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検索対象事例

ヒタチボウカイソンセンニン,シイラビクニ
1931年 岩手県
文治4年の夏、平泉に釣りに出かけたときに老人がやってきて、洞窟の中で真っ赤な魚を馳走された。いっしょにいた五郎三郎はその肉を食べずに持って帰った。五郎三郎の娘で6歳になるシイラがその肉を食べたがり、親のいいつけにそむいて食べてしまった。それから後、シイラはいつまでたっても死なず、200年ほど前に比丘尼になったが、今はどこにいるかわからない。この老人は海尊仙人であったという。

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ニンギョ,センネンビクニ
1935年 岡山県
猟師が海で人魚を取った。珍しいので、みんなを呼んで振舞った。けれどもみんなは妙な魚なので食べず、貰って帰る途中で海に捨てた。けれどもそのうちの1人が酒に酔っていて捨てるのを忘れた。その娘が人魚を食べたら、死ななくなった。そこで諸国を廻ってついには善光寺に行き、千年比丘尼になった。
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ハッピャクビクニ
1995年 愛知県
庚申講のお祭りでおがせという国に行ったら、人間の裸みたいなのを料理していたので、食べずに帰ったが、竹皮にその肉を包んで土産に持たされた。家に帰って一息ついているときに、娘の1人がその肉を食ってしまった。その娘はいつまでも年を取らず、橋爪の満願寺で800歳まで生きて、八百比丘尼と呼ばれた。万願寺には八百比丘尼の七つ椿が残っている。八百比丘尼は五郎丸という帆船で幅下の港からあちこちに行ったという。
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シイラビクニ
1931年 宮城県
平泉の秀衡が滅びたとき、家人の五郎三郎も討死した。その妻の片照は娘のシイラを連れて本吉郡の竹島に隠れた。竹島の天女洞の天女はこのシイラで、240~250歳までは40歳代に見えたという。
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ニンギョ
1926年 和歌山県
2、3歳になる女の子が、人魚の肉を食べた。その娘は老衰せず、尼寺に住み、800の寿を保ち、八百比丘尼と呼ばれた。
類似事例

オトコ,ヤオビクニ
1984年 新潟県
佐渡の羽茂の里に住んでいた男は、加持祈禱をやって村人を驚かせていた。ある晩、村人たちを招いて珍しい肉を得たから食べてくれと焼肉らしいものを出すが、村人たちは気味悪がって誰も箸をつけない。田屋のじいさんが、その1片を袂に入れて帰る。娘がそれを知らずに食べ、それは人魚の肉で、娘はそれから齢をとらなくなる。その後、比丘尼になって、若狭の国に渡り、再び佐渡に戻ってくるが、若狭の国へ戻り、1000年の命のうち200年を国主に譲って大往生を遂げる。若狭の人々は八百姫明神と崇めた。
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ニンギョ,ハッピャクビクニ
1973年 福井県
昔ある漁師が人面魚を獲たので、振るまおうと人々を招待した。しかし招待客の一人が、調理中の魚を見て驚き、皆に食べてはならないと告げ、皆は密かに紙に入れて帰りの道中に捨てた。ただある男は捨てずに持って帰り、土産をせがむ子供に魚の肉を与えてしまう。食べた彼女は普通に暮らし、やがて結婚したが、夫が死ぬと姿が若返り、次の夫が死んでも同じことが起こった。その身を恥じた彼女は尼となり、以後800年生きたので八百比丘尼と呼ばれた。
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ドコノモノトモシレヌオトコ,ヤオビクニ
1984年 新潟県
八尾比丘尼は田屋家の生まれでゆかりのものが残っている。ムラの講の中でどことも知らぬ男が一人いて、その男が講宿のときに、皆に目隠しをさせて背におうて、立派な家に案内する。そのうち田屋のおやじが小便にたち、ふと勝手場を見ると俎の上に赤児を乗せて調理している。帰るときに、主人がこの肉を手土産にくれる。田屋のおやじはみんなに捨てさせたが、自分は袂に入れたまま帰る。娘がをれを知らずに食べたが、それは人魚の肉で、招かれた所は竜宮城であったという。
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ハッピャクビクニ,ニンギョノニク
1961年 島根県
ある者が見知らぬ人に目隠しをされ、何処かに連れて行かれた。ご馳走になった後、目隠しして連れ戻された。一人娘が土産をせがみ、懐にあった刺身を見つけて食べたら17、8歳の姿のまま不老不死になった。これが八百比丘尼で、肉は人魚の肉だったのだろう。
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ヒタチボウカイソンセンニン,セイエツ,イジン
1931年 岩手県
寛永の頃まで、清悦という名の不思議な人がいた。その話すところによると、清悦は京都の者で、判官にしたがって奥州にきたのだという。ある日、衣川に釣りに行ったとき、異人の宿所の洞窟で赤い肉を馳走された。これを食べると三光をしのぐ長寿になるといわれた。それか死なずに今まで生きているということであった。
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ヘビ,カニ
1976年 京都府
昔、綺田に美しい女がいた。ある時、村人が蟹を食べようと沢山取っていたのを、女は魚と交換して助けてやった。次の日、女の父が蛇が蟇を呑んでいるところを見つけ、蟇を逃がしたら娘をやると言った。蛇はすぐに蟇を放して去った。その夜、どこからか男が現れ、昼の約束の通り来たという。まだ娘に話していないというと去った。娘はそのことを聞いて仏前で読経をはじめた。蛇が現れ閨に入った。村人が戸を開いて中を見ると、女は無事で、蛇が数万の蟹に挟まれて死んでいた。村人はその所に寺を建立し蟹満寺と号した。
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ニンギョ,ハッピャクビクニ
1960年 東京都
八百比丘尼が人魚の肉を食べて800歳の齢をもったということは、江戸時代の記述にもある。文化11年の『遊歴雑記』に八百比丘尼の建立したという庚申塔が中里村にあるという記述がある。
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ハッピャクビクニ
1973年 福井県
若狭国の白比丘尼とは小松原の人で、治城東海の畔にいる。かつて彼女の父親が釣り上げて、あまりの異形さに捨てた人魚を拾って食べた事で長命となり、ついには800歳となったという。若狭の後瀬山麓にある空卯寺の境内に白比丘尼が住んでいた洞穴がある。その近くの石虹と呼ばれる場所を、白比丘尼は通った時に転げ落ち、そのまま死んでしまったという。
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ニンギョ,センネンビク
1974年 京都府
竹野郡乗原の村にやってきた僧が、此代から人魚のような魚を拾ってきた。僧がとまった大久保家の娘だけがその魚を少し食べた。以来娘は年をとっても美しく、いつまでも娘のようであった。その後八百年も生きたので千年びくと呼ばれた。
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ヤマンバ
1995年 愛知県
楽田の本宮山で福富信蔵という男が狩をしていたら、光るものが見えた。山姥の目の玉が光っていたのだった。鉄砲で撃つと血を流して逃げていった。血の跡を追うと大きな釜屋に入ったので、変わったことはないかと訊くと、家内が具合が悪くて寝ているという。その家内が山姥であった。山姥は逃げて、岐阜のおがせの池に入ってしまった。その池では魚を取ってはいけない。話者が20歳くらいのころ、その池の魚を食べて赤痢で死んだものがいたという。
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コサブロウイケ,ダイジャ
1942年
昔小三郎という男がいわなという魚を食べたら水が飲みたくてたまらなくなり、泉で水を飲むと足から大蛇になった。泉のあった野原は見る見る池になり、小三郎はその主の大蛇になった。親がきて「小三郎よ」と呼ぶと、大蛇の姿であらわれたので、「もとの姿になってくれ」と頼むともとの小三郎となって池の真ん中に現れた。
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サケ,ロウジン
1921年 岩手県
美しい娘が鷲にさらわれて淵に落とされたが、淵の中から老人が出てきて娘を家に送った。老人は娘に結婚を申し込み夫婦になった。この老人は実は鮭であったので、その子孫は今でも鮭を食べない。
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ヤオビクニ
1931年 福井県
若狭に八百比丘尼と呼ばれた超長寿の尼僧がおり、源平時代のことを実見談としていろいろと語ったという。少女時代に人魚の肉を食べたために老いることがなく、人々に怪しまれて尼僧となり、他国を流転した。寛文2年、800歳のときに若狭へ帰り、建康寺を建て、断食入定したといわれている。
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ボウレイ,ニチレン,イシ
1935年 山梨県
石和町に流れる鵜飼川の畔に住む勘作という孝行者が、貧乏故に殺生禁断とされる観音寺の境内で魚を捕り、それを母に食べさせた。怒った寺僧は勘作を殺し、それをどこかに埋めたため、夜な夜な勘作の亡霊が現れて人々を悩ませたという。しかし文永11年に付近を通った日蓮がその霊を慰めるため、12374個の石に経文を書いて川に投じたという。この石を葉でさすると自然に水が染み出るという。
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ヒタチボウカイソンセンニン
1931年 福島県
海尊は源平時代の人である。天正のころまで400年近く生きていたといわれている。菜飯を食べていた天海僧正に枸杞飯を食べさせたのは残夢であるが、これも海尊であるとされている。天正から130年ほど後の正徳年中の頃にいた不思議な老人は判官の話を詳しく知っており、残月と名乗っていたが、これも海尊であったという。
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カッパ,カワヤロウ
1972年 岐阜県
老人が田の草を取っていると、12・3歳の子供が来て水浴びに行こうと誘った。老人が草引きを理由に断ると、手伝おうと言って子供は草引きを手伝った。昼になり、2人は一緒に老人の家でふくべの汁を食べた。それから川へ行くと老人を沈めようとしたのだがふくべを食べていたので沈まずに浮いた。老人は子供を捕まえて説教をした。するとカワヤロウは川の縁に松が生えているうちはいたずらをしないと誓ったので許したという。
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