(コヘビ) 1982年 京都府 享保7年、西陣の者1人、中京の者2人が申し合わせて上賀茂蟻が池へ釣りに行った。すると竿に小蛇が掛かったので打ち殺そうとすると、たちまち3人は幻覚に襲われ逃げ帰った。西陣の者は即座に死亡し、中京の者たちは高熱で人事不省に陥り、未だ生死が定まらない。
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マンキチコロバシ 1956年 宮城県 明治の初め頃,烏頭ヶ浜部落に万吉という酒好きの若者がいて,七曲りを通るたびに狐に騙されて谷や沢をひきまわされ,土産の魚を攫われたりしていた。口惜しがった万吉は復讐を決心する。お薬師様の宵祭りの晩に酒に酔ったふりをして七曲りを通ると果たして男の姿をした狐が出てきたので,万吉は男を縁日の掛茶屋の奥に誘って酒や肴をたらふく馳走した。二人でグウグウ寝ていたが,万吉は相手が寝込んだ頃そっと起きだして茶屋の主人に「代金はあの男から貰うように」といって立ち去った。翌朝狐の正体が見顕されて大騒ぎとなり,棒で散々叩かれて命からがら逃げ出してきた。万吉は大得意であったが,二,三日後七曲りの崖下で万吉の墜落死体が発見された。以後そこを「万吉ころばし」と呼んでいる。
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カニ,ヘビ 1990年 石川県 輪島の大百姓が旱魃のとき、干上がった堤を見て「この堤に水を張ってくれる者がいたら婿にしてやるのに」といっていると、晩に大雨が降って堤が水で一杯になった。その後、自分が水を張ったという侍が婿にしてくれといってきた。その家の女中が話を聞いていて、いつも残り飯をやっていた蟹に恩返しをしてくれというと、夢に蟹がでてきて、対策を教えてくれた。侍の正体は蛇で、家に入ってきたところを、蟹たちに七つに切られた。その蛇の骨が七つ島になったという。
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キツネ 1956年 宮城県 藩政時代,角田館主石川家の家臣で館矢間にいる若侍達が,城下での稽古から帰ってくる途中魚などを持っているとよく狐にだまされた。ある時若侍達が,竹刀の先に魚を結び付けて夜道を無事に帰ってこれるかどうか賭けをしようということになり,一人が竹刀を持って出かけていった。朧月夜の並木道に差し掛かると,向うから竹刀を肩にした武芸者風の大男がやってきて,すれ違いざまにいきなり打ち込んできた。若侍が思わず竹刀で受け止めると大男は消え失せてしまったが,気がつくと竹刀の先の魚の包も無くなっていた。
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テング 1936年 福井県 いい手の筋をした久左衛門という男のところへ、天狗が手の筋を借りにきた。天狗は、貸しに来たお礼に、豆1粒を置いていった。ある年、大火事が起こって近隣は燃えたが、久左衛門の家だけは燃えなかった。
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カッパ 1936年 岩手県 昔、北上川のほとりの小舟渡で胡瓜を盗まれる事件があった。佐助という男が寝ずの番をしていると河童が胡瓜を食べていたので、腕をつかんで殴りつけた。河童は金をやるから許してくれと言った。河童の言うとおりにして黄金を手に入れた佐助はその金を殿様に献上して苗字帯刀を許され、家も栄えたという。
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シチニンミサキ 1985年 愛媛県 大正年間、七人が乗った舟が嵐にあった。七人は助けを求めたが、島の人は危険であるため助けに行かず、七人は遭難して死んだ。30年後、18歳の青年が海の中で死んだ。その後も同様のことが起こったので、七人ミサキの祟りだと言われるようになった。
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ダイジャ,ムスメ 1929年 長崎県 2匹の大蛇に困っていた農民たちは、島原城主に頼んで蛇狩りをして1匹を殺し、1匹に痛手を負わせた。島原城下の杏庵という医者のところに毎夜更けにくる女がいた。女は治療の末完治し、その後杏庵との間に子供ができた。ある時、正体が大蛇だとわかり、子供にくりぬいた片目を残し、去っていった。その後、寛政4年4月4日に眉山が崩れる地震が起きた。眉山の下の蛇町の人は大蛇に逃げ道を阻まれて家にいた人々は命が助かった。地震は蛇の崇りだといわれ、その責を負って島原城主は自害した。
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ヒヒ 1976年 新潟県 延宝か天和のはじめ、ある山家の老人が山から帰ってこなかったので、その妻がいぶかしがり、人に頼んで山を捜索してもらった。すると山奥に老人の笠とわらじが落ちていたので、それを怪しみ、村で山狩りをした。ところがなにもなかったので下山しようとすると、風が藪を吹くような音がしたので振り返ったところ、赤熊を被って目が星のように光る獣が襲ってきた。大力の若者が鎌で眉間に切りかかったが、若者を谷へ投げ落とした。残った者は逃げ帰り、越後公へ訴えた。そこで江戸より軍師を呼び、山狩りを行わせた。獣が現われたので、それを鉄砲で仕留めた。
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キツネ 2002年 愛知県 幕末の頃立派な武士が3人浜辺へ来て、彌兵太の漁船に伊勢へ越す船便を頼んだ。引き受けたが、その夜生魚が食い荒らされているのを見つけた。狐と思い正体を現して詫びなければ海へ投げ込むと脅すと、3人の武士は謝り、実は私たちは儀路の籐兵衛、小原の勘治、小浜のお菊であると言い、許してくれれば必ず漁のあるようにするといった。その後不漁をかこつと必ず大漁があったという。
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ボウズ 1926年 東京都 八丈島に漂着した7人の坊主を島人が惨殺した。怨念がその地に宿り、坊主と呼ぶと、7人の坊主の姿が夢現と現われた。
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カワノヌシ 1975年 山形県 大正十三年の冬、最上川を舟で嫁入りする一行の乗った舟が突然ひっくり返って波にのまれた。七人の村人が助からず、花嫁はさがしても見つからなかった。最上川の主にみこまれたのだろうといわれている。
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ハチ 1931年 山梨県 茂衛門と八右衛門という二人の百姓が六部になって旅をしていた。茂衛門が昼寝をしていると、鼻から蜂が出てきた。そのとき、茂衛門は金を掘り当てる夢を見ており、気になった八右衛門が蜂の見ていたあたりを掘ると金の入った壺が2つ出てきた。その後、茂衛門は5つの壺を掘り当て、共に大金持ちになったという。
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ジュンレイムスメ,ヘビ 1961年 山梨県 昔、釜無側の下流の浅原村に3人暮らしの親子がいた。ある年の夏に、1人の巡礼娘が雨宿りを乞い、そのまま逗留した。息子の浅吉とその娘は夫婦となるが、2、3年過ぎたある夜、妻が行燈で障子にうつるが、それは人間の女の姿ではなかった。1家は怖くなり、暇をやると、嫁も承諾し、暴風雨の日に釜の蓋を貰い受けて、釜無川の濁流の中に投げ入れ、その上にとび乗り、蛇身と変じて姿を消してしまった。すると俄かに洪水は引いて水害は免れ、その後も水害は起こらなかった。沿岸の人たちは恐れをなしてしばらく釜を使わなかったので釜無川という。
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コマガタイワ 1987年 長野県 昔,滝の沢の山道を,まだ小さい兄妹が馬でやってきた。霧の深い日で一寸先も見えず,まず兄が,次いで妹が谷底に転落した。谷は高さ数十メートルもあり,落ちればまず助からない。しかし,しばらくして村の者が白い馬に抱かれるように気を失っている妹を見つけた。妹には怪我一つなかった。妹は駒形(馬の形)が岩に刻まれていたと聞き,信心深い兄が身代わりになって命を助けてくれたのだと言った。兄妹は名のある土豪だったが父が防人に召されている間に手代に家や土地を奪われ,父を探す旅をしていたのだという。丁度この時武人が通りがかり,騒ぎを知って女にあった。武人は父であった。父はその後村人と協力し村のために尽くした。村の発展は駒形岩のおかげだと,今も駒形神社で祭りが行われている。
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ヘビ 1929年 東京都 神津島の東側海中に祗苗島いう海草貝類の豊富な小島があり、村の女達はよく採りに出かけていた。ある日漁の最中、急に天候が悪くなり皆急いで帰村した。だがひとり残された女がおり助けを求めて叫び続け死んでしまった。暴風が去り若衆が助けに行ったが、既に死体となりその髪の毛一本一本が蛇と化して居た。
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ロクブ 1916年 大阪府 ある夜、一夜の宿を求めた六部が会った。ところが翌日家を出る姿を見たものはおらず、六部はそのまま消えてしまった。その後、その家は急に金持ちになったが、そのうち一家は今、一人お迎えを待っている一人の老婆を除いて死に絶えた。
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タタリ 1965年 岩手県 1885年のことと伝えられる。高田市矢の浦に嵐で舟が漂着した。そこに川から女が箪笥にすがって流れてきて、助けを求めた。しかし舟に乗っていた12人の男は箪笥だけを取り上げ、女を見殺しにした。そのタタリがあって、11人まで離村・放浪するはめになった。村に残った男も妻が不治の病にかかって神経衰弱になり、夫婦で海に身を投げた。親戚が葬式を出してイタコに聞くと、箪笥と女の件を語り、家にオカイドリ(うちかけ)があるはずだといった。はたしてオカイドリがあったので、親戚の者はそれを寺に納めた。12人の男の家はすべて絶えた。
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ダイジャ 1955年 山梨県 明治十七年、道志村の村民五人が馬に乗っていると大きないびきが聞こえ、巨石の上を見ると鎌首をのし上げた大蛇がにらみ据えた。村民は逃げ帰ったが、四人はそのまま長患いし、一人は悶え死にしてしまった。
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ミノガメ 1939年 岩手県 大正元年頃、若者3人が沼で漁をしていると頭に毛をかぶった大亀が現れ、口から毒気のある息を吐いた。3人は逃げ帰ったが、それが原因で皆死んだ。
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