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怪異・妖怪伝承データベース
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検索対象事例

ユメマクラ,カミ
1989年 山梨県
孝謙天皇が下の病気で悩んでいたある夜、夢枕に神が現れ、甲斐の国の西山に名湯があるとお告げがあった。女帝はここへ行幸されることとなり、篠党孫左衛門は1党を率いて迎えに行き、ちょうどその1行と出くわした場所をいまでもデェ地という。篠党が女帝を背負おうとすると、その名では負うてもらうためにはいかないといわれたので、以降、深沢と名を改めることにし、女帝を背負って峠を越えた。

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フドウミョウオウ,テンジン,ハゴロモ
1967年 福島県
三浦左近国清という人が太田村別所に住んでいた。世継ぎが無いことを憂い、馬場村の滝不動に美しい妻が得られるようにと祈願した。すると夢に不動明王が現れ、現世には配すべき女がいないので、五台山の奥の池で天人が水浴びをしてるゆえ、その羽衣を取れと言った。国清はその通り山に登り天人の羽衣を取って家に帰った。やがて天人は気付き、国清の家に行き羽衣を返して欲しいと願ったが返されず、ついには夫婦になった。二男一女をもうけたが、やがて子供たちが大きくなったから別れても立派に育つと言い残し、天女は羽衣を着て天に昇った。国清は悲しんだが、娘はそれにもまして悲しみ、ついには池に身投げして死んだ。中太田に姫塚と呼ぶ塚があるが、この姫を祀ったものといわれる。
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シロオオカミ,レイトウ
1929年 鳥取県
長寛二年に源義朝の臣であった大久保左馬之祐王家の再興のため、三徳山に参拝した。その時、途中で妙見山の神使である白狼に会ってこれを救った。そして妙見大菩薩が夢に現れ、老楠の根本に霊湯があるので、それを渡すから人の病苦を救えと言われたことが、三朝温泉の起源である。
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スギヤクシ
1956年 宮城県
天平(729~749)の昔、孝謙天皇が御不例で、医薬効なく太史に占わせたところ、陸奥にある高さ数十丈の大杉の枝葉が雲をしのぎ、その陰が皇居に達しているさわりと分り、大納言某を遣わして伐採を命じた。某は築館の地に大杉を発見し伐ったところ、伐り口から血が流れ、翌日はふさがって元通りになる。幾ら伐っても同じことであった。杉の東北の広野にある茅萱を縄とし伐り口をふさげば伐れるという占いによりようやく伐り倒す。切りくずは飛散して一片もなかった。天皇の御病も治り、勅命で伐り口に仏堂を立てた。のち慈覚大師が薬師如来を安置した。
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ウサオオカミ
1974年 大分県
弓削道鏡が孝謙天皇に寵愛されていたので、太宰府の阿曾麻呂という者が宇佐の神の託宣と称して、道鏡に登極をすすめる。そこで孝謙天皇は勅使・和気清麻呂を宇佐に使わした。清麻呂は神前で事を奏して祈念すると、大神がたちまち宝扉をひらき、身長3丈ほどの姿を現し、道鏡の登極を認めない神託を下したという。
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キツネ
1976年 新潟県
德川時代、伊達政宗に滅ぼされたカナガニトウトオミノカミの遺臣淸野孫右衛門が漆沢集落に来て、肝煎になった。その五代目が武家復興を月山権現に念じて二十一日の願掛けをした。途中、痩せた狐の親子に赤飯を振る舞ってやった。満願の日、德川の家老オニコがお墨付きを持って迎えに来て、そのまま道中した。道中は犬止めの禁が出た。新発田街道を通って聖篭で夜が明けると、行列はなく槍だと思っていたのは萱であった。孫右衛門はそのまま落ち延び、息子ともう独り着いていったものは帰ってきた。
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ヤマノカミ,ユメ
1941年 朝鮮
大同郡秋乙美面美林里の病人の夢に、白い着物を着た山神が現れて、一里先の小高い山で最初に目に付いためずらしいものを、食べるものなら食い、飲めるものなら飲めと言った。そこで行ってみると清水があり飲んだ。数日続けると次第に快復した。世間にも官にも知らせ、大kの人がその薬水を汲んでいくようになった。
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ハナサキイシ,ヤマトタケルノミコト,アクゼイ,アクレイ
1935年 群馬県
日本武尊が奥上州にやって来たとき、山に悪勢という魔神が住み、朝廷に背き人民を困らせていたので成敗した。神通力で戦いながらも敗れた悪勢は、山に包囲されて焼け死んだ。その娘は清純な処女だったが、武尊の軍勢に阻まれ自殺した。彼女の従者は哭き死んで、その亡魂が石となり、花が咲いたという。それでこの石を花咲石といった。悪勢らの悪霊は祟りをなしたが、石神として祭ると止んだという。
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クビナシウマ,ヤギョウノカミ
1984年 愛媛県
上須戒村と高山村の境にある小笹ヶ城から多田村の小笹ヶ城までの道を、毎月27日の子の刻に烏帽子、狩衣を着した貴人が、頭のない白馬に乗り、舎人を一人連れて通る。これを人々は夜行の神と呼び、出会うと熱病を受け死ぬと伝えるため、27日の夜はその道を通る者はいなかった。しかし、ある時高山村の百姓がこれに出会い、道の下の岸陰に隠れていると、夜行の神が足を止めて「この道の下に人がいる」と言ったが、舎人が「この者は下人です」と告げたのでそのまま通り過ぎ、命拾いをした。
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アマミツミカミ
1980年 群馬県
京都で事業に失敗した男が関東への夜逃げを考え、出発前に長年信仰してきた北野天満宮に参拝したところ、夢うつつの状態である和歌の下句だけ思い付いた。その後に木曽路の途中のうすい峠のほとりの駅舎に数日泊まっていた時、同駅に和歌の上句だけ思い浮かんでいた諸侯がおり、両者の句は一致した。諸侯は天みつ御神の霊験として嘉し、信心篤い男を家臣に加えた。
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ドウジ
1988年 奈良県
後朱雀天皇の時、向淵の目代・藤原時廉が観音の霊夢を感じて竜王淵まで来ると、童子が2人水浴びをしていた。童子は「われらは人界のものではない。この池は善女竜王の都で、天竺の無熱池まで通じていたが、人間に見つかったのでもうだめだ」と言って羽衣をまとい、履をはく間もなく昇天してしまった。それで竜王淵を履ぬぎ淵とも呼ぶ。
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ゴミシロウザエモンノツマ
1961年 山梨県
慶長年間の頃、五味四郎右衛門の妻は、生涯を通じて湯を嫌って水を用いてきたので、人々に竜女といわれた。また、この人は陰毛が竜神となる前触れの毛の丈だった。この一子は出家させられたが、それが日実上人だという。その後、婦人は妙な霊夢を感じて陰毛を3筋切り取り、女に与えて我に祈願をすれば、水難をのがれ、安産になるようにする、もしこの祈願に偽りがあれば、何年か経って不思議なことがある、その時には身延の常経と御嶽山と妙伝寺に必ず献納するようにといい、雨がはげしく降る日に釜無川に消えるように入った。その長毛を子安大明神として帯那の妙伝寺に祀ってある。
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(サルガクビ)
1967年 福島県
猿か首というところは昔、藤原政朝が霊夢により岩瀬郡鉾衝宮で通夜した時に山に迷い込み、しるべのものが手古る猿に変じ襲いかかり、白鹿の神助により危機を逃れたところである。
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テン,コウシン
1974年 奈良県
南部から大坂に行く途中に竹の打越という峠があり、その近くに貧しい家があった。家の主がある時痢病になり、自分の子供に鱣が食べたいと頼んだ。しかし家は貧乏で買う事ができず困っていた。しかし水を汲みに川へ行ったところ、水桶にいつのまにか鱣が入っていた。天がくれた物だと考えた娘は早速父親に食べさせたら、彼の病は次第に回復していった。それから水を汲みに行くと毎回鱣が桶に入っていたというが、それを食べた者は疫痢が治ったという。これは孝心の深さゆえの出来事と考えられた。
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オノノコマチノレイ,ビジョヅカ
1976年 山形県
京都で深草少将が小野小町に恋して通い詰めたが小町は応えず、少将は思いを遂げず急逝した。その恨みからか小町は病となり、死を前に父に会いたいと北国へ向かった。米沢の山中で小町は病に倒れたが、現れた薬師如来に小野川の湯を教えられ平癒する。しかし塩井で亡くなったと言う。そこに村人が地蔵を立てて葬ったのが美女塚であると言う。その200年後、旅僧が読経すると小町の霊が現れ、米沢の呉服商の清欒が少将の生まれ変わりと言う。これを知った呉服商は間もなく病で死んだので、美女塚に対して西方に美男塚を作って葬った。異伝も多い。
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ヒノタマ,コザクラヒメ
1996年 愛知県
冨貴城主戸田孫右衛門の内室(あるいは側室とも)の小桜姫は、落城の際「アイノ山」で自害した。人々はそこに塚を造ったが、その後、雨の夜には火の玉が冨貴城跡に向かって飛んでいくようになった。姫の霊が主人に会いに行くのだという。現在は小桜神社が建てられている。恋愛や婦人病に霊験があり、ここの七草を煎じれば諸病に効くという。
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サツキヒメ,リュウジン
2003年 山梨県
六人の供に担がれた駕籠に乗って訪ねてきたさつき姫が、万沢郷の横沢の清水を味わってから池の山の大池に入水して龍神になった。そして大水が流れた。その後、六人の供が小久保に住み着いたので、いまでもそこには六軒しかないといわれる。
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バンバアイシ
1960年 神奈川県
昔、ある信心者の夢枕に神が立ち「一の釜西方を流れる相模川の深いところにいる。自分の体は石で夫石は川下の江ノ島にいる。上流から訪ねてきたが、水が少なく下流に行けないから八幡宮まで連れて行って欲しい」と告げた。夢から醒めて一の釜に行くと、川底に老婆のような形の石があったため社の境内に移した。その後日照りが続いた時また夢枕に立ち、「自分を一の釜に入れると雨を降らしてやる」と告げたのでそうすると雨が降った。その後石はしばらく放置されたが、川下の人が井戸端の敷石として使った。しかし、一家中の人が病気になったため、行者の進言で八幡宮へと返された。
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マツノキノセイ,アコヤノマツ
1967年 福島県
信夫の郡司藤原豊光に阿古耶姫という娘がいた。ある晩、緑の衣に黒の袴をはいた少年が娘の枕元で「われは十八公の長で千歳山に住んでいるが、近いうちに斧の災を受ける。ついてはそなたの引導に預かりたい」と訴え消えた。その後この国の名取り橋の修理をするため千歳山の老松の大木が切られたが動かない。夢の少年が松の木の精だと気づいた阿古耶姫が声をかけると、軽々動いた。松の苗を切り倒したあとに植えて弔ったが、それが阿古耶の松といわれるようになったという。
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カッパ
1980年
豊前国に河幅が広く徒歩で渡る川があり、夜に渡ろうとすれば必ずかっぱが出て相撲を取ろうとする。小笠原信濃守の家臣・大つか庄右衛門の家中に力の強い者がおり、相撲を取ったところ、かっぱは動きが早く、また捉えてもウナギのようにすりぬける。そして全身針のように尖っていたので傷だらけとなり、その者は病気になってしまった。
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リュウジン
1928年 徳島県
王余魚谷に住んでいた貧しい猟師はある日、深山で美しい妙齢の婦人に出会った。婦人は竜神から紀州の那智の瀧と、この王余魚瀧に住めといわれ、来てみたところよい住処なのでここに住むといった。そして、自分がここに住んでいることは誰にも言うなと猟師に口止めをした。旱魃の時には雨乞いに霊験を顕したという。その後、洪水で社が流されたが、漁夫に発見されたときには何の破損もなかったと伝えられている。
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