ヤマオトコ
1976年 新潟県
御神楽山におりんが平という場所がある。ここは、福島県西会津町野沢の酒屋の娘のおりんがいなくなったとき、探しに来たことからその名がついた。おりんは山中の掘っ立て小屋に山男と暮らしていて、山男はおりんを帰さなかった。おりんは一生そこで暮らしたという。

類似事例(機械学習検索)

ヤマオトコ
1980年 新潟県
おりんヶ岳は昔野沢のおりんという娘が行方不明になり、探していた人が常浪川に浮かぶ藤つるの草履を見つけ室谷の上を探したことから名が付いた。そこはおりんが小屋を立て住んでいたが、一緒にいた山男がおりんを返さなかった。
類似事例

オオオトコ,ヤマノヌシ
1976年 新潟県
槍が上手な狩の名人が、御神楽岳のおりんという場所に出かけたところ、夕方になって迷ってしまった。煙草を一服していたら、6尺(180㎝)もある化物が出てきた。「何処から来た」と聞かれたので、狩に来て迷ったと言ったら、「ここは人間の来るところではない。すぐ帰れ。俺に会ったことをしゃべったら、命は貰う」と言われた。狩の名人はそこを立ち去って家に帰り、このことは長らく黙っていたが、臨終の床で周りの人に始めて明かした。この大男は山の主だったのだろう。
類似事例

ヤマンバ
1932年 静岡県
倉木山という山に山姥が住んでいて、人里へ来てはいそがしい家の子守や居留守をしていた。ある日ある家の子守をしていたが、ついにその子供を食ってしまった。家人が仇をうつため、焼いた石を団子と共に食わせ、山姥は腹をこがして天竜川へ落ちて死んだ。
類似事例

ヤマウバ
1982年 静岡県
山姥は和泉または福沢に住み、里に来て子守りをしたり、藤の皮で布を織ったりした。子守りしていた福沢日向の子を食べ、村人に焼石を食わされて天竜川に逃げ、秋葉山に住んだという。また、三人の子供がおり、長男は竜頭山、次男は三ツ森山神ヶ沢、三男は常光寺山の主であった。
類似事例

ヤマンバ
1995年 愛知県
山姥が、楽田の本宮山にいたという。
類似事例

ヤマウバ,ヤマンバ,メシヲクワンヤマンバ,メシヲクワンヤマウバ
1984年 岐阜県
男が山奥で出会った美しい女を飯を食わせない約束で妻にする。女はよく働き次々に子どもを産んだ。ある日、障子に穴をあけてみてみると、大食いの山姥であった。正体を知られた山姥は山中へ逃げ込んだが、事故で谷底へ落ちて死んでしまった。男はいい嫁がいなくなったと嘆いた。
類似事例

ダイダラボウ
1975年 栃木県
大平山はダイダラ坊が藤蔓で背負ってきたが、藤蔓が切れたのでここに捨てて行ったのだという。その時の足跡が芦沼村の芦沼ともいう。
類似事例

シュテンドウジ,イバラキドウジ
2001年 京都府
丹波国大江山に酒呑童子という鬼がいた。その由来。国上村に佐渡隼人という人がいた。子供がないので戸隠山に請願し、男子が生まれたので外道丸と名づけた。7才から国上寺にはいったが、17歳には美人だったので婦人にもてて、国上の山中へ入り酒を飲んでいた。人々は酒呑童子といった。外道丸は信州戸隠山へ飛び入り、里人を貪り食ったが、村人が戸隠大権現に祈念し大江山に飛び去った。召使の中に茨木もいた。茨木は邪心でついに鬼となりその家の破風より飛び出し、14、5年前から大江山に住んでいた。酒呑童子と茨木は争い、酒呑童子が勝った
類似事例

オオダコ
2003年 愛知県
須佐におりんという老婆がいた。小舟でたこ捕りに出かけたところ、大だこが足を一本舟に入れてきた。おりんはその足を切り取り家に帰った。次の日も同じ場所で同じことがあり、これが繰り返された。8日目に8本目の足を切り落とそうとしたが、おりんは最後の足によって大だこの餌食になった。須佐の入江の東にある峠という場所に、おりん島という島がある。
類似事例

ジュンレイムスメ,ヘビ
1961年 山梨県
昔、釜無側の下流の浅原村に3人暮らしの親子がいた。ある年の夏に、1人の巡礼娘が雨宿りを乞い、そのまま逗留した。息子の浅吉とその娘は夫婦となるが、2、3年過ぎたある夜、妻が行燈で障子にうつるが、それは人間の女の姿ではなかった。1家は怖くなり、暇をやると、嫁も承諾し、暴風雨の日に釜の蓋を貰い受けて、釜無川の濁流の中に投げ入れ、その上にとび乗り、蛇身と変じて姿を消してしまった。すると俄かに洪水は引いて水害は免れ、その後も水害は起こらなかった。沿岸の人たちは恐れをなしてしばらく釜を使わなかったので釜無川という。
類似事例

ウマ
1967年 福島県
昔、ある武士が娘と一緒に住んでいた。武士がある日狩りに出かけて何日たっても帰ってこなかった。娘は自分の家の馬に、父を探してきてくれたら嫁になってやると言ったところ、馬はどこかに走って行き、夕方になって武士を背に乗せて帰ってきた。それから馬は変ないななき声をたてるので、娘に聞くと娘は今までのことを話した。父親は怒って娘を島流しにした。それを知った馬は彼女のあとを追って行方不明になったが、やがてすごすご帰ってきた。それが駒帰り、今は駒ヶ嶺となった。
類似事例

ヤマノヌシ
1980年 新潟県
御神楽岳で槍の名人が夕方、道に迷って煙草を一服していた。すると6尺もある背の高い化物が現れた。怖がっていると化物は「俺は悪いことはしない。今日は許してやるので帰れ。帰ってもこのことはいうな」といった。槍の名人は死に際にその事を語った。
類似事例

オハナナシ,メギツネ,チノヨウニアカイナシ
1987年 長野県
御所平の長作と原のお花は互いに愛し合い,一緒になれない時は心中しようと決めていた。その様子を見ていた山の女狐は人間の愛に感動し,長作の事を好きになった。ある日,お花が長作の前に現れ心中をせがんだ。二人は住吉の森にある梨の木で首を括ったが長作だけが助かってしまい,恐くなった長作はそのまま村を出奔する。その後村人が梨の木を見ると,そこには1匹の女狐が首を吊って死んでいた。数年後,この話を知った長作は村へ戻り,お花に事情を説明して一緒になろうと願ったが,聞き入れられず,お花は姿を消してしまった。
類似事例

ヤマノカミサマ
1928年 鹿児島県
勝浦というところで、美しい娘が行方不明になった。娘の着ていたものはみつかったが、その姿を見つけることはできなかった。3年後、父親が山の中で娘とであった。そのとき娘は「山の神様と結婚して幸せに暮らしています。それで永久に村へ帰ることはできません」と言い、走り去ったといわれている。
類似事例

(カミカクシ)
1990年 福島県
おなつという娘が行方不明になり、通りがかりの山伏に祈祷してもらった。山伏が滝で21日の行をして沼の淵を探したら見つかった。温めたら生き返ったが、喋れなくなっていた。その後山伏の奥さんとなったが、口は利けないままだった。死ぬとき初めて「真っ暗で、非常に冷たかった」と言った。
類似事例

ゲジョノモリ
1960年 青森県
川倉に椀を逆さにしたような山がある。ここに下女盛(ゲジョノモリ)という女の神様が住んでいたが、誰かが禁を破って山に悪戯をしたので、怒って雲に乗り岩木山に行ってしまった。だから岩木山には女神がおり、女性が山に登るのを嫌う。
類似事例

ヤマンバ
1995年 愛知県
楽田の本宮山で福富信蔵という男が狩をしていたら、光るものが見えた。山姥の目の玉が光っていたのだった。鉄砲で撃つと血を流して逃げていった。血の跡を追うと大きな釜屋に入ったので、変わったことはないかと訊くと、家内が具合が悪くて寝ているという。その家内が山姥であった。山姥は逃げて、岐阜のおがせの池に入ってしまった。その池では魚を取ってはいけない。話者が20歳くらいのころ、その池の魚を食べて赤痢で死んだものがいたという。
類似事例

ダイダラボウ
1986年 埼玉県
昔、秩父にダイダラ坊という大男がいた。ある年、ダイダラ坊は旅に出ることになった。そして昼飯の時に腰を下ろした所が定峰峠で、粥を煮て食ったところが粥新田峠、使った箸を突き立てた所が二本木峠、笠を置いた所が笠山だという。また、腹いっぱいになったダイダラ坊が大あくびをするのに足を伸ばすと、その足は槻川まで届いた。そして粥を煮た釜は荒川で洗い、その近くに伏せておいた。それが釜伏山である。
類似事例

オニヅカ,トガクシヤマノオニ
1977年 長野県
信州水内郡鬼無里村の鬼塚という塚を掘ったら、骨が出てきた。頭骨に角が2本あり、あごから角の先までは3尺(約90センチ)、手足の骨らしきものもあった。地元では、平惟茂が戸隠山の鬼を討って埋めたのだという。また鬼を退治した故に、鬼無里という地名がついたともいう。
類似事例

メオトイシ
1930年 岩手県
岩手郡西山の雫石口から岩手山に登山する本道の傍らに夫婦石という石がある。また、別名「カラト石」とも呼ばれている。田村将軍の家来に好丸という美男子がいて、里の長者の女と固い約束をしたが、将軍が京都から召し出されて旅立つ際、好丸も当然旅立つことになったが、娘は恋情やるせなく、ふたりで連れ立って泣いていたが、そのまま石になったのがこの夫婦石であるということである。
類似事例

国際日本文化研究センター データベースの案内