ヤマノテラドウウンジ,ダイジャ,シロキツネ 1956年 宮城県 女とその懸想した男が大蛇となってから500年経た暦応元年(1338)、加州金沢の大乗寺三世明峯素哲禅師が陸奥に弘教し、岩沼竹駒神社の初午に参詣した時、老翁からこの話を聞き、その案内で大菅谷保の藤左衛門の家に泊った。翌未明山ノ寺の南の丘に登って大蛇の棲む寺跡の湖水を見、7日の間祈祷したのち一喝して杖を投ずると2頭の大蛇が現れて逃げ去る。そのとき白狐が飛び出して禅師に感謝し、永く寺の守護を約する。禅師が祈祷した地に寺を建て実相寺という。
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レイセン,ダンブリ 1932年 岩手県 神夢のお告げで結ばれた夫婦が、ある年の正月神夢を受けてこの地を永住の地と定め働いていた。春になった頃、夫が昼の疲れにうとうとしていると1匹の蜻蛉が飛んできて目が醒め、蜻蛉を探して歩くとその群れる辺りに醴泉を発見した。この鉱泉は汲めども尽きず、どんな病気でも綺麗に治るのだった。夫婦は豊かになり、だんぶり長者と呼ばれるようになった。夫婦の子どもの秀子は継体天皇のご寵愛を受け、吉祥姫と呼ばれた。湯瀬の上流にはダンブリ長者の屋敷跡があり、湯瀬の下流小豆沢には吉祥姫が建てた大日堂がある。
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タケ,オウゴンキュウ,(ソセイ) 1974年 東京都 江戸大伝馬町に住む佐久間勘解由の下女・竹は仁慈の心深く、貧しい者に物を与えたりしていた。ある時頓死してしまったが、身体が温かかったので見守っていたところ、ついに蘇生したという。そこで冥途の様子を聞くと、果てしない広野を歩いていたら黄金の宮殿にあり、仏にこれは竹が来る台だと言われたという。その後いよいよ念仏を行い、大往生を遂げた。近所の者が湯殿山に参詣したところ竹に会い、竹は念仏を勧めて消えたという。
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ダイジャ 1930年 静岡県 昔、爺さんと娘が行方不明になった。村人が山を捜索していると生臭い風が吹いてきて、水風呂桶のような頭の大蛇が現れた。そこに南部六という猟師が現れ、大蛇を退治しに向かったが、大蛇に殺されてしまった。その後、南部六の双子の娘が父の横死を知り、観音の加護をもって敵を討った後、巡礼の旅に出た。村人は蛇の祟りを恐れ、高徳の坊さんを頼んで蛇骨を埋葬して堂を建て蛇骨山大蛇院と名づけた。
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ジゾウ 1966年 新潟県 昔、六部がやってきて何千貫もある石に3、4年かかって4m弱もある地蔵を彫って泉まで運び、集落には協力のお礼に小さな地蔵を残していった。小さい地蔵はお堂に安置したが、子どもがいじって遊ぶので格子の中に入れた。冬のある日、行って見ると地蔵はおらず、小さな子どもの足跡が点々と雪についていた。辿って行くと、清水の湧いているところに地蔵がいた。そこを地蔵清水と名付け、地蔵は谷泉寺に移した。
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ゴリンザワチョウジャ 1956年 宮城県 韮神山で討死した照井太郎高直の妻子が落ちのびて造り酒屋となり、妻は菩提のため五輪塔を立て、子の太郎は成功して長者となる。母の死後五輪塔を立て、更に先祖供養に三基を加えて五つとなったので五輪沢という。長者には多くの子があったが、13歳になると死ぬので、一子を13の春に死んだと披露して弔いをし、黒石の正法寺に預け、翌年引き取ると長生きして繁昌した。引導を渡したところを生導沢という。
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マンダラ 1936年 長野県 松尾の部落の山畑である老翁が婿と畑打ちをしていたとき、崖のうえに曼荼羅がかかったのが見えた。老翁は「やれ有難や松ヶ尾の薬師」と叫んだが、婿には何も見えなかった。この崖の上には藥師堂が建立されることになった。
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カンノン,ニオウサマ 1930年 奈良県 昔、貧しい行者が長谷の観音に山ごもりの後、下山の途中で最初に会った女を妻にせよとの示現を受け、そのとおりにした。美しい女房だったので、王城の大殿という人が様々な勝負を挑んで女房を奪おうとしたが、神仏の加護でそれはかなわなかった。最後の勝負は相撲で、妻が連れてきた60歳ばかりの痩せた男が安々と相手の力士を投げた。これを不思議に思って後をつけていくと、男は近江の大山寺の仁王様であった。行者は長者となった。妻は瀧蔵観音の化身だった。
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ダイボダイジュ,ユメ 1956年 宮城県 出羽寒河江の慈雲寺の覚明阿闍梨が京都の仏師安阿弥快慶に頼んで笈分如来を作ってもらった。その笈分如来の夢の告げにより、泉ヶ岳のふもと、金畑に菩提樹を植えた。のち、南の川崎に移るが、ここにも植えつぎの同じ木がある。
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シンランショウニン 1979年 山梨県 ある日の夕暮れに、1人の旅僧がやってきて泊まった。翌朝、ここは清浄なところだから何日か行をやりたいというので、堂へ案内した。婆さんが家の内に水の出る所はないものかと捜していると、その旅僧が場所を示した。掘ってみると清水がわき出した。ただし、この水はこの家の入用だけしか出ず、女性が不浄の時には汲んではいけないと約束した。ある時、婆さんが約束を忘れて水を飲んだところ、水が止まってしまったが、坊さんに話して拝んでもらうと、また水が出てきた。後にこの名僧は親鸞聖人であることがわかった。
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バンザン,テング 1956年 宮城県 もとの名取・宮城の郡境にまたがる根張りの広い山。弘法大師は山容を蓮葉にたとえ、霊場にするため九十九谷まで開いたが、天狗に妨げられ一谷を残して紀州に去り、高野山を開いた。慶安3年(1650)慈光不昧禅師雲居和尚が瑞巌寺を引退してここに隠居したときも、天狗どもが和尚の法力をためそうといって和尚の障碍をしたが、この山を根城とした万二万三郎兄弟が和尚のために天狗を追い払った。和尚はこれを徳として、山上に坐禅堂を建てたときに二王護国大権現の号を贈って一山の鎮護とした。
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ジゾウボサツ,セイメンコンゴウ 1983年 愛媛県 柿の木部落に地蔵菩薩を信じる兄と青面金剛を信じる弟がいた。弘法大師がやってきて兄弟に感心し、それぞれ仏像を刻んだ。後世、松が鼻に地蔵堂を、松尾坂麓に青面金剛の堂を作った。乱世で失ったが、その後北宇和群広見町深田の庄屋河野勘兵衛通行が松が鼻で石を枕に寝ていると夢地蔵菩薩が現れ、掘り出して供養すれば婦人のお産を安泰にする、と告げたので掘り出して祀った。これが現在の子安地蔵である。その後再び夢のお告げと二匹の猿の導きで松尾坂の青面金剛も掘り出し、お堂を造り祀った。これが現在の庚申堂である。
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オロチ 1971年 滋賀県 近江の国、栗本郡と野洲郡の境に大川があった。三上山で2川に分かれそのうち南川は土山に当り大渕となっていた。その渕に昔から大蛇が住んでいて、近辺の住民は困っていたが手の打ちようがなかった。嵯峨天皇のとき、雷が鳴り天地振動することがあり、時の博士が占うと先の大川に住むおろちが天皇の命を奪おうと振動させているということだった。そこで天皇は近辺の農民を招き大蛇を退治すべしと命令した。近隣農民数万人が打寄ってついには退治した。その時の出来事から様々な地名がつき、また褒美として大光明寺を給わった。
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カセヅエ 1925年 滋賀県 近江の百済寺の僧、源重僧都のもとへ、80余の老翁が来た。小野一万大菩薩と称し、鹿杖を地に挿すと、成長して椋の木になった。
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セリザワノサラヤシキ 1956年 宮城県 昔,芹沢という者が武芸の腕によって禄とこの土地を賜った。それから三代後の当主の時の話。ある正月,同家の女中が主人秘蔵の錦手の皿十枚を箱に納める際,一枚を落とし毀してしまった。しばらく隠していたが遂に露見し,一刀のもとに斬り殺された。その後毎夜のように同家の水屋に女中が現れ,「一枚,二枚,三枚・・・九枚・・・おお・・・」と恨めしげに訴える。主人は自らの仕打を悔い,女中の霊を慰めるために石地蔵を刻み,自分の山の頂に建てた。また不吉の刀を地中に埋め,小祠を建てて祀ってやった。以後女中の声も聞こえなくなったという。今でもこの山を地蔵山と呼ぶ。なお旧芹沢家には別人が住んでいるが,その後は何の変事も起こらないという。
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ヤマノテラドウウンジ 1956年 宮城県 弘仁年中(810~823)、慈覚大師が中興し、山ノ寺という。利府の阿久玉御前の子である田村麻呂が、少年時代に宝亀年中(770~781)に学問を学んだ寺。弘仁年中(810~824)慈覚大師が中興して山ノ寺という。享保年中(1716~1735)、輪王寺前住牷沓和尚が復興し、大伽藍となる。僧定恵が書いた輪が広がってそれだけの土地を貸すことになってしまった夫婦の話、女とその懸想した相手が大蛇となって人々を苦しめた顛末、などが伝わる。
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シンタク,カンレイ 1983年 京都府 婢女文子という者の家に菅霊が現れ、右近馬場に住もうという神託があり、その地に霊廟を建てた。6年後、近江国の禰宜良種に、北野に一夜に千本の松を生じさせよう、そこに建てる社を天満天神と崇めよという託宣があった。そこで朝日寺の住僧・最珍と、文子が力を合わせて霊社を造立したという。その後、文子の夫の子孫は代々神職を務め、妻は代々文子と称して当社の巫女を務めるようになった。
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タケコマジンジャ 1956年 宮城県 承和2年(835)4月、参議小野篁が国司に任ぜられ多賀国府に下るとき、京の稲荷山の分霊を陸奥に勧請するため長櫃に収めて下った。途中、千貫松のふもとで八声鳴いて白狐が長櫃から飛び出し、武隈の森に走り込む。ここに社を建てよという神の告げとして分霊を祀る。陸奥に下った能因法師が、篁卿の建てた社の所在を竹馬に乗って遊んでいる童子に教えられたというので、寺を開き竹駒寺と称して別当とする。
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コウボウシミズ 1990年 長野県 崩越の川岸に湧き出ている清水を弘法清水という。御嶽山へ登ろうとした僧侶が、この地の百姓の丁寧な道案内に感心して、用水が引けなかった土地に錫杖をつきさして清水を湧かした。おかげで田が開けたという。
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ハナヤマ,コマガタネゴンゲン,オンタケゴンゲン 1956年 宮城県 駒形根の神と御嶽の神が一緒に陸奥へ下り、今の築館近くの一迫川で美しい花が流れてくるのをみて、花の咲く山を求めて溯る。途中休息のとき、駒形根の神は眠りこけた御嶽の神を置きざりにして進み、二つの山のうち景色のいい方を選んだ。これが御駒山の駒形根権現である。御嶽の神は後から来て片方の山に決めた。これが御嶽権現の山で、やがて満山美しい石楠花が咲いた。駒形根の神は石楠花をほしがったが、御嶽の神は自分を置き去りにしたのを憎み、やらなかった。今もこの花は御嶽山にはあって、駒形山にはない。
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