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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ウシ
1963年 千葉県
手賀沼の主は牛だという。昔、阿比古の里に若い僧侶が来て、人々の尊崇を集めたが、誰も食事姿を見たことがない。ある時、「我が孫や子よ、健やかなれ」という文字を残し、白い牡牛と共に姿を消した。それから「阿比古」を「我孫子」と書くようになった。

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〔オフエタ〕
1956年 宮城県
真野長者に美しい一人娘と、何でも動かせない大牛がいた。蝦夷征伐に来たやんごとない身分の人が泊まり、草刈三平と名乗って住み込み、娘を愛し、牛を軽々と牽き、頼母山で草を刈り、妙なる音色の笛を吹く。その後いつのまにか三平は姿を消す。のちに田から見事な笛が出たので御笛田と呼び、馬もいれず金肥を用い、不浄を忌む。
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ヌマノヌシ
1977年 福島県
炭焼きに行った美しい娘が、毎晩沼で水浴びをしていた。沼の主が娘に惚れ、あるとき娘の足を引っ張って持って行った。主が食ってしまったという。沼には何かしら主がいるというが、沼が乾いてしまったので、主は後ろの山を越えて行ってしまったという。
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ヤザエモンヤシキ
1987年 長野県
親沢から笠原へ越す峠の下にある。昔,ここに住んでいた弥左衛門というお大尽は「なんたらこま」という栗毛の馬を可愛がっていた。ある年,悪い病気が流行って一家の者が寝込んでしまい,弥左衛門は田植えが遅れることを嘆いてばかりいた。ある晩「なんたらこま」が急にいなくなったので,夜が明けてから蹄の跡を辿っていくと弥左衛門の田に続いており,田植えが全て終わっていた。更に辿っていくと「なんたらこま」は妙見様の祠の前で草を食っていた。妙見様の木像の腰から下が泥だらけになっていたので,馬に頼まれて妙見様が田植えをしてくれたのかと,村人は妙見様を伏し拝んだ。妙見様でなくて八幡様だという人もいる。
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リュウ,クロイマダラノアルウシ
1983年 岐阜県
龍がいるとも黒い斑のある牛の主がいるともいわれる滝がある。その主は、水を自在に操り、雨乞いにも用いられている。
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ヌマ,ウマノクビ,コガネノクラ
1956年 宮城県
飛騨守が戦いに敗れて逃げる途中、湿地から清水が湧き出て沼と化し足跡を隠した。飛騨守は愛馬を刺して沼の主となるよう言い、追手を逃れた。それから3年に1度この沼から馬の首と黄金の鞍が浮かび上がる。それを見た者は3年のうちに死ぬ。
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ノウゾウイケノヌシ,アカウシ
1991年 山梨県
能蔵池の主は赤牛で、旱天のときは雨乞いによって雨を降らせてくれるし、何でもかなえてくれた。また人寄りがあって膳椀を貸してほしいときは貸してくれた。ただ、ちゃんと返さない者があったり、汚物を洗ったりしたために、赤牛が怒って池を飛び出し、甘利山の椹池にいってそこの主になった。
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イワナ,リュウ,カナヅルコ
1935年 秋田県
仙北院内部落の常光坊という山伏の娘の、金鶴子という美女が、輩とともに青物採りに行った。昼飯の準備中に岩魚を採って食べているうちに喉が焼けるように渇き、水を腹ばいで飲んだ揚句に龍となり、山を崩し谷を埋めて湖水(田沢湖)を作り彼女の棲家としたという。
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カイギュウ,ワラシ
1964年 滋賀県
永源寺町は昔カネノ村といったが、そこに怪牛が一匹あらわれ、耕作を荒し村人を悩ませた。この怪牛は顔は牛で、足は馬のようで、尾の先に剣があり、総身の毛は金釘のようであった。その牛が暴れている所へ目は左一眼で、わに口の童子が現れ、牛を追い払った。この童子は鐘明神で、昔殺した孕んだ牛が復讐に来て村を絶やそうとしているので、村人を守るため戦っているという。夜半になってまた牛が現れ、暴れている所に御童子が現れ、牛を退治した。
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シンランショウニン
1979年 山梨県
水がわき出る場所をあてた旅僧は、婆さんに礼をいい、百ヶ日の行を終え七保地へ旅立った。そこへ爺さんが帰ってきて、あれは名僧に違いないから追いかけろというので、婆さんは急な山道を追いかけ、麻の前かけに字を書いてもらった。そのまま防さんは見えなくなったが、後にこの名僧が親鸞聖人であることが分かった。その後、この沢は、人々の行き来のたびにヅヅと音がするので、「ヅヅガ沢」という地名になった。
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リュウジン
1939年 岐阜県
天城氏方は豪家で宿屋業をしていたが、ある時遍路が来て嫁となった。不思議と必要な魚を捕らえてきた。後に出産することとなったが、嫁は1室に篭り決して見てはいけないといったが、夫が覗くと大蛇が赤子に乳を飲ませていた。嫁は恥じて嫁が淵に逃げ込んでいった。そのさまを黍畑から見て「キビワルク」あったので以来黍を作らないという。ある年黍を作った家では3年間不幸が続いたという。天城氏方の岩には嫁の手形、魚の跡、下駄の跡がある。また尽きない布、尽きない米俵があったが、後に尽きた。これらは龍神の為した事という。
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ドコノモノトモシレヌオトコ,ヤオビクニ
1984年 新潟県
八尾比丘尼は田屋家の生まれでゆかりのものが残っている。ムラの講の中でどことも知らぬ男が一人いて、その男が講宿のときに、皆に目隠しをさせて背におうて、立派な家に案内する。そのうち田屋のおやじが小便にたち、ふと勝手場を見ると俎の上に赤児を乗せて調理している。帰るときに、主人がこの肉を手土産にくれる。田屋のおやじはみんなに捨てさせたが、自分は袂に入れたまま帰る。娘がをれを知らずに食べたが、それは人魚の肉で、招かれた所は竜宮城であったという。
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ヘビ,リュウ,アワビ
1979年 茨城県
川の主は龍か蛇の男性だと言われていた。また、磯原の海の主は鮑の女性で、年に一度は川を上ってきて、龍か蛇の男性との逢瀬を楽しんでいた。両方の主が会っていた所を、逢いこ滝と呼ぶようになった。
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オフクダイジャ
1983年 新潟県
お福という主がいたので、福島潟という名が付いた。
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〔サケノダイスケ〕
1956年 岩手県
旧家羽縄(ハナワ)家に伝わる伝説。沢山の牛を飼っていたが,毎年巨鷲が飛んできて牛を掠っていく。刺し殺してやろうと,主人が牛の皮をかぶって待っていると,鷲に掴み去られて玄界灘の孤島の老杉の枝に置き去られた。島から逃れられず困っていると,老人が現れて「私は鮭の化身で,大助という一族の長だが,毎年10月20日には仲間達が気仙の今泉川に入って産卵する例になっている。貴国の人たちへの恩返しとして送って進ぜよう。」と言う。主人は無事帰郷できた。羽縄家では毎年10月20日に当主が川口に行って神酒を供え,鮭綱を切ってやり,産卵しやすくしてやることが明治頃まで仕来りとなっていた。また羽縄家では一切鮭を口にしなかった。
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ウマハシサカノマンスケキツネ
1956年 宮城県
万助狐はこの地方を代表する狐の一つ。桧沢の開墾当時,佐藤某氏は妻を亡くして独身で働いていたが,ある夕方仲人が来て嫁を世話してくれた。数日後にめでたくまとまったので身内を呼んで祝宴を張ったが,花婿たちが酔って仮睡していた間に花嫁も仲人も御馳走もみんな消え失せてしまった。
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ウシ
1916年 新潟県
昔、子牛のいる牝牛を、子を佐渡に置いて引き離し親だけ船に乗せて積み送った。浜が近くなったところで牛は海に入るや佐渡に向かって泳ぎ始めた。海岸に着いた頃には白い骨だけになっていたが、「モウ」と一声鳴いたという。それからこの村は退転したといい、今は広い畑地になっている。
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コドモ,ヌマ
1975年 山形県
捨子沼の由来。天保四年の大飢饉で百姓が子供を捨てたことからこの名がついた。雨の日にはこの沼のほとりに蓑を着た子供の姿が現れ泣き声が聞こえる。あるいは沼を渡るために母親が子供を踏み台にして渡ったことからとも言われている。
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キツネ
1972年 長崎県
宮浦の峠に、狐がたくさん出た。ある日、老人が赤牛を連れて峠に行くと、ツワの葉を体にたくさん付けた狐がいた。老人は狐が化かしていると思ったが、そのときにはもう化かされており、どこか違う家の書斎に居る気になっていた。そこへ人が通りかかり何をしているのかと問いかけると、老人は牛のしっぽに掴まって「狐だ」と言っていたという。
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シンラン,ヘビ,カンゼオン,イシ
1935年 山梨県
この付近の川辺を親鸞が歩いてると、美人が現れて助けを求め消えた。この話を宿泊先の小俣重澄に話すと、その娘お葦が近くに住む僧に惚れたが、僧は拒否し、お葦は川に投身する。間もなく川辺に毒蛇が現れて僧を食い殺したという。そこで哀れに思った親鸞は、川原の石に名号を書いて池に投げる。するとお葦、僧は観世音の大士、勢士となり、石に導かれて西南の空に消えた。蛇は観世音となった。
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ヤマイヌ
1986年 愛媛県
竹ノ瀬の滝本福之氏(大正6年生まれ)が父親ヨシタロウ氏から実体験として聞いたのだが、夫婦でムコヒラの村から帰る途中に夜の10~11時ごろに峠で休んでいると、暗闇の中に仔牛が寝ている。夜に牛に会ったらさわるものではないといわれていたが、ヨシタロウ氏は牛に近づいた。母親は父を引っぱって逃げ出したがどこまでいっても牛が現れる。そのとき餅をもっていることに気付き、投げてやると牛は消えてしまった。これは山犬に化かされたのだという。アイノヒラにはお札があるので、それより村の内では化かされないという。
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